Act.129:勇者抹殺計画-Mission Arthur-
デオドラント・マスクこと、ロージアよりも強い?
ノエルのその言葉を、一瞬クロードは信じられなかった。信じたくなかった。
「ハハ。ハッタリだ…」
「ったらいいな。ありえねーけど」
クロードが言い終える前に、カオスは否定する。ノエルがロージアよりも強いというのがハッタリだなんて、可能性としては限りなくゼロに近いとカオスは踏んでいた。
「た、確かに」
クロードもカオスの言葉を信じる。ハッタリというのは、単なる自分の望みでしかないとクロード自身自覚はしていたのだ。
ノエルは間違いなく強い。クロードは悟っていた。
なぜなら、ここでそんなハッタリを言うメリットは無い。すぐに戦って、そんなメッキは剥がれてしまうのだから。そして、それが分からないような馬鹿をこんな場に魔王アビスは連れてこないし、俺たちの足止めに使うとはとても思えない。
だから、覚悟を決めなければならない。これから行くのは死地。クロードはギュッと決意を決めてノエルを真正面から見据える。
「♪」
そんなクロードの決意とは裏腹に、ノエルの表情は楽しそうなものであった。余裕でもある。
だが、そんなものはどうでもいい。カオス達はカオス達で、自分のベストを尽くすだけだ。相手が油断していようがしていまいが。
「は!」
まずはクロードが魔力を充溢させる。集中し、己の中にある魔力を引き出してゆく。それは勿論、100%の状態ではなかった。だが、試合終了からしばらくの時間を置いてあるクロードの魔力には、それに近いものがあった。それを、カオスも感じていた。
結構回復しているなと。
しかし、それを見て真正面で立っていたノエルは思っていた。
こんなもんかと。このトラベル何ちゃらに出ている人間は、人間の中では実力者の部類に入るのだろう。けれども、所詮は人間。魔族のそれと比べると、大したものにはならない。なっていない。
ノエルは少しガッカリだった。面白くはならなそうだった。
「はっ!」
魔力を充溢させたクロードは、真っ直ぐにノエルに向かっていく。攻め込んでいく。その後ろで、カオスもしょうがないといった感じで魔力を充溢させ始めた。
まずはクロードの攻撃。ぐっと踏み込んで、魔力の籠もった左の拳を真っ直ぐにノエルに向かって繰り出す。その突きを、ノエルは軽く左手でガード。拳の流れをそっと横に流す。
さらにクロードの攻撃。ぐっと踏み込んで、魔力の籠もった右の拳を真っ直ぐにノエルに向かって繰り出す。その突きを、ノエルは右手でガード。右手で拳を横に流す。さらに、そこから前へ踏み出して即座に反撃の回し蹴り。
その間髪入れない反撃に、クロードは何も出来なかった。その蹴りを胴体にモロに食らってしまう。
「ぐはっ!」
クロードは大きく飛ばされる。グルグルと体は回転し、地面に当たる。勢い余ってバウンドする。さらに飛ばされる。それを何度か繰り返し、最終的には近くの樹木にその背中を強打する。クリーンヒットであった。痛恨の一撃と言ってもいい位に。
「…………」
その頃には、クロードの瞳の中の光は失われていた。その瞳は何も映さず、その口は何も言葉を発しない。体を覆っていた魔力の輝きは次第に失せていって、それはすぐに消えた。それと共に、樹木に叩きつけられたクロードの体はゆっくりと地面に落ちた。
ドサリ。
土の上にクロードの体は横たわるように落ちた。その体は、もう動きを一切見せなかった。気絶である。
「…………」
死んではいないと思うが……
これ以上戦うのは無理だろう。カオスは判断した。あの攻撃で殺される程、クロードはやわではなかった。ただ、一撃でのされてしまった以上、ここで気を取り戻したとしても、ノエル相手にマトモな戦力としては期待出来ないといったところが現実。
そして、それはカオスとしても大差はないだろう。
「チッ」
相手の方が実力は上と思っていたが、これ程にまでに差があるとはカオスは思っていなかった。これでは、ここをどうにかする希望は無いように見えた。
ノエルを倒す。それは無理。仮に100%の状態であったとしても、実力はノエルの方が上である。その上、こちら側としてはかなり体力と魔力を消耗している上、クロードは戦力として期待出来ない。勝てる見込みは無い。
走って逃げる。それも無理。ノエルの方が実力は上なのだから、どう走ったところですぐに追いつかれるのがオチ。
瞬間移動魔法で逃げる。これも無理。魔法は発動までに時間がかかる。そして、その間は無防備となる。それまでの間、ノエルが見逃すとは思えない。そこを攻撃してしまえばお終い。
どうするか?
