Act.135:勇者抹殺
死ね。
魔王アビスによる、勇者アーサーに対しての死刑宣告。それが、ハッキリとした形で再び為された。
会場は静まり返る。先程までのアーサーコールによる喧騒とは打って変わって、会場は水を打ったような静けさに包まれていた。
観客達を支配していたのは不安。心配。恐れ。もしかすると、自分達の勇者様が、魔王によって葬り去られてしまうのではないかと思うマイナスの感情。それはどんなポジティヴな妄想よりも現実的であった。満身創痍のアーサーと比べて、アビスはまだ息一つ切らしていない、そんな状態だったから。
アーサーは死ぬ。殺される。
「ハ、ハッタリだよな?」
「と、当然でしょ。アーサー王は一度アイツに勝っているんだからさ」
観客は静寂に耐えられなくなってきた。恐怖、焦燥感、そういったマイナス感情によって支配された観客達は、マトモに思考を働かせられなくなっていた。
しかし、それとは関係ないかのように、リング上のアーサーとアビスは冷静なままであった。冷静に相手を真正面から見据えていた。
死の間際でありながらも、アーサーは真っ直ぐに。そんなアーサーに、アビスは訊ねる。
「アーサーよ。最後に1つ、訳を聞かせろ。このように俺と戦う者をごく少数に限らせたのは、我等の策ではあった。無論、それは成功したのだが、それだけでは貴様との1対1にまでなれるとは想定していなかった。だが……」
ここにあるのは現実。
「だが、今こうして貴様と1対1になって対峙している。それが他ならぬ貴様自身によってな。その訳を聞かせろ。それ位の権利は、俺にもある筈だ」
このリングへと至る場所に張られた結界を解かせないように仕向けたのは、魔王軍の作戦の一つ。しかし、その結界内には女戦士が1人既に入っていた。その者との2対1になるであろう筈が、アーサー自身によってその図は1対1とされた。2人ならば勝てる。そんな安易な考えは持っていないだろうが、そうすればもう少々の時間を生きながらえはしただろう。しかし、それをしなかった。しようとしなかった。むしろ、拒否した。
それは何故か?
「…………」
アーサーは少し考えた。だが、承諾する。
「いいだろう」
何かしらの遺言を残して逝きたいという気持ちではない。ただ、隠す必要性を感じなかったので、そうやって語っておくのも面白いのではないかと感じただけだった。謂わば余興である。
アーサーは語る。
「理由は2つだ。1つ目は、貴様と同じ。犠牲者を極限まで減らすこと」
アビスがこのような面倒くさいマネをした理由はアーサーには分かっていた。そう。復讐の対象であるアーサー以外の犠牲者をなくす為である。それがエミリアとの関係上なのか、単にアビスの美学なのかまでは分からない。ただ、一騎で千にも万にもなれるアビスがその気になれば、この会場に居る人間なんてあっと言う間に皆殺しに出来る。それが分かっているので、やはりこうなっているのはアビスの願いでもあるのだと理解出来るのだ。せざるをえないのだ。
そして、そうしたいのは自分も同じ。
「この国の国王として、民の命をいたずらに奪われる訳にはいかない。税と引き換えに、民の生活を守るというのが国の務めであるからな。こんな場所で犠牲者を出す訳にはいかぬ」
参加した選手や、この大会の運営をしていた役員、それから観客の1人に至るまで、ここに集まった自分やその直属の部下以外の人間、それが1人でも魔族の凶刃で倒れただけで、アーサーにとっては敗北も同じであった。
それが国王なのだから。
「そして2つ目は、戦士としての思い残しだ」
アーサーは言う。
1つ目はアビスと同じであった。だが、2つ目は違う。
「思い残し、だと?」
「ああ、そうだ」
それはずっと、心の何処かで沈殿物となって残り続けていたものであった。
「16年前の貴様等との戦い、俺とて好き好んであのような手法で貴様を封じたわけではないのだぞ」
だからこそ、それがずっと心残りであった。
だが、アビスにはそれがにわかには信じられない。
「戯言を」
「いいから聞け。貴様が聞きたいと言ったのだからな」
だから、そのどちらであっても、依頼された者がきちんと最後まで喋り、それを聞く義務があるのだ。訊いた者には。
「…………」
「ただ、言っておくが、エミリアやその子を殺めたことを悔いている訳ではない。戦を治めるには、そういった汚いことが必要となってくる場合があるからな」
「…………」
キリ……
アビスは少し歯軋りをした。やはり、アーサーを許せないと思った。だが、それを歯牙にもかけずにアーサーは話を続ける。彼にとってみれば、全ては過ぎ去ったことなのだ。
「貴様を封じた方法も、今更となってはどうでもいい」
もう、アーサーからしてみれば過ぎたことだったのだ。16年もの年月が過ぎ、記憶も曖昧になってしまっているから。
ただ、それでも心残りのようなものは残り続けていた。心の何処かで生き続けていた。
そう。それは……
