Act.011:免許受領
トラベル・パスCランク試験が終了した次の日の晩、いつも通りの静寂に包まれた家のリビングでカオスとマリアは向かい合って座っていた。
「は?」
カオスは唖然とする。その向かい側で、マリアはいつもと同じような微笑みを保っている。その笑顔のままで、マリアはもう一度カオスに説明する。
「だからね、カオスちゃん。トラベル・パスを発行してもらうには、ちゃんとそのセンターに行かなきゃなんないのよ~。それでぇ、このルクレルコ・タウンにはそれが無いって訳。だから、別の街に行く必要があるのよ~♪」
その言葉をもう一度聞かされて、カオスはより一層嫌そうな顔をした。
「面倒くせーな」
パスの一つや二つ郵送で送ってこいよ、とカオスは思ったが、どうやらそれはパスに写真を入れるとかどうとかで出来ないらしい。かと言って、試験中にそのようなことをできる暇は無いだろうし、試験前にそれ用の物を送るのも双方に手間がかかる。
要するにどうしようもない。従うしかない。カオスは溜め息をつく。それを見て、マリアは笑う。
「そうぼやかないの~。今度の休みの日に一緒に行ってあげるから~」
「しゃあねぇな」
カオスは頭をかいた。
面倒臭い。それもカオスの本音ではあったが、その一方でカオスは楽しみにもしていた。行くのはルクレルコ・タウンから南に行ったところにある港町アヒタル。今まで自分の行ったことの無い場所だからだ。
何か特別なことがある。そんな気もしたのだ。
◆◇◆◇◆
時は過ぎ、あっと言う間に休日になった。良く晴れた五月晴れの休日の午前11時頃、カオス達は港町アヒタルに到着した。メンバーはトラベル・パスCランク試験を突破したカオス、ルナ、アレックスと、引率や案内としてついて来たマリアの四人だ。
カオスとアレックスは久し振りに見た海に向かって並んで仁王立ちをする。そして、馬鹿二人はその熱き心のままに大きな声で叫ぶ。
「「う~み~っ!」」
カオスとアレックス、馬鹿二人の叫びが木霊する。
山に行った時に、山に向かって「ヤッホー」と叫ぶようなものだ。彼等の中では。そして、アレックスは心の中にある熱き情熱と自称する、阿呆な妄想を吐露する。
「海! 海と言えば水泳! 水泳はトレーニングの基本だ。全身運動だからな。その全身運動によって、さらなる肉体の強化をはかり」
「って、暑苦しいわボケッ!」
脳内トレーニングモードに入る途中で、カオスによるツッコミがアレックスに入れられた。カオスは、男としてふがいないように見えるアレックスに溜め息をついた。
「ったく、お前は脳ミソまで筋肉になっちまったのか? そんなんより重視すべきことはあるだろうが」
カオスは視線を遠くに見える砂浜に向ける。
「海。海と言えば水着だ。セクシーな水着に身を包み、水と戯れる美女達。アレが無きゃ海に来たかいが無いってモンだろう。そして、ビーチバレー。美女がボールをつくたびに揺れる乳! 揺れる乳! 揺れる…」
「…って、カオスちゃ~ん。いい加減にしてくれないかしら~」
脳内エロエロモードに突入しかけたカオスの肩に、そっと手が置かれた。カオスは油の切れたロボットのような動きでその方向を振り返る。見るまでもない。その手は、姉であるマリアのものだ。
「………」
見たくはなかったが、一応カオスはマリアの方に目を向ける。マリアの顔はいつも通りの笑顔に見える。だが、心の中では笑っていない事に、約16年一緒の家に住んでいるカオスは気付いていた。
マリアはいつもと同じ笑顔のように見える顔で、いつもと同じ優しい声に感じられる声で、カオスを諭す。
「カオスちゃん、ここは人通りが少ないとは言っても、もう他所なのよ~。だから、そういった恥ずかしいことは絶対にしちゃダメ。分かった~?」
「ハイ。分カリマシタ。絶対ニヤリマセン、オ姉様」
カオスは壊れかけのロボットのようなチグハグとした声で首を縦に振った。
「じゃ、先に行きましょうか~」
