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Double Lotus  作者: 橘塞人
Chapter6:魔王
159/183

Act.136:魔王軍凱旋

 時が止まった。

 己の眼を疑いたくなるような光景を目の当たりにし、人々はその悲劇の瞬間をそのように感じていた。

 悲劇。それは勇者アーサーと魔王アビスの一騎打ち。その結末。アビスの攻撃によりアーサーが敗北。そして、そこから綿々と続くであろう悲劇の連続。

 アビスの攻撃。繰り出された拳が、アーサーの体を貫いた。アーサーの体に大きな風穴を開け、アビスの拳がアーサーの背中からその姿を現す。


「…………」


 人々は息を呑んでいた。悲鳴は上がらない。上げられない。凍りついた屍のように、指1つ動かせず、ただその身を固めていた。

 だから、時が止まった。そのように感じていた。

 されど、ゆっくりと、ゆっくりと……

 それでも、実際のところ時は流れていたのは事実。アビスの拳がアーサーの中から引き抜かれていく。アビスの拳の勢いのままに飛ばされているアーサーの体が、そのまま動かぬアビスから離れた。


「くっ……」


 アーサーは血を吐きながら、後方へと飛ばされていく。その表情には、少々笑顔さえ浮かんでいた。自分を死へと誘うその激烈な痛みの中で、アーサーは確かに笑っていた。

 全ての終わり、そして始まり。それをアーサーはその今際の際に予感していた。

 アーサーは血を吐きながら、後方へと飛ばされていく。その様を見ながら、アビスは動かないままだった。顔にアーサーの吐いた返り血を浴びて、ローブにはアーサーの穴の開いた腹から吹き出た血をさらに浴びていた。

 返り血。返り血。返り血。血、血、血、血……

 アビスはアーサーの返り血によって、あっと言う間に血塗れになっていた。そのアビスは、笑うアーサーとは対照的に不快そうな表情をしていた。

 憎きエミリアの仇、アーサー。そのアーサーならば、その返り血まで憎いのか。それは、ハッキリとは分からない。アビス本人さえも、そこまでは分かっていなかった。

 不快そうなアビス。血で赤く染められた視界の中、アーサーはチラリとその様子を目に入れていた。


「くくくく……」


 アーサーはご機嫌だ。声はもう出せない。しかし、大笑いしたい気分でいっぱいであった。彼自身分かっていたのだ。これが、自分の死が始まりになると。

 アビスよ。憎々しい魔王アビスよ。これで、貴様は永遠に我々人類の敵となった。この人間界に、貴様の居場所は完全に無くなった。貴様に出来るのは、薄暗い魔界で震えているだけだ。

 あははははははははははははは! はーっはっはっはっはっはっはっは!

 笑う。アーサーは笑う。心の中で笑う。

 そして、倒れる。




 ドサ……




「…………」

 リングの上にアーサーの血が広がり、肉片と臓物の欠片が少々飛び散った。

 もう、アーサーは言葉を発しない。動くこともない。何も出来ない。

 そう、アーサーは死んでいた。


「あ、あああああ……」


 さっきまでアーサーコールを発していた観客達は、そこで強制的に現実へと引き戻された。アーサーが魔王アビスを倒すという夢は、アーサーの死によって決して叶わない夢物語となった。そのようにさせられた。

 アーサーとアビスの戦いは、アビスが勝ってしまった。終わったのだ。そのような結果をおしつけられた。


「勇者が、勇者アーサーが……」

「殺された……」

「死んだ……」

「終わった……」


 観客は老若男女皆、酷く怯えていた。どうしたら良いのか、頭の中がぐちゃぐちゃになって分からなくなっていた。脳の中が混線し、混乱していた。

 その中で、リングの上で1人、アビスはだんだんとご機嫌になってきた。仇敵を倒したのだから。16年待った悲願が成し遂げられたのだから。


「終わった」


 アビスは笑う。笑い始める。

 それを目の当たりにして、アーサーの死とアビスの笑い顔を目の当たりにして、観客の怯えは、混乱は、ますます大きなものとなる。


「アビスが…笑ってる。笑ってるよ」

「本当に死んじゃったんだ」

「お終いだ~」

「最悪だ~」


 ここまでの経過。地下でチョウチャウが召喚した下級魔族を除けば、死者は双方共にアーサーだけ。

 これは勝利なのだ。アビス側からすれば、理想がそのまま遂行された完全勝利だ。


「凱旋だ。凱旋だ!」


 アビスは笑う。喜ばしい出来事に。

 そんなアビスの喜び。それは、観客にとっての恐怖。


「この世の破滅だ。破滅だー!」

「皆、殺されちまうんだ!」

「俺達も死ぬんだ!」


 全ては終わった。もう、アビスからすれば人間界においてやるべきことはない。後は、そのまま無事に帰れば良いだけの話である。


「凱旋だ!」


 だから、アビスは笑う。笑い続けるのだ。自分達の勝利に。

 そして、対照的に観客達は嘆き続ける。恐れ続ける。アーサーの死に対する悲しみから、その考えは自分達の死へと至り、それに対して何も出来ない無力な自分を嘆きながら、その先に見える暗い未来像から逃げようと必死になるのだ。どうにかしようとするのだ。