「ただ、一介の戦士として、貴様とは真っ直ぐに向き合う機会がなかった。それが今でも心残りだった。それだけの話だ」
「…………」
雄弁に語るアーサーの話を、マリフェリアスは黙って見ていた。そう見ながら、マリフェリアスは当時を、対魔戦争終了直後のことを思い出していた。
『卑怯な手だったかもしれんが、それでも構わん。俺達は、決して負ける訳にはいかなかったのだからな。ただ……』
アーサーは少し悔しそうな顔をして言った。
『出来れば、そんなのなしで勝ちたかった』
『無理よ。無理』
そんなアーサーを、マリフェリアスは即答で否定する。それは不可能であると。それ程の差が、アーサーとアビスの間にはあったのだと。
『分かってる。けれど……』
アーサーは言う。自分自身で、アビスには全く及ばないと。
でも、それでも……
『俺の戦士としてのプライドや、チャレンジ精神がそれを許さないのだ。きっと、いつまでもな』
それを押し殺して、卑怯な手を使ってこの戦争を終結させた。だが、敵の首領であるアビスは封じただけである。殺せてはいない。だから……
『奴はいつか必ず復活する。俺の目の前に現われる』
自分を殺しに……
『だから、その時は俺も一介の戦士として真っ直ぐ奴に向かっていきたい。そう思うんだ』
『死ぬわよ?』
『だろうな。しかし……』
確実に殺されるだろう。
アーサーはその結末を分かっていた。だが、それでも逃げようとしなかった。恐れもしなかった。むしろ、待っていたかったのだ。
『国王となってしまった今、俺の戦士としての死に場所はもうそんなケースでしかありえない』
戦いの中に生きてきた人生だった。その結果、勇者として祀り上げられ、こうして国王にまでなった。それを悪いとは言わないが、いささか合わないと思うのも事実。されど、戻る道はもう無い。
俺は戦士。人々が最期を故郷で迎えたいのと同じように、俺もまた最期は闘いの中で迎えたい。病院の中での病死なんてまっぴらだ。どうせ死ぬのならば、戦ったその末に死ぬ。
アーサーはそう願っていた。そして、その相手が魔王アビスならば不足はないと。
『だから、その時は邪魔するなよ?』
『しないわよ。ダルイし……』
面倒臭いし。
そんなやり取りだった。それはどうでもいい会話の切れ端であったのだけれど、それをアーサーが非常に大事にしていたのだと、マリフェリアスは今更のように気付いたのだ。
望んだ最期、それが今な訳ね。
雄弁に自分を語り、活き活きとした様子でアビスと戦う。そのアーサーは、近年全く見られなかった程に楽しそうな様子であった。そして、そんな姿を見せられては、マリフェリアスとしては死ぬと分かっていても何も出来なくなるのだった。
楽しい。そして、嬉しい。
「だからこそ、俺はこの今でも逃げも隠れもせずにここに立っているんだ。それが俺の戦士としての誇りだからな」
ワーッ!
そのアーサーの言葉の後、観客達から歓声が上がった。
「カッコイー! さすが勇者様っ!」
「すげぇ! しびれるぜっ!」
「最高!」
アーサーを賛辞する言葉が飛び交う。それは人々の希望に変わり、勇気と変わるのだった。
「よし! もっと応援だ!」
「そのパワーで魔王を倒すんだ!」
「俺達にはそれしか出来ないけれど、声が出なくなるまで全力で叫べ! 我等が勇者の名を!」
そして、再びアーサーコールは始まるのだ。
「アーサー!」
「アーサー!」
「アーサー!」
「アーサー!」
「…………」
しかし、そのような声を、やはりアビスは気にしない。ここでの自分の立場等に対して既に意味を見出せなくなっているアビスからすれば、そのようなものはどうでもよくなっていたのだ。アーサーを殺してしまえば、気に残るのは『C』だけであり、さらにそれは既にノエルに任せてある。
そして、アーサーはここに居る。しかし、そのアーサーはちょっと想定外であった。
「まさか、貴様に誇りとかそういったものが存在するとは思わなかった。正直、少しだけ見直した」
だが……
「もっとも、それだからと言って、貴様のやってきたことを許す気など毛頭無いがな」
エミリアの敵は殺す。
その意志に揺らぎは無い。
「構わんさ」
しかし、アーサーは平然としている。
「貴様なんかに許しを請うつもりは毛頭無いし……」
アビスにとって、自分がエミリア達の敵であるのと同じように、魔族は自分にとっての敵でもある。だから、アーサーはひく必要はないと思っている。
胸を張って言う。
「俺とて、貴様等魔族を許すつもりは全く無い」
そして、2人は正面から向かい合って同じことを相手に告げる。
「死ね」
その言葉と同時に、2人は地を蹴る。己の意志に迷いが無いのを表すかのように、真っ直ぐに相手へ。
そして、激突。拳と拳、足と足、魔力と魔力がぶつかり合う。
まずはアビスの攻撃、アビスの真っ直ぐ放つ拳がアーサー目がけて炸裂する。アーサーはその拳の軌道から身体をずらして回避する。
チッ!