マリアはカオスの快い返事を貰って、いつもと同じ満足そうな微笑みに戻り、トラベル・パスのセンターに向かって先を歩き始めた。カオスはその後をゆっくりと歩き始めていた。
そんな姉弟のやり取りを一部始終見ていて、アレックスは笑っていた。アレックスはカオスのすぐ隣に寄り、カオスの耳に前を歩くルナとマリアには聞こえない程の小声で話しかけた。
「クククク、流石のお前もお姉さんの言う事は良く聞くじゃねぇか。このシスコン野郎が」
変わらずお気楽モードなアレックスに、カオスは話しかけてきたアレックスと同じ位のボリュームの声で返す。
「馬鹿野郎。お前、分かってねーんかよ。姉ちゃんは普段は極甘だけど、Hに関しては鬼のように厳しいんだぞ」
「え?」
「この前、ベッドの下のエロ本が見つかった時にはなぁ……」
と言いかけた所で、カオスの顔が暗くなる。その時の様子が、脳裏にフラッシュバックしたようだ。グラデーションのようにどんどんカオスの顔は悲愴なものに変貌していく。その様子を見て、アレックスは少し焦った。
「ななななな、何だ? 何だってんだ!?」
だがそんな二人とは対照的に、少し前を歩くルナとマリアは明るい顔をしている。マリアはいつも通りの笑顔でカオスとアレックスの方を振り返る。
「ほら~、二人共何してるの~? 早く行くわよー」
「ああ」
カオスは既にいつも通りの顔に戻っており、マリアの方にトコトコと歩いていった。アレックスはその後姿を見ながら、どっと疲れが出たような気がしていた。
訳分からん。
アレックスは三人の少し後ろを歩きながらそう思っていた。
まずは、マリア・ハーティリー先生。ずっと穏やかな人だと思っていたが、あのカオスの表情と話からするとそれだけではないらしい。Hに関しては厳しい人らしい。
あれ? だが、そこに一つ疑問が残った。アレックスは少し前の教室での出来事を思い出していた。
ある日アレックスはカオスを含まないクラスの悪友と、教室内でエロ本を眺めつつ、それに関して討論をしていた。その最中に、教室内にマリアが入ってきたのだ。学院の教師陣の中で最も若いとは言え教師は教師、その本を取り上げられたり、説教されたりする位は覚悟したのだが、彼女からはとくにお咎めは無かった。ただ、そういうのを学院内に持って来てはダメよ、と口頭で言われただけだったのを覚えていた。
厳しい? 全然厳しくなかった。
顔を上げ、アレックスはもう一度前を歩くカオス達三人の姿を視界に入れた。カオスはもう、いつもの阿呆ヅラでルナと何やら言い合いをしていた。その様子を見て、アレックスはカオスに訊いたところで、もうそのことを訊ねても答えはしないだろう。覚えてすらいないだろうと分かった。
謎は謎のままだった。カオスに関しても、その姉のマリアに関しても。知りたいという欲求はあったのだが、変な捜索は失礼にあたると分かっていたことと、頭の片隅にある「どうでもいいじゃねぇか」という思考が、アレックスの中でその疑問を喪失させた。
アレックスは息をつき、歩みを速めてカオス達の場所に追いついたのだった。
尚、余談ではあるが時はまだ五月の初め、アヒタルは温暖な気候の街ではあるが、水着を着たギャルは街を歩いていたり、海水浴をしていたりはしない。水着回にはならないのだった。
◆◇◆◇◆
一方それよりいくらか前の時間に、アレクサンドリア連邦の何処かへ三人の魔族が到着していた。一人の上級魔族の少女に、その配下の二人の中級魔族だ。上級魔族は魔界と人間界の間の暗いトンネルをやっと抜け、人間界の空に浮かぶ太陽の眩しさにに目を細めつつも、浮かれたような表情で変なポーズを取った。
「よぉし、人間界に到着したよ☆」
「そうですね。では、先を急ぎましょう」
金髪の少女、フローリィの隣でその配下の一人である、牝蛇型の魔獣が彼女の言葉に同調する。その声を聞いて、フローリィは彼女の方を振り向く。フローリィの目に、眩しい太陽によって白日に晒された彼女の姿が入って来た。