考える。だが、そんな時間は許されない。
「じゃ、今度はこっちから行くぜ?」
そう言うが早いか、ノエルはカオスに向かって真っ直ぐに攻め込んできた。それは、策も何も無い。ただの猪突猛進のようなものであったが。
早い!
カオスは感じた。ノエルのスピードは、ロージアのそれよりも随分と速い動きだった。やはり、ノエルがロージアよりも強いというのはハッタリでも何でもない真実であったようだ。
そう感じていたカオスに、ノエルは足を踏み込んで真っ直ぐに拳を繰り出す。カオスは少し斜に構えて、それを何とか流して防御。そこからカオスは即座に反撃。拳を繰り出す。しかし、ノエルはそれを難なく防御。
「クソッ!」
だが、カオスはそこでやめはしない。拳をどんどん繰り出す。右、左、右、左、ノエルに攻撃する間を与えないようにどんどん攻撃を繰り出していく。けれども、それは功を奏さなかった。ノエルは、それら全てを難なく防御してみせた。
「ふふ…」
ノエルは笑う。余裕の笑みだ。
一方で、カオスは笑わない。笑える状況ではない。このほんの僅かでしかないやり取りだけでカオスには分かる。パワー、スピード、魔力、そういった戦いにおいて最も重要視されるファクターのどれもが、自分よりもノエルの方がずっと上であると。
その上でノエルは確実に手を抜いている。いつでも倒せるのに、そうしないで何処までやれるか様子を見ていると言うか、大人が未熟な子供の相手をしているようなものだった。
ノエルはただ拳を振るったりしているだけ。策も何もない。だがそれだけで、カオスの身を包んでいる魔力のガードは少しずつではあるが確実に破壊され続けていた。
ゴッ!
カオスは何とかノエルの攻撃を防御していたが、し切れずに1発ノエルのアッパーが顎にヒットしてしまった。その影響で顎近辺を揺さぶられ、カオスはふらつかされる。
「クッ」
だが、カオスはふらつきながらも何とか体勢を整え直し、倒れずにノエルを真っ直ぐに見据える。そんなカオスの口元から一筋の血が垂れる。
「へぇ」
ノエルは楽しそうに笑う。
「さっすがぁ♪ 結構タフじゃんか。モロに顎に入ったんだけどなぁ♪」
「チッ」
嫌味か、この野郎。
楽しそうに笑うノエルの笑顔さえ、カオスには忌々しかった。向こうにとってこの戦いは殆ど遊びなのだろう。それも、勝つと決定付けられたワンサイドゲーム。
そんなものに赴かなければならない。それは特攻隊の一員にさせられた上で、戦場に置き去りにされた気分だった。そんなカオスの頭の中にある言葉は一言。
勝てねぇ。
ロージアには奇策等を用いて試合での勝利はした。しかし、このノエル相手に実戦で勝てるような奇策は持ち合わせていないし、仮に何か思いついたところでそれが通用するとは思えない。
勝つ希望はない。何処にもない。なぜなら、今のカオスは強い大人に向かっていく小さな子供と同じようなものなのだから。
◆◇◆◇◆
その頃、リスティアとアーサーは拳を交えていた。右の拳、左の拳、右の蹴り、左の蹴り、リスティアはどんどん繰り出していくのだけれど、アーサーはそれを全て防御していた。アーサーが特別素早い動きを見せて居るようには感じられない。だが、秘めているようには感じられる。
この試合、アーサーは本気で戦っていない。
リスティアは感じた。この戦い、アーサーは遊んでいるだけだと。新しく現れた自分の力量を見極めようとしている。いや、ちょっと見てみたいと思っている。それだけなのだと。
バチッ!
