Act.130:共同戦線
マオウアビス。
それは最初、観客達にとってはただの言葉だった。その言葉の意味するものを、一瞬理解出来ないでいた。ここは和やかな雰囲気のお祭会場なのだから。
しかし、すぐにその意味するところを理解し始める。
魔王アビス。
それは16年前に人間と対立した魔族の軍団の長。勇者アーサー達と戦い、その結果魔界へと封じられた者。その魔王アビスが今、此処に居る。今ここに居ると、実際に戦った勇者アーサーが言っている。
それは悪夢。
「魔王、復活だ」
「アビスだ」
「あ、嗚呼」
観客は怯える。震える。暗黒時代の再来と思い、恐怖に陥る。そして、悲鳴を上げ、叫び、混乱に陥るのだ。
「うあああああ!」
「魔王が来たー!」
「逃げろ! 殺されるぞー!」
悲鳴を上げる。逃げる。暴れる。混乱となる。
観客は一斉に席を立ち上がると、我先にと会場から逃げ出そうとした。だが、観客席は満員。それが一斉に出ようとすればするだけ、出入り口は詰まって混乱となる。その状態が観客の恐怖心をさらにかき乱し、さらなる恐怖へと叩き落していた。
観客席はパニックである。
『皆さん、落ち着いて下さい!』
その時だった。会場へのマイクを通して、1つの声が響き渡ったのは。
「!」
パニックに陥っていた観客達は、その声を耳にして一瞬自分を取り戻した。そのちょっとした間を縫って、その声の主、エクリアは凛とした声で観客達に告げる。
『私は治安局長のエクリア・フォースリーゼです。賊は、魔族は、魔王だろうと何だろうと我々騎士団、そして我等が勇者アーサーによって必ず排除します!』
力を合わせて倒す。絶対に倒す。人々の生活の平穏の為に。
エクリアの声には、その意志がみなぎっていた。だから、混乱する観客に堂々と言うのだ。
『混乱は禁物です。そうすれば、全ては敵の思う壺! 焦らず、慌てず、係員の従って順に退避して下さい。以上!』
エクリアは言葉を締めくくる。
観客達はその言葉を聞いて戸惑っていた。しかし、自分達が恐れている魔王アビスの前に、勇者であるアーサーが居るのも事実であり、戦おうとしているのも事実。そして、その勇者アーサーは16年前に魔王アビスを倒し、自分達の英雄となった。そのことを今更のように気付かされていた。
恐怖による絶望、それは勇者が戦いに赴くという希望に変わる。
「そ、そうだよな。俺達には勇者アーサーがいるんだよな」
「ああ。16年前に倒しているんだぜ」
「今度もきっと大丈夫さ」
勇者アーサーが魔王アビスを倒してくれるであろう。過去の勝利からくるその希望が、観客のテンションを上げる。絶望に彩られた心を明るいものに変色し、喜びへと変える。
「アーサー王が魔王アビスを倒すぞ!」
「そうだ! 俺達は応援で支えるんだ!」
観客の中から恐怖を訴えるマイナスの言葉は次第に消えていった。観客の中の誰かが始めたアーサーコールが広がってゆき、それによって覆われ始めていった。
「アーサー! アーサー! アーサー! アーサー!」
「アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー!」
「アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー! アーサー!」
アーサーを、勇者の名前をコールする声が会場中へと行き渡った。会場の全てがアーサーの味方であり、会場の全てがアビスの敵であった。人々は皆アーサーを讃え、アビスを否定した。
「アビスよ、これが我が民の声だ」
アーサーはアビスに言う。
「この世界に貴様の居場所は何処にも無い。薄暗い魔界へと失せろ!」
「下らんな。下らん虚栄心だ。脆弱な人が万物の霊長であらんとするが為の虚偽であり、愚鈍な支配欲求でしかない。この世界とて、人間のみのものではないのだ」
アビスは否定する。アーサーの否定するものを。
それは平行線。決して交わることはない。互いに否定することによって、ここにあるという存在意義が初めて生まれているのだから。勇者として、国王として、アーサーは民を傷つけた魔族を許してはならないし、魔王として、アビスは魔族を傷つけた人間を許してはならない。
双方は許し合えない。その気も無い。だから、問答は無駄。
アビスは告げる。
「下らん問答は、もうするつもりはない。死ね、アーサー」
「…………」
やまないアーサーコールの中、アーサーは冷静沈着な目でアビスを見据えていた。見極めていた。