そして爆笑。
「だーっはっはっはっはっは! 何、そのカッコ! 変! 変過ぎる! イーッヒッヒッヒッヒ! もう、ダメ!」
彼女は蛇型の身体を白布で包み、人とは造作のかけ離れたその顔にはお面を被っていた。オカメのを。その珍妙な格好を、上司であるフローリィは涙を流しながら笑っていた。
その上司の非道な行為に対し、部下である蛇型魔獣は抗議する。
「わ、笑うなんて酷いです! しかも息が苦しくなる位大爆笑するなんて! 私は人間界の中で不自然じゃないように変装してきたんですよ!」
お面の中の素顔は、悲しみで涙を流していた。だが、それはお面のせいで目に見えないので、誰も気付くことは無い。だから、フローリィはそれにトドメを刺す。
「いや、却って怪しいし」
「ウム」
怪しい彼女と同じ立場である筈の、もう1人の中級魔族もそれに同調する。そして、彼(?)は胸を張る。
「ダガ、ソノ点俺ハ、トテモトテモ自然ダ」
「お前はでか過ぎ。と言うか、さらに不自然だし」
少し調子に乗った彼に、フローリィと蛇型魔獣の二人のツッコミが同時に入った。
彼の服装は自然であった。その外側のスーツとシルクハットだけは。だが、その中に彼は甲冑を着ており、その甲冑の尖った部分が、スーツを破って外に晒されていた。さらにシルクハットも兜の上から被っていたので、兜の角の部分も、シルクハットを突き破って外に出ているのが見えていたのだ。
そんなゴーレムの一種である彼の体長は約4メートル。何処からどう見ても、人間に見えなそうだった。
「アンタ、馬鹿か」
フローリィの容赦無いツッコミに、ゴーレム型魔獣は慌てる。自分なりに自然な格好を演出したつもりでいたのに、そこまで否定されるとは夢にも思わなかったからだ。
「ソ、ソンナコト無イ。俺、トッテモ自然。ソンナニ否定スルナラ、近クニ居ル人間ニデモ」
彼は必死に弁明しようとするが、そんな彼の弁明を聞く者は居なかった。フローリィもオカメお面の蛇型魔獣も、そのような馬鹿の話にいつまでもつきあってるつもりは無かったのだ。
「さぁて、さっさと行こうか」
「そうですね」
「行くのは何処だったっけ?」
「試験は終わったので、そのセンターのある港町アヒタルに行くのが賢明かと思われます」
「じゃあ、そこに行こうか」
「はい」
彼の耳から、二人の声がフェイドアウトしていった。
◆◇◆◇◆
場面はまた戻って、港町アヒタルにあるトラベル・パスのセンターの建物の中。そこで今、トラベル・パスのパスに使用する写真の撮影が行われていた。顎鬚のあるセンターの男の人がカメラを構える。
「それじゃあ、撮りますよ~」
顎髭の係員の人の合図と共に、カオスはポーズを取る。ウィンクをし、左手で滑らかな弧を描き、ナルシスト気味な王子様のようなポーズをした。それを見せられて、係りの人はぐったりと肩を落とす。
「仮にも証明書用の写真なんで、ふざけないでもらえます~?」
「チッ、つまらん」
当たり前のことを言っている係りの人の発言に、カオスはつまらなそうに舌打ちをする。また別のポーズを取ってもいいかとも考えはしたが、そうするといつまで経っても終わりそうにないので、仕方なしにカオスは直立不動の形となった。
実に不本意だった。
そんなカオスの不満を他所に、証明書用の写真は撮り終えられた。一仕事終えた顎鬚の係員は、カオス達に向かってそれからの流れを、挨拶と共にさらりと説明する。
「お疲れ様でした。仕上がりは約一時間後となりますので、それ位になったらまたここに取りに来て下さい」
「面倒くせーな」
ルナやアレックスが承諾する前に、カオスはそう毒づく。ルナとしてはどついてやろうかと考えはしたが、それを実行する前にマリアがカオスをなだめる。
「一時間くらい良いじゃな~い。その間にお昼ご飯でも食べましょうよ~♪」
「あ? そうだな。もう、そんな時間だったか」
アンタが撮影を長引かせるから遅くなったんじゃないの!