 だが、それを混乱と呼ぶ。


「嫌だ。死にたくない」

「死にたくないよ」

「嫌だ……」

「嫌だ!」

「嫌だーーーー!」

「凱旋だーーー!」


 それらの声と共に、観客の混乱は爆発する。恐怖に囚われ、収拾がつかなくなる。


「逃げろーーーー!」

「死にたくねぇっ!」

「キャーーーーー!」

「ギャァアアアア!」


 人々は悲鳴を上げながら我先にと会場から逃げ出そうとした。恐怖に囚われた観客達の思考回路はショートして、どうしようもなくなっていた。出入り口付近は観客が一気に詰め掛けたことによって溢れかえり、それにより苛立った観客の一部によって暴動までもが起こり始めていた。

 滅茶苦茶であった。する必要が


「ハーッハッハッハッハッハッハーッ!」


 そんな中でアビスは笑う。大笑いする。その声は彼の中にある魔力と自然に融合して、大きな声となって周り中に響き渡る。誰の耳にも届くような音となって、周囲に響き渡ったのだ。

 そして、それが合図。結界室前のラスターとチョウチャウ、室内のシカシカとイノイノ達の耳にも、そのアビスの大きな笑い声はしっかりと届いていた。


「ハーッハッハッハッハッハッハーッ!」


 それは彼等からすれば心地良き勝利の祝いの鐘。


「終わったな。無事、敵は討てたようだ」


 ラスターは結局のところ出番は無かったけれど、それでも満足そうな笑顔を浮かべる。終わり良ければ、全て良しだ。

 その意見に、チョウチャウは異存ない。


「そうですね」

「よし。凱旋するぞ」

「はい」


 自分達の目的は、魔王アビスが敵を討つまでの時間稼ぎ。それすなわち、敵を討ててしまったら、ここにはもう用はない。

 だから、ここで即帰還。全てを終わらせて、即帰還。


「それでは、召喚したもの達を戻してから……」


 チョウチャウは杖を振り翳して、召喚した時のようにポーズをきめる。帰ってもらうのは簡単に。


「リバ~ス♪ ハイッ!」


 それだけであった。

 それだけで、上からの階段辺りから結界室の前辺りまで埋め尽くしていた魔獣の群は、一瞬にしてその姿を消した。

 何も無い回廊。ほんの数瞬前までは戦いの喧騒に包まれていた回廊は、一瞬にして水を打ったような静けさに包まれるようになった。


「はあっ! はあっ!」


 そのようになって、エクリアやモナミの耳には、自分達の荒くなった息遣いがやけに耳につくようになった。

 2人は辺りを見渡しながら首を傾げる。


「消えた? 魔物が戻されたの?」

「諦めたのかしら?」


 魔物の群が意図的に消されたのは間違いない。だが、諦めて戻したのではないかというのは、モナミの楽観的な勘違いであるとエクリアにはすぐに分かった。

 なぜなら、ここに魔物を召喚した奴等の目的はただの時間稼ぎ。それが機能している内にそれをやめたならば、それすなわち時間稼ぎをする必要がなくなったとなる。そう考えるのが普通であろう。

 そして、奴等の目的は……


「くっ!」


 そこまで思考が至った所で、エクリアは首を横に振った。自分の思考を否定した。

 それはアーサーの死という悲劇から、ただ今だけは目を逸らしていたかった。そんな現実逃避であると知ってのことだった。


「ハ……」


 そのアーサーの殺された現場では、アビスがその笑い声をようやくやめたところであった。アビスの笑い声は予め定めておいた合図だった。それにより、今回の作戦は成功に終わった。今行っている任務はそこで終了で、直ちに本拠地へ戻ろうという合図。

 そして、それに従うのはアビス本人も例外ではない。


「…………」


 笑い声をやめたアビスは、元の澄ました表情に戻る。戻って軽く魔力を充溢させて、そのまま瞬間移動魔法(インスタンテ)を発動させ、その姿を消した。


「帰ったみたいね」


 マリフェリアスはアビスが姿を消したことを即座にそう判断する。


「そうなんですか?」


 今、首都は混乱している。これから、もっと混乱してゆくだろう。そうすれば、この契機にここを攻め込んでいくのは難易度が下がるであろう。魔族からすれば、人間界を支配するチャンスであって、人間からすれば魔族に支配されるピンチであろう。

