Act.138:顛末
アレックスがそんな無駄話をしている間にも、ルナとマリアは会場内をカオスを探して歩き回っていた。随分と探したような気もしたけれど、カオスの姿は何処にも見当たらなかった。
「ふぅ」
ルナは溜め息をつく。
「カオスの奴、居ませんねぇ」
「そうね~」
ルナは文句を言いたい気分になってきた。カオスの顔を見たら、即文句を言いそうだった。
だが、それは早まってはいけない。もしかしたら、カオスにはカオスの事情があるのかもしれない。それを知るまでは、文句を言う資格はない。
と、普段大体は理性的であろうとしているルナは、そのように思っていた。
「それにしても~」
マリアは少し辺りを見渡して、その違和感を感じる。
「この辺りには全く人が居ないのね~」
騒動が生じ、暴動と化している観客席から外へと至る通路。そして、会場から遠目に見える街中の主要道路。その辺りは逃げる人達でごった返しているのに対して、ルナやマリアの居るこの近辺は水を打ったように静かになっていた。
「この辺りは選手専用スペースですからねぇ」
元より此処は、普通の観客が入って良い場所ではない。それでもここからの逃亡の近道となるのであれば構わず侵入してくるのだろうが、どう見ても此処は絶対安全な場所ではない。だから、人は近寄ろうとしないのだろう。
「そして、ああなってしまった以上、人はここに留まってはいたくないのかもしれませんね。国家云々と関係ない人達には、此処に留まらなきゃいけない理由なんてないですから」
人が、それも勇者アーサーが殺された場所。そんな所にいつまでも居ると、今度は自分が何者かに殺されてしまうかもしれない。だから、本能的にここから出来るだけ遠くに離れたい。そのように思うのは、自分を守ろうとする本能で、ごく自然じゃないかとルナは思った。
だが、それは自己保全の行動としても正しくない。マリアは言う。
「魔王が居なくなったんだからぁ、却ってこの街中でここが一番安全だと思うけどね~」
騎士やそれを志す者達、そのような者達がここに終結していて、魔王アビスは勇者アーサーを殺めて、あっさり撤退している。危険要因は存在していないのだから。
「はは、確かにそうですね」
その意見に、ルナは賛同した。
その時だった。ルナが視界の先から歩いてやって来くる人影を見たのは。
だが、それはカオスではない。カオスにしては小さい。そして、それは少女のものだった。だが、その者に見覚えはあった。その者は……
「アリステルか。おーい」
そう、アリステルである。ルナは手を大きく振ってアリステルを呼ぶ。
その自分を呼ぶ声にアリステルは気付き、歩いて近寄ってくる。
「何じゃ。お主等か」
その声に、感情のようなものは一切入っていない。淡々とした口調であった。そして、そんなアリステルは探しに行った時と同じように、今もまた一人であった。
そう。カオスは居ない。
「カオスならば、まだ妾も見ておらんぞ」
「ふぅ」
ルナは溜め息をつく。
「ったく、何処に行ったってのかしら?」
「建物の中ならば、妾があらかた探したぞ」
だが、そこではカオスに会っていない。それらしき痕跡もまた見つかっていない。
「と言うことは、この建物の外に居るのか、それとも……」
その先は、ルナは口にしない。マリアもアリステルも口にしない。口にすると、それだけでその先を現実化してしまうんじゃないか。そんな気がしていたからだった。
だから、言わない。
何らかの事件に巻き込まれたんじゃないか。とは……
「う~ん」
外。外ねぇ。
ルナは建物の外に居るという事を想定して、その通路から窓際に近寄っていった。そして、そこから外にちょっと身体を乗り出して思う。
カオスが何も言わずにあたし達を放っておいて外に出かけたり、帰ったりしてしまうとは考えられない。あるとすれば、この敷地内の木陰か何かで昼寝でもしているのか……
そのように思い描きながら、ルナは外の風景を眺めていた。その時であった。
「あ」
異変に気付いたのは。
「ルナちゃん、どうかしたの~?」
「カオスがおったか?」
「いいえ。カオスは居ません。ただ……」
これは異変である。普通に考えれば、ただ事ではない。
「ただ?」
「ただ、戦いの跡があります」
会場となった建物、スタジアムからすぐ近くにある並木道、そこには明らかに魔法によって穿たれた大きな穴が存在していた。ただ無作為にそこにそんな大きな穴を穿とうとする者は何処にも存在しない。つまり、それの意味するところは、会場が大騒ぎになっていた時、この裏でもまた戦いが存在していたことになる。
