Act.133:死地
アーサー、貴様を殺しに来た。
アビスのその言葉と、アーサーのリアクション。それでマリフェリアスは悟っていた。
アーサーは死ぬ。殺される。そして、それによってこの場を丸く収めようとしていると。
「アーサー!」
「アーサー!」
「アーサー!」
「アーサー!」
「…………」
鳴り止まぬアーサーコールの中で、アーサーは体を少し伸ばしてみた。観客の声援が実に心地良かった。そして、思う。このような大きな声援を受けられる。自分は幸せ者なのだと。
その日々は終わる。今日、終わる。しかしながら、自分はきっと幸せだったのだとアーサーは思う。16年前から今までたくさんの幸せを貰い、そして今日は戦士としての最高の死に場所が与えられたのだと。
16年前にアビスやその家族にしたことを考えれば、こういう日がいつか訪れるのは分かっていたし、覚悟もしていた。だから、自分の死後も考慮に入れてこういう騎士試験を準備し、後進の育成に力を入れて取組んでいた。
それはまだ完成には至らなかった。だが、自分は今日死ぬ。仕方ない。ならば、この場を思い切り楽しむべきだ。
アーサーはそう思い、楽しそうな笑顔を浮かべた。この場を逃してしまえば、もう自分が戦士として死ねる場所は何処にもないのだと知っているから。
「…………」
コキ、コキ……
アビスはつまらなそうに指を鳴らしている。しかし、その間にも少しずつ魔力が充溢しているのが分かる。戦闘準備はいつでもオーケーなのだろう。
「はあっ!」
アーサーは魔力を充溢させる。様子見は必要ない。アビスは自分を殺す者としては十分過ぎる程の実力者である。最初から全力で戦うべきなのだ。
そうして、整う。
「いくぞ、アビス!」
アーサーは駆けてゆく。アビスへ、己の求めていた死地へと。
◆◇◆◇◆
階段を下りる。急いで下りる。走って下りる。転ばないように気を付けながらも、大急ぎで駆け下りてゆく。
踊り場を曲がり、いくつも段を飛ばして、息を弾ませながら下りてゆく。目的地を目指し、下へ、下へ、下へ。タッタッタッタッタッタッタッタ……
階段を下りる。急いで下りる。走って下りる。転ばないように気を付けながらも、大急ぎで駆け下りてゆく。
踊り場を曲がり、いくつも段を飛ばして、息を弾ませながら下りてゆく。目的地を目指し、下へ、下へ、下へ。タッタッタッタッタッタッタッタ……
階段を下りる。急いで下りる。走って下りる。転ばないように気を付けながらも、大急ぎで駆け下りてゆく。
踊り場を曲がり、いくつも段を飛ばして、息を弾ませながら下りてゆく。目的地を目指し、下へ、下へ、下へ。タッタッタッタッタッタッタッタ……
階段を下り……
「って、しつこいっ! 長過ぎるっ!」
いくら下りても、目的地の階層までなかなか辿り着けず、ちょっとモナミは苛立っていた。ここまで遠い場所とは思わなかった。
「秘密の場所だからねー」
そんな遠さを予め知っていたエクリアは、そう言ってただ苦笑いを浮かべるだけだった。
そう、エクリアとモナミは結界室に向かっていた。結界室に直接交渉に行こうとするエクリアに、モナミがついて来たのだ。目に見えぬあの場所で何かしら異変があったからこそ、いつまで経っても結界が張られているのだと感じた為だ。
しかし、そこまでの道程は結構遠い。
「これも、ある程度セキュリティを考えてなのだけれど」
「今回はそれが思い切り裏目に」
「…………」
エクリアは走りながら毒づくモナミに対して何も言えない。自分でもそうだったんじゃないかな~と思っていたので、ただ苦笑いを浮かべるだけだった。
「で」
モナミは頭を切り替える。
「後、どれ位で着きます?」
「もうすぐよ」
それはエクリアにも分かる。何も無ければ、結界室にはもうすぐ辿り着くと。そう。何も無ければ。
エクリアは走りながら道順を説明する。
「そこの階段を下まで行って、その扉を開けて、そこから出る通路の奥に結界室はあ……」
順路を説明しながら扉を開けるエクリアと、それについてきたモナミは、最後の通路へと至る扉を開けた瞬間、一瞬意識を失った。絶句した。
結界室へと至る一本道の通路、そこには所狭しと魔物がたくさん徘徊していた。それらは皆、大した力の無さそうな下級魔族ではあったけれど、それでもそこに現れている魔物の数は尋常ではなく、数えられない程と言うか、数える気力が起こらない程にたくさんの群となっていた。
「って、何これーっ!?」
女2人は叫ぶが、魔物の群で通路の往来さえも自由にいかなくなっているという事実は変わらない。しかし、これでエクリアは結界室が本部の意向に従わない訳を悟った。結界室は占拠されたと。
結界を張るのみ能が突出している結界師達には、戦う能力が無い。為す術も無く支配されてしまうだろう。そして、結界室とは外部から隔離されたような場所。セキュリティを考えてそのようにしている訳だが、それでは却って原状を結界師達が把握出来なくなった。結界を張り続けることが、どのような結果をもたらすか理解出来ない。そんな状況を生み出した。
この通路の往来を邪魔しているのは下級魔族。倒そうと思えば、すぐに倒せる。しかし、如何せん数が多過ぎる。それ故、ここを突破したとしても結界室に辿り着くまでにかなりの時間を要してしまうであろう。魔王アビス、そこまで策を練っていたというのか?