心の中でそうツッコミを入れるルナとは対照的に、その話にアレックスが素直に乗る。
「昼飯? だとしたら俺、シーフードがいいな」
「はは。だろ、アレックス。ここは港町だもんな。シーフードは基本だよな~」
カオス達は談笑しながらトラベル・パスのセンターを後にした。ルナとしては色々と言いたいことはあったのだが、もう今さらどうでもいいように思えたので、その談笑の輪の中に入っていった。
そういう風にカオス達は談笑しながら、アヒタルの街中の大通りを歩いていった。
それから少し離れた場所の建物と建物の間で、怪しい三人組がカオス達の方に視線を向けていた。大通りに向かって手前には二人、日焼けした肌にスキンヘッドで口髭を蓄えた30代前半位の男と、黒髪を無造作に真ん中で分けた肥満気味の男が居た。そして奥には男が一人、水色の前髪を長く垂らし、青白い肌に痩せた身体、右目に髑髏模様の眼帯をつけた男が立っていて、通りの方に睨みをきかせていた。
「アレだ。あのガキだ。間違いない」
通りに向かって手前に居たスキンヘッドが、奥に居る眼帯男に話しかける。奥に居た眼帯男はそのスキンヘッドの声を聞くと、少し自嘲気味に笑いながらその男の方へとゆっくりと近付いた。
「ハッ、狡い仕事でつまんねーがな。仕事は仕事だ。我々の名を汚さねぇように、キッチリこなさないとな」
少し前かがみになりながら、眼帯男はスキンヘッドとデブの二人よりさらに数歩、通りの方へと出た。そして、ゆっくりと視線を大きく上に向けてから、くるっとスキンヘッドとデブの二人の居る後ろの方を振り返った。
三人は目を合わせ、眼帯の男が合図を出す。
「よし、野郎共。仕事だ。行くぞ!」
「おうっ!」
スキンヘッドとデブの二人は、眼帯男に続いて大通りへと足を踏み出した。
またその一方で、カオス達は相変わらず暢気に大通りを談笑しながら歩いていた。その時、不意にカオスがその歩みを止めた。そして、腕組みしながら呟くように喋る。
「しっかしなぁ、食事するって言っても美味い店が何処か分かんねぇしなぁ。適当に入りゃあ簡単だけど、折角だから美味い店で食いたいからなぁ」
「さっきのセンターであの係員の人に訊いてみたら良かったかもね」
カオスの呟きにルナも同調する。
「ははっ、しくったかもな」
カオスは笑う。その時、ドンッと背中に何かが当たった感覚を覚えて、カオスは振り返る。すると、カオスの目に食材のたくさん入った大きな買い物袋と、それを抱えた黒髪の小さな少年が入ってきた。どうやら、大きな買い物袋のせいで視界が悪くなり、前に立ち止まっていたカオスに気付かずにぶつかってしまったようだ。林檎が一個袋の中から飛び出し、通りのタイルの上に落ちて少し転がった。
その小さな少年は、障害物のぶつかり方から自分がぶつかったとは人間だと感じ取ってはいたものの、視界には依然としてその姿は入っていなかったので、買い物袋をゆっくりと下げて視線を確保する。すると、彼の目にカオスの姿がハッキリと映った。
「あ。ご、ごめんなさい!」
ぶつかってしまったのは完全に自分の不注意であると分かっていたので、少年はすぐに素直に謝った。カオスはその少年の仕草を見て、別段怒りははせず、年長者としての優しそうな笑顔を送る。
「まあ、俺は何とも無かったからいいが、気をつけて歩けよ。危ねーからな」
「うん!」
その年長者の紳士的な対応から、その少年も素直な笑顔を見せる。
ルナはその微笑ましい光景を嬉しそうに眺めながら、さっき少年がカオスにぶつかった時に零れ落ちた林檎に目を向けた。気付いていないかもしれないし、拾ってあげようと思って身体を少し動かし始めたその時に、ルナの目の前で林檎は何者かによって踏み潰された。
「!」
ルナはその事を不愉快に思いながら、視線を上げてその犯人の方に目を向ける。すると、そこには怪しい風貌をした三人組の男が立っていた。その雰囲気と目つきの悪さから、それは明らかにマフィア系統の匂いを醸し出していた。
一番前に立っているリーダー格と思われる眼帯男が、買い物袋を持った少年の方に視線を向ける。
「お前、雁間亭のガキだろ?」
「!」
少年は何も言わなかった。だが、その顔が図星だと表現していた。それを見て眼帯男は口を歪める。
「殺されたくなかったら、その荷物全てこっちに寄こしな」
「ま、まさか、キッチン・ローラ?」
少年はマフィアらしき者達の醸し出す雰囲気に呑まれたのか、少し後ずさりをした。眼帯男等三人は、それを見て醜く笑っている。
小さな子供を相手に、大の男三人が強盗?
その事実を目の当たりにして、カオス達はとても不機嫌な顔をしていた。
◆◇◆◇◆
その一方、人間界の何処かの町。一体のスーツを着たゴーレム型魔獣が一人の人間に絡んでいた。ゴーレム型魔獣は、その人間の襟をグッと掴んでその人間に訊ねる。
「オ前、俺、ビジネスマントシテ不自然ジャナイカ? イヤ、自然ダヨナ? トッテモ自然ダロ? 何処カラドウ見テモ、普通ノ人間ダヨナ?」
人間は怯えた表情で答える。
「シ、シシシシシシシシ自然です。むっちゃ自然です。まるで近所の気の良い兄ちゃんのようです~」
「意外としつこい奴ね。つか、それ脅迫じゃないの」
フローリィは不機嫌そうにそう言葉を吐き捨てた。
2019/01/14 被害者少年の家の店の名前を変更「南瓜亭」→「雁間亭」。
※理由:現実の店と被っていたから。