アビスはこの日を焦点にしているのに間違いなく、体力も魔力も全開な状態であろう。自分とて調子は悪くなく、寧ろ良い方ではあるが、どんなに自分を贔屓目に見ても実力はアビスの方が上で間違いない。
民は全て自分を応援している。その勝利を信じている。しかし、このままでは確実にアビスによって殺されるだろう。
アーサーはそのように感じていた。
「私も戦いますよ、国王」
「リスティア・フォースリーゼ」
そんな雰囲気を感じたのか、リスティアはアーサーに共闘を申し込んだ。力を合わせてアビスを倒そうという話だ。
正直、初対面であるアーサーの命はリスティアにしてみれば他人のものと大差はなかった。だが、アーサーは国王。
「今、貴方に死なれるとこの国は、世界は困るんです」
王が死ねば障害が生じる、自分の生活に。全ての人の生活に。ましてや、勇者としてカリスマ性の高いアーサーの死である。その影響は計り知れない。
「…………」
確かに。
アーサーは感じていた。自惚れでも何でもなく、冷静に物事を考えた上で。そうして客観的に見ても、自分が今死ねば世界は混乱に陥るのは明白。
だが、人はいつか死ぬ。俺も人である以上、いつかは死ぬ運命にある。
アーサーは思う。
その原因が寿命なのか、病気なのか、人為的な何かか、それとも他の何かか、どのようなものになるのかは知らない。しかし、そのどれであるにしろ、人である以上いつかは必ず死ぬ運命にあるのだ。
そう。人ならば……
「…………」
落ち着いたか。
演説を終えたエクリアは、アーサーコール一色になっている観客席を見てホッとしていた。混乱が起きず、順序良く退避してくれれば、憂うべきなのはいかにして魔王アビスを倒すかのみになる。
とりあえず結界部に連絡を入れて、援軍を入れる為にその結界を……
と、思考が至ったところで初めて気が付いた。結界を解けはしないと。
「まずいわね」
リングの状況を見ながら、マリフェリアスも言っていた。これはとてもまずい状況にあると。
「え?」
「元々、魔王なんて人2人が力を合わせた程度でどうにかなるような存在ではないわ」
マリフェリアスは昔を思い出しながら言う。
「16年前も私達4人だけでなく、世界から兵士を集めて、その上で伝説の封印具を使ってやっと魔界へ追い返せただけなのだから。しかし……」
「その封印具は、今ここには無い」
サラには予想がついた。そして、マリフェリアスはその答に対して首を縦に振る。
「その通り。でも、まあ…その封印具があったところで、それを使うには大きな魔方陣を用意しなければならないから、どっちにしたって今すぐの使用は出来ないけどね。だから、この場では選択出来る選択肢は3つに限られてしまう」
マリフェリアスは1つずつ挙げていく。
「1つ目、このまま見殺し。アビスの目的はあの子の命だけだろうから、それでも多分観客の命は失われないとは思う」
「酷っ」
「2つ目、リングの周りの結界を解いて、そこから援軍を入れて戦いに挑む。但し、これを選択した場合、結界で観客の命が守られないので、そのとばっちりを受けて多くの観客が死ぬ。援軍もたくさん死ぬ。死者がいっぱい出る選択肢ね」
「…………」
想像もしたくない光景であった。
「そして、3つ目。アビスがしたように、結界の穴であるリングの真上から同じように援軍を投入していく。この場合、結界はそのまま保たれているので、観客の命はとりあえず守られる」
「それだっ!」
サラは叫ぶ。だが、その言葉をリニアが否定してしまう。それは選択肢としてあるだけであり、使いものにはならないのだと。
「しかし、結界を越えるような空を飛べる使い手は非常に少ないので、その中に入られる人員は非常に限られたものとなってしまう。これではパワーにはなりえない」
「その通り」
マリフェリアスは認める。もっとも、彼女としても同じようにただあるといった意味合いだけで言っただけだ。だから、この選択肢も選べはしない。1も駄目、3も駄目と言うならば……
「酷いようであっても、2つ目の選択肢が最も適当だと思うよ。アビスとて故意には観客を殺していこうとはしないだろうからね」
そう言ったところで、マリフェリアスは特別観覧室の出入口の方に視線を向けながら言う。
「と言うところでどうかしら? そこの治安局長さん」
「!」
その出入り口の所には、マリフェリアスの言う通りにエクリアが立っていた。困った様子で立っていたのだ。
「気付いてらっしゃったんですか?」
調子のいいこと言っても、実は策なんか何も無いということも。実際に初めて魔王アビスを目の当たりにして、どうしようも出来ないんじゃないかと思っていることも?