エクリアは絶望に襲われる。16年もの歳月をかけて行動に移してきたアビスの策謀に対し、為す術も見つからずに絶望するのだった。もう、戻るにも進むにも時間が足らないと。
「はっ!」
しかし、そんなエクリアの横でモナミは魔力を充溢させ、それを具現化させる。希望はほとんど失せてしまったが、それでもモナミの戦う意志は失せていなかった。
それは無駄になる可能性が大きいのに。
「モナミ?」
それでも尚、戦おうとする。その意志が何処から来るのか、エクリアには不思議だった。そんなエクリアに、モナミは訊かれるまでもなく答える。
「確かに、時間は全然足りないです。しかし、私達にはこうするしかない。戦うしかないでしょう?」
戦い、ここを突破する。突破して、結界を外して、そこから援軍を投入する。その為に全力を尽くす。
それを遂行する時間はいくらあっても足りないが、ここまで来たからには前へと進むしかない。可能性は限りなくゼロに近いが、ここで引き返せば良い未来の可能性は完全なゼロとなるのだ。
「そう簡単には我等の王はやられないと信じて!」
「そうね」
エクリアは答える。そして、魔力を充溢させる。戦闘準備はOKだ。
「諦めるのはいつでも出来る。ならば、今は足掻くのみ!」
やれることは全てしよう。やれる内に全力を尽くそう。タイムリミットが迫ってしまっているのだとしても。
エクリアは決意を固める。戦う意志を固める。
「それじゃあ、行きますか」
「ええ」
希望はまだ失われていない。繋がっている。
それを信じて、エクリアとモナミは自分の戦場へと駆けて行った。迷わず、真っ直ぐに。
◆◇◆◇◆
そうして、トラベル・パスBクラス試験会場最下層の廊下、そこでも戦闘の火花が出始めた。エクリアとモナミ、騎士2人と下級魔族の軍団との戦いである。一騎当千である騎士2人に下級魔族相手では、戦局は圧倒的にエクリアとモナミ側に有利であった。2人がやられる要素は何処にもなかった。
されど、これはタイムリミットの厳しい戦いである。相手の下級魔族の群も、どれだけ居るのか見当もつかない程に多い。そんな先の見えぬ戦いであるが故、エクリアとモナミは圧倒的に有利に戦いを始めながらも決して楽観的にはなれないでいた。
「こちらでも戦いが始まったようだな」
「そうですね」
その廊下の最奥、結界室のドアの前でラスターとチョウチャウは廊下の向こうを眺めていた。敵の姿は自分の前に居る下級魔族の背中のせいで見えないが、戦いの火花が散りだしたのは良く分かった。
戦局は向こう側が圧倒的に有利。多くの群を呼び出したところで、出て来たのは実力も並以下の下級魔族ばかりである。向こうが実力者であるならば、そんなに苦も無く突破出来る壁ではあった。
そして、どうやら向こうから来ようとしているのはその実力者であるようだった。ここに来るのも時間の問題なのかもしれない。
チョウチャウは訊ねる。
「追加して召喚しましょうか?」
「いや、いい。その必要は無い」
ラスターは答える。ここは、これだけで十分なのだと。
「この狭い場所では、あまり多くのモノを召喚したとしても意味は無い。戦う場所が限られているが故、一度にたくさんのモノがかかってゆけないからな」
相手を傷つけるという意味合いでは、その可能性は召喚した魔物の数が50だろうが100だろうが、同時にかかっていける数が限られてしまうので結果は大して変わらない。文字通り五十歩百歩だ。効果としては体力や魔力をちょっと削ってやれるといった程度であろう。
「そして、あの群を簡単に突破するような者が相手であるならば、それこそ端の魔獣の数がどれ程になろうと意味は全く為さなくなる」