 そのように感じていたルナは、マリフェリアスの言葉をすぐには信じられなかった。だが、マリフェリアスはその見解に疑いを持っていない。その理由を話す。


「今回のアビスの狙いはあの子の、アーサーの命のみ。だから、それを成し遂げてしまえば、アビス達にはここに留まる理由がなくなるでしょう?」


 アビス達は魔界に居城を構えている。それがあるのだから、無理して人間界を支配しようとするメリットは無い。マリフェリアスはそれを知っていた。


「これ以上アビスがここに居たところで、アビスに損はあっても、得はないからね」

「バカヤロー! 押すんじゃねー!」

「ざけんじゃねぇ、コラ! 殺すぞテメー!」

「イヤー! 魔王に殺されるー!」


 ほぼ暴徒と化している観客達の様子を見ながら、ルナは思う。


「それを伝えてあげれば、この混乱は収まるのでは?」


 しかし……


「それは私のすべきことではないわ」


 マリフェリアスはそのように言う。面倒臭いのはごめんなのだ。それが無駄骨ならば尚のこと。


「それに、この状況で誰がその言葉を信じると思う?」


 そう、何を言っても全ては無駄骨。

 この勇者アーサーが殺された中では。

 この正義も何もかもが、葬り去られた混沌の中では。


「う……」


 ルナはその言葉でこれからここで何をやろうとも、全てが無駄になると気付かされる。この混乱、どうしようもないと。後は、それぞれの良心に任せるしかないのだと。

 そう。全ては終わってしまった。幕は引かれてしまったのだ。



◆◇◆◇◆



 アーサーが死んで、結末を迎えて少し経った頃。アーサーの援軍に行けなかった者達は、混乱の続いている観客達とは対照的に、選手控え室で表面上は落ち着きを取り戻し、静かな状態となっていた。

 そして、これから自分が何をすべきかを考え始めた。終わったことは終わったこととして。


「では、いつまでもここに立っていてもしょうがないですし、あたしは今からカオスを探しに行ってきます。この混乱の中ではぐれたりすると厄介ですからね」


 ルナは結局来なかったカオスの探索に出ることにした。帰る準備である。

 騎士になったとは言っても、任務に就いたりしていない、なおかつ直接アーサーと関係性を持たないルナ達には、ここで騎士としてやるべき仕事は存在しない。だから、好きにして良いのだ。


「そうね。それがいいわ」


 マリフェリアスは賛同する。せめて、こちら側だけでも元に戻すべきだ。


「あ、ルナちゃん待って~。私も行くわ~」


 そのルナの言葉に同調して、マリアもルナについて行く。2人して並んで、選手控え室から去っていこうとする。

 そんな2人に、リニアは声をかける。


「じゃ、私はサラ達を保護に行くからな」


 サポートの言葉を。

 そうして、ルナ達はそれぞれのすべきことを見つけた。アーサーは守れなかったけれど、そうしてせめて身の回りを守ろうとしていた。

 そうすべきだな。マリフェリアスもそのように思った。だから、言うのだ。


「私もそこに行くわ」


 アーサーを割り切った訳じゃないけれど。


「ミリィとメルティが居るからね」


 守る者全てを失った訳じゃないのだから。

 だから、先へと進む。しかし、全ての者がルナやマリフェリアス達のように行動出来ていた訳ではない。この選手控え室に呼ばれたその他十把一欠けらの兵士達は、アーサーが死んでしまうと、自分がどのように行動すべきなのかさっぱり分からなくなってしまっていた。ただ、どうしようどうしようと問いながら、落ち着きをなくした熊のように部屋の中をぐるぐると徘徊するだけであった。


「ふぅ……」


 マリフェリアスはその様子を見て溜め息をつく。ルナやマリアのような騎士と、この一般兵士の間、その両者の間に呆れるほどの差が出てしまっていた。一般兵士はどうしようもない烏合の衆だった。これでは、例え結界が無くてアビス戦へ援軍に行っても、何の役にも立たなかっただろう。その景色がマリフェリアスにはハッキリと見えた。

 だが、このまま放っておくのも寝覚めが悪い。仕方がないので、その役立たずに指示を出してやる。


「アンタ達もそんな所でうろちょろしていないで、逃げ惑っている観客達の誘導でもしなさい。もうアビスは居ないのだから、ここに居たって無駄よ」

「はっ!」

「…………」


 現金なものである。マリフェリアスが指示を出すと、兵士達は声を揃えて自分達のやるべきこととして、観客達の誘導へと真っ直ぐに向かっていった。

 自発性の欠如。彼等の中にあるのは、それにつきていた。だが、そんなことはマリフェリアスにはどうでも良かった。


「…………」


 終わった戦場。逝った勇者。その光景をもう一度振り返って、マリフェリアスは心の中でアーサーに言葉をかけた。願いをかけた。




 アーサー。貴方はよく闘いました。貴方の中から魔族への恨みが消えることは終ぞなかったけれど。

 もう終わったのだから、せめて安らかな眠りを……




 そんなマリフェリアスの顔は、母のそれと同じであった。


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