「勿論♪ 気付かない訳がない」
何が勿論なのか、マリフェリアス自身も適当に言ってるので分かっていないのだが、マリフェリアスの顔は自信に満ちていた。そんな顔のままエクリアに指示を出す。
「じゃ、アンタは結界を解くようにすぐ連絡をなさい。その上で、援軍要請。OK?」
「はい。了解です」
「そして、その援軍が到着するまでに、ここに残っている戦える者は皆、援軍の一部として選手入場口に集まっておくこと、ですか?」
「そうなるわね」
「共同戦線ね~」
「ええ。それじゃ、行くわよ」
マリフェリアスは号令を出し、選手控え室を経由して選手入場口へと向かって行くことにした。選手控え室にはカオスとルナが居る筈。合流して戦おうという算段だった。そこに行くのはマリフェリアス、マリア、リニアと、カオスの魔剣であるアリステルだけであった。
しかし、そんなマリフェリアスも気付けないでいた。選手控え室にはカオスが居ない。そして、カオスはそこに行くどころではないと。
けれども、マリフェリアスは思っていた。そのように人を集められたところで、それは即興で作られた烏合の衆でしかない。それでは、100%の調子である筈のアビスには勝てないだろうと。どんなに人を集めたところで、マトモにぶつかってはアビスに勝てるはしないだろうと心の何処かでは思っていた。
◆◇◆◇◆
その会場のちょっと外れ、そこではカオスとノエルの戦いが続いていた。拳と拳、足と足、魔力と魔力の激突音が周囲に響いていた。その中で、クロードは気絶していた。しかし、クロードの漆黒の意識の中に、その激突音が少しずつフェードインし始めていた。
意識が戻ろうとしていた。
「く……」
体の背中の辺りがまだズキズキと痛んでいた。しかし、今は痛がっているような場合ではない。力の限り、命の限り、戦わなければならない。そんな時だ。
「はっ!」
気合いを入れて、クロードは目を開ける。そして、立ち上がる。その時だった。
ドガッ!
その激しい激突音と共に、カオスは大きく後方へと吹き飛ばされたのは。その場所はちょうどクロードの隣で、奇しくもカオスとクロードはその時に視線が合わさった。
「やっと気付いたか」
「ああ」
「動けるか?」
「何とかな」
「それならいい」
このままでは完全に手詰まりだが、クロードが動ける状態ならば何とか手が打てなくもない。カオスはそのように感じていた。もっとも、それさえもただの気休めにしかならないが。
それでもやらないよりはマシだろう。カオスは作戦を伝える。
「聞け。俺とお前では、今日2試合少ない分、お前の方がパワーは残っている筈だ。単純計算でな」
「あ、ああ」
ずっと休まず戦わされたカオスと、最初に1試合やって負けてから戦っていない自分、それを対比するまでもなく自分の方が力は残っているであろう。クロードは分かっていた。絶対量ではカオスの方が上だろうが、現在量は自分の方が上であると。
そして、それだからこそカオスは言う。
「俺が奴をひきつける。お前はその間に隙を窺い、今ある魔力を全て奴にぶつけるんだ。出し惜しみせずにな」
「分かった」
そうするしかない。
それはクロードにも分かっていた。カオスでなければノエルの攻撃にはついていけないが、パワーを失っているカオスではノエルを倒せるような魔力は用意出来ない。クロードの魔力でもそれが出来るかどうかは分からないが、今のカオスに比べればまだ可能性はあるといったところだ。
ならば、それに賭けるしかない。
「いくか!」
まずはカオスがノエルに向かっていく。真っ直ぐに攻め込んでいって、その拳をふるい、蹴りを繰り出す。それらの攻撃をノエルは簡単に受け止め、簡単に防御していく。
ノエルは完全に手抜きである。カオスで遊んでいた。それはカオスにも感じられていた。だが、それはカオスにとってみても都合が良かった。時間が稼げれば、クロードの攻撃を炸裂させる隙を生みやすいからだ。
もっとも、それで倒せるとは最初から思っていない。ただ、ダメージを与えさえ出来れば、そこから逃げる隙程度は作れるのではないかと思っていた。瞬間移動魔法で誰かのもとに行ければそれでいいのだから。
そう作戦を立てながら、カオスは激戦を繰り広げてゆく。その様を落ち着いた目で見ながら、クロードはゆっくりと上空へと浮かんでゆく。見渡しの良く利く上空で、ノエルの動きを観察する。そして、そうしながら魔力を充溢させていった。
「くおおおおっ!」
体の底から、全てから、ありったけの魔力よ集まれ!
クロードはそう願いながら、その集中を高めていった。ここが踏ん張りどころ、力を出し尽くすところだ。クロードは、そしてカオスも、そのように悟ってその全力を出し尽くそうとしていた。
が、その対するノエルは相変わらず楽しそうな笑みを浮かべたままだった。