嗚呼、これは戦いの跡である。他の誰かが気付かなかったのも、会場内のアーサー対アビスの騒ぎが大き過ぎた所以であろう。
そして、それが異変。当たり前だが、普段通りに生活していて、戦いがその生活内に普通に存在することはない。つまり、そこに戦いの痕跡があったというだけで、そこには日常とは断絶した何かが存在していた証拠となる。
「誰か倒れておるな」
「あれは……」
3人がその穴の周囲を見渡してみると、そこに人が1人倒れているのを発見した。それは髪の長い男であった。そして、その姿に見覚えがあった。
それが2つ目の痕跡。それは……
「クロード・ユンハース! カオスと大会の2回戦で戦った男です!」
そう、クロード・ユンハース。マリアやアリステルにとっては、彼はただカオスによって敗れた者という程度の認識しかなかったが、控え室に一緒に居たルナには、マリア達よりかは少々強く印象に残っていた。だから、名前くらいは覚えていた。
そして、それはさらなる異変。クロード・ユンハースは動きを見せようとしない。動けないようだった。カオスに敗れたとは言え、彼はそれなりの実力者。そんな彼を、あのような状態にする事件が此処ではあったのだ。
だが、正直カオスに繋がらなければどうでもいい。3人はそのように思っていた。だから、反応は薄かった。
「ま、生きてはおるようじゃな」
「何かカオスちゃんに繋がるものでもあるかしら~?」
「分かんないですけど、他には何もないですからね。行ってみるしか今のところなさそうですよ」
この異変。それ以外にカオスを見つける手がかりとなる何かを、ルナ達はまだ何も見つけていない。ここでも、それがカオスに繋がる何かとなるような可能性は非常に低いと思っていたけれど、ゼロではない限り試してみる価値はあるのではないかと思った。
だから、行く。
「そうねぇ。それしかないみたいね~」
「ま、怪我人を放っておくわけにもいかないですしね」
そのように言って、ルナ達はそこから降りてクロードに近寄った。
ずっと続いている静寂。鳥や虫達の声以外に耳に入るものは何もなかった、そんな静寂。それが、クロードの中では、対ノエル戦での惨敗以降ずっと続いていた。
だが、それは唐突に破られた。クロードの耳に人の話し声が聞こえ始めた。そして、その者達が自分の方に近付いてくる気配を感じるようになった。
ノエル戦での負傷の為にクロードは動けず、その者達が誰なのかさえ知れない。だが、誰でも良かった。クロードはこの瞬間を、ノエルに敗れてからずっと待ち続けていた。
「やっと、人が来たか。か、体が動かないとなると、やはり、ちょっとした時間さえも、長く感じるものなんだ、な……」
ノエルにやられてから、どれだけの時間が流れたのかはクロードには全く予想がつかなかった。彼としては非常にその時間が長く、何時間にも感じられたものだった。
だが、客観的な観点からしたらそれは違うのが、彼にも何となく分かっていた。なぜなら、エキシビジョンが午後5時以降に始まったのに、今もまだ日は暮れていないのだから。それを考慮に入れると、その時から1時間も経っていないのが分かるのだ。
「だが、まあ、いい。何処の誰だか知らんが、人が来たというだけで……」
「ルナ・カーマインよ」
ルナは名乗る。クロードが動けず、自分が誰なのか分からなかったから名乗ったが、正直その必要性はないと感じていた。クロードを助けるだけならば。ただ、カオスについてクロードが何かしらを知っているという可能性を考えれば、ここで『カオスと同郷のルナ・カーマイン』であるのを認識してもらった方が良いのではないかと思ったのだ。
そして、それはビンゴ。クロードにしても。ルナ達にしても。
「くくくく。こ、これもまた、巡り会わせか。神の、導きか。ルナ・カーマイン。確か、カオスとは同郷の者だった、な?」
「そうだけど、それが何か?」
「伝言の、手間が省けて、丁度いい……」
それが何か?
その時点で、ルナは自分が名乗った利点があったのを知った。横に居たマリアとアリステルも。
そう、クロードはカオスについて知っている。何かがあったかを、彼は知っている。それを悟った。だからこそ、彼は何も問われていないのにカオスのことを口にした。
「悪い報せだ」
クロードは言う。
それは分かっている。良い報せならば、負傷してまでして、そして他の誰かを伝言役にしてまでして、それを伝えようとはしない。
そして、クロードは内容を簡潔に言った。
「カオス・ハーティリーは攫われた。魔王アビスの、配下に、拉致された」