戦車で蟻を相手にするようなものなのだから。その蟻が100匹だろうが1000匹だろうが、1発砲撃を繰り出せば終わる。そういうことなのだ。相手が大きな攻撃をしかけてこない以上、時間はかかるかもしれない。しかし、確実に突破出来る壁ではある。
「そして、忘れるな」
ラスターは言う。
「その後には私が居るではないか」
「そうですね。失礼致しました」
そう、それがチョウチャウの安心出来る要因の1つであった。自身が作った下級魔族の壁は、安心要因の1つにはなれない。なぜなら相手が実力者であって、なりふり構わない状態であれば、下級魔族の壁をあっと言う間に打破する方法は確実に存在するのだから。
そう、大きな攻撃で一気に打ち払ってしまえばいい。ここは狭い廊下である。一直線に大きな魔法攻撃を繰り出せば、ここに居る下級魔族などその一撃で全滅に出来る。もっとも、そうしてしまえば奥に居る結界師4人も皆殺しにしてしまうが。廊下と結界室を隔てているのは結界でも何でもないただのドアだから。
そうしないだけで、相手がまだまだなりふり構っている状態なのではないかとチョウチャウは思っていた。もっとも、その残酷な手段が思いつけないという可能性もなくはなかったのだけれど。
「ふふふ……」
チョウチャウは笑う。
その残酷な手段は、やったとしても成功はしない。ここにはラスターが居る。つまり、そのような大きな攻撃を繰り出したところで、その攻撃を彼がどうにかしてしまうのだ。それを突破するには、彼を上回る実力者でなければならない。魔の六芒星の筆頭であるラスターを越える実力者の攻撃でなければならない。故にまず不可能。
そして、タイムリミットはもうすぐやって来る。タイムリミットは我等の王、アビスがアーサーを倒すまで。儂の見立てでは、それまで後数分といったところである。その時間を守りきれば、それだけで我等の勝利なのだ!
勝利。ほぼ手中にした勝利。それを目の前にして、チョウチャウは笑うのだった。
◆◇◆◇◆
その一方で、試験会場からちょっと離れた場所。そこでは、さっきまでの喧騒とは打って変わって、静寂が周囲を包んでいた。耳をつくような騒音は何処にもなく、歌うような小鳥の鳴き声が綺麗に聞こえる。
クロードが開けた穴はそのままなのだが、その場所は平和に戻っていたのだ。
「くっ……」
その中、クロードは意識を少しずつ取り戻していった。そして、途切れ途切れの記憶を繋ぎ合わせて、今ある現状を把握しようとした。
ノエルの隙を縫って、魔力全てを籠めた攻撃を食らわせた。そのつもりだった。が、その攻撃はあっさりと回避されてしまった。その上で、背後に回られてノエルから攻撃を食らった。その場所から地面に叩きつけられ、大きなダメージを負った。
それ以降の記憶は無い。
しかし、それ以降もカオスがノエルと戦ったのだろうとクロードは予測した。そして、その戦いは終わったのだと。それを、この静寂が如実に告げている。
「あ……」
回復してきた視力で開けた視界に映る光景に、クロードは言葉を失う。
予想は出来ていたが、したくなかった光景だ。
「残念だったな」
「…………」
ニヤリと笑うノエルの肘が、カオスの鳩尾にクリーンヒットしていた。カオスは白目を剥いていて、その意識は失われていた。それだけの状態では、生死さえも不明であった。
ゆっくりとカオスの体勢は崩れてゆき、地面にそのままうつ伏せに倒れてしまった。
カオスはピクリとも動かない。
そんな倒れたカオスを見届けて、ノエルはハッキリと宣告した。
「任務成功」
それは、カオスとクロードの敗北を示す言葉でもあった。