しかし、アビスの拳のスピードはとても速く、アーサーは完全には回避出来ない。アーサーの頬に一筋の切り傷が生まれる。
「…………」
拳が当たったのか、拳圧によってかまいたちが生じたのか。そのどちらなのかは分からないし、どうでも良かった。されど、ただ1つだけアーサーはすぐに悟らされた。
このパンチ、1つでもマトモに食らってしまったら即アウトだと。
一撃で殺されるだろうと。
「くそ」
アビスの拳1つ1つが、アーサーにとって必殺の威力がある。それをたくさん繰り出されては、命がいくつあっても足りないというものだろう。それを防ぐには、アビスの攻撃の回数を減らす必要がある。
そう。後手に回させるのだ。
数で押し切ってやる!
アーサーはそのように考え、アビスの勢いに負けないようにどんどん拳を繰り出していった。
「…………」
今度はアビスが防御に回る番。先程まで殺人パンチを繰り出していた手は鳴りを潜め、防御に専念するようになった。それが10数秒間続いた。
これでいい。アーサーはそのように思っていた。アーサーの攻撃はアビスの手によって全て防御されてしまっているけれど、今のところ勢いはアーサーにあった。けれども、後手に回ったアビスの表情は平静としたまま。
それは余裕。そして、アビスはその言葉を発する。
「そろそろ殺るか」
「!」
その瞬間であった。アビスの体がゆらりと揺れて、拳を繰り出してきたのは。
今まで、アビスには防御するしか間がなかった。だが、それはアビスのスピードが本気ではなかったからだ。先程までの動きからさらにスピードを上げたアビスに、反撃の間が与えられるようになったのだ。
そして、攻撃。真っ直ぐに拳を打ち出す。
「なっ!」
アーサーは驚愕する。さっきの殺人パンチよりも、さらに素早く鋭い拳が飛んで来たのだ。
これの防御は不可能。回避するしかない。
アーサーは横飛びをして、そのパンチから命からがらに逃れた。アーサーの横をアビスの拳による拳圧が飛んで行き、アーサーを横方向へと吹き飛ばす。
そして、拳圧はリングの石を穿った。細く真っ直ぐの溝となって、そこに足跡を残した。
「くっ!」
アーサーは信じられない気持ちでいっぱいだった。アビスは魔力の溜めを一切行っていない。その状態で、これだけの差があった。
その拳をアビスは連続で放ち始めた。右、左、右、左、拳はどんどん繰り出されてゆく。それと共に、小さな大砲のような拳圧は、リングにどんどん溝を穿たれていく。
くそっ。あれじゃ、避けるしかないじゃないか!
防御したら、その部分の体を持っていかれるのは目に見えている。防御の壁は、紙のように簡単に貫かれるであろう。防御不能。それ故に、アーサーは回避一辺倒となった。そうするしか出来なかった。
「な、何あれ?」
「…………」
アーサーとアビスの戦いの様子を見ていたルナ達も驚愕していた。ルナ達からすれば必殺技クラスの攻撃を、アビスは魔力等を全く溜めもせず、なおかつ連続して繰り出しているからだ。
凄い魔法だ。そのようにルナや他の人間達は思っていた。
「…………」
だが、そうではない。マリフェリアスはアビスの攻撃を見て、それがどのようなものなのか悟っていた。
アビスが放っているのは魔法ではない。ただのパンチなのだと。
それはどうしようもない悪夢。自分達が魔王と呼ばれる者の前で、いかに無力であるのかを知らされる悪夢。自分達の全力を尽くして繰り出さんとしている必殺技を、魔王のパンチ1つで軽く凌駕してしまっているのだから。
まさか、これ程の差があるとは……
この状態は、マリフェリアスも思ってみなかった。アビスが相手でも、アーサーならばそこそこ戦えると思っていたのだ。このアビスの状態がベストだとするのならば、大苦戦した末に何とか勝利の形にした16年前の対魔戦争時のアビスは、本調子とは程遠い状態だったのであろう。それを今更ながらに痛感させられた。
終わりである。
アーサーは避ける。避ける。1発でも食らってしまえば、そこで即死となるパンチを避けていく。
だが、アビスの攻撃はそれで終わる単調なものではない。それが“ただのパンチ”である以上、アビスも攻撃を放ちながら動けるのは当然である。アーサーを追いながら、そのパンチを繰り出し始めた。
「!」
そして、アビスは早回りをしてアーサーの目の前に立ちはだかった。
しまっ……
気付いても、アーサーには回避する時間は残されていなかった。無情にも、アビスの拳は真っ直ぐにアーサーの体の中枢に向けて放たれる。
ドッ!
鈍い音が、やけにクリアーに響き渡った。
そのすぐ直後に、アーサーは知らされた。自分の回避は失敗したのだ。自分は、アビスに負けてしまったのだと。
そして、自分の戦いの人生は終焉を迎えるのだと。
走馬灯を廻らせながら、気付かされていた。