拳と拳、魔力と魔力がぶつかり合い、その反動でリスティアとアーサーは後方へと飛ばされた。その勢いに乗ったままリスティアもアーサーも空中でその体勢を整え直して、綺麗にリング上へと着地する。着地して、自分の対戦相手を真っ直ぐに見据える。
アーサーは口元を緩めて、少し笑う。
「その歳にしては、なかなかやるな。が、一流の戦士としてはまだまだ修練不足だ」
この程度で満足されては困る。
アーサーは思う。この程度の力で終わる戦士ならば、これからもどんどん出てはくるだろう。しかし、その程度のものでは価値は無い。ただ軍の中の一欠片にしかなれない。
一騎当千として立ち上がっていくには、それを遥かに凌駕した実力を身に付けなければならない。リスティアにはその素質はある。だが、今の状態ではまだまだ先は遠い。
「…………」
リスティアは何も言わない。今の状態で、アーサーとの実力の差は身を持って感じていた。
「試合はまだ続く。お前の全てを見せてみろ」
「いや、試合は終わりだ」
「「!」」
何処からかアーサーの言葉を否定する声が聞こえた。そして、その声が静寂の中の大会会場に響いたかと思うと同時に、1つの人影が上空からリスティアとアーサーの間に下りて来た。
ザッ。
深く帽子を被ったその者は、会場の3階席よりも遥か上の方から苦も無く着地した。そうして、長い金髪をなびかせながら口元を少し緩ませる。
そんな闖入者とは逆に、アーサーの口元からは笑みは消えていた。口元は真っ直ぐに戻り、目つきは鋭くなって、その闖入者を睨みつける。その時にアーサーは感じていた。
ああ、祭は終わったのだと。
だが、無論そのようなことに観客は気付く筈もない。ただ、闖入者が乱入したと思い、戸惑うだけだ。憤るだけだ。
「何だ、アイツ? 酔っ払いか?」
「いい試合してんだ。邪魔すんなー」
「邪魔者はとっとと引っ込めー。大会役員は何やってんだー?」
「ククク」
だが、そんな声を闖入者は耳にしない。聞こえてはいるが、相手にしない。あくまでもマイペースで、ゆっくりとアーサーにその視線を向ける。口元は緩めたままで。
「よう、勇者アーサーよ。ああ、今はアーサー国王か。久し振りだな。会いたかったぜ」
「俺は別に貴様なんぞに会いたくはなかったがな」
アーサーは歯をキリリと噛み締める。少し苛立っていた。会いたくない相手がここに居る。いつかは会わざるをえないと思ってはいたが、今は時期が悪い。状況も悪い。そんな相手が目の前に居る。
「ずっと引っ込んでればよいものを」
「フッ。殊勝なことだ。俺をちゃんと覚えていたようだな」
「当たり前だ。貴様のその悍ましい顔、声、死ぬまで忘れはせん」
笑う闖入者に対し、アーサーはあくまでも憎しみに似た感情をぶつける。和やかなムードのこの大会に水を差すミッシングピース、それに対する不快な感情ではない。アーサーの心境は今、ここで16年前のあの頃に戻っていた。
それは闖入者も同じ。
「同感だ」
同様に、お前のことが不快でしょうがない。
そのように言って闖入者は笑うのだ。
そんな中、司会兼審判はマイペースに自分の職務に忠実であろうとする。闖入者は出てもらわなければならない。
『あ、あのぅ。そこの帽子を被った長い金髪の方、今は試合中ですのでリングから…』
「近寄るな!」
出ていってもらえますか?
彼女のその言葉は音にはならなかった。その前にアーサーが遮った。そして、その言葉に驚いて司会兼審判の彼女は、近寄ろうとした足をそこで止めたのだった。
「今更……」
アーサーは闖入者を睨む。そして、怒鳴りつける。
「今更何の用だ、魔王アビス!」
「!」
会場に居た者達、そのリングでのやり取りを見ていた者達の中に戦慄が走る。この和やかなムードのこの大会に水を差すミッシングピース、それは人々が最も恐れるものであった。そうであるとアーサーが告げた。
にわかには信じられない。信じたくない。だが、魔王アビスと戦った勇者アーサー本人が、間違えよう筈がない。嘘をつく筈がない。
だから、それは真実。
「ま、魔王?」
司会兼審判の女性は、その言葉を聞いて肩を震わせて怯える。周りの一般観客も同じようなものだった。
そんな中、そんな空気や声をアビスは無視して口元を歪めて笑う。
「何の用? 愚問だな。俺がこんな所に来た理由など、1つしかあるまい」
そして、真っ直ぐにアーサーを見据えてアビスは言う。
「アーサー、貴様を殺しに来た」
その言葉がMission A(Arthur)、勇者抹殺計画の表層化の言葉であった。