Act.102:対極Ⅳ~俺の屍を越えて行け~
☆対戦組み合わせ☆
二回戦<Bランク試験合格決定戦>
9:× Dr.ラークレイ vs リスティア・フォースリーゼ 〇
10: ルナ・カーマイン vs アッシュ
11: オーディン・サスグェール vs デオドラント・マスク
12: クロード・ユンハース vs カオス・ハーティリー
男、アッシュは自分の黒い手を眺めた。その手には今までの自分より遥かに上の魔力が宿っているようだった。特別には強くならない。老父はそう言ったのだが、それでもアッシュからすれば非常に大きな力を得られたような気がしてならなかった。
「これが、俺か?」
今まで得られなかった力、それを目の当たりにしても、まだイマイチ信じられないでいたが。
そんなアッシュに老父はサラッと言う。首を縦に振る。
「ああ、そうだ。そこから修行を重ねてゆけば、さらに大きな力を得るのも可能であろう」
そう言う老師の顔には、疲れが大きく現れていた。弟子を『アッシュ』にした、そんな禁断の魔法のツケがまわってきたのだ。
「本当か?」
しかし、新しい力と体を得たアッシュは、その喜びにばかり支配されていて、その師の様子の変化に気付けないでいた。だが、老父にとってそれはどうでも良いこと。それを見せぬよう、普通に振舞う。
これが、最後に伝えなければならないことだから。
「ああ、本当だ。だから、これからも修行を重ねてゆけ。書物に限らず、家の中の儂の物は全てくれてやる。それらを試行錯誤しながら活かしてゆけば、その中に貴様が強くなってゆけるヒントがある筈だ。後は強くなりたいという貴様の意志と、それにかける努力次第」
そして、少し間を置いてから締めくくる。
「強くなれ。その上で、貴様の目指す理想の騎士とやらになるがいい」
物をくれてやる。強くなれ。
そういったポジティヴな師の発言を聞いてくると、アッシュにも老父の様子がいつもとは違っているのに気付く。普段の言動とは違ってきていることに気付く。
「ら、らしくないことを言ってるなぁ。何言ってるんだよ?」
これから強くなるのは当たり前。その努力をするのも当たり前。そのようなことを、当然のように言っていて、これからも言うのが師と思っていた。
だが、それは当たり前ではない。老父は、それを宣告する。ごく当然のようにあっさりと。
「遺言だ」
「え?」
遺言、その意味を一瞬アッシュは見失ってしまった。あまりに突然出された異端の言葉に、アッシュの思考はついてゆけなかったのだ。
だが、その間に老父は倒れる。力尽きたように、後ろに倒れる。無防備に、何も出来ないままドッサリと。
「し、師匠!」
その倒れた音で、アッシュは我に返る。我に返り、師匠の所に駆け寄る。普段は鬼のように強い師匠が、何の受身も取れずに倒れた。何かが起こったと感じていた。
「な、何の冗談だよ?」
倒れた師匠の体を揺すり、動かしても、何の変化もない。動きを見せない。
そして、そうやって師匠の体に触れると、そこでアッシュは気付かされる。師は、呼吸をしていない。心臓も動いていない。それすなわち……
「し、死んでいる」
そう理解させられる。
師は死んだ。そして、それは彼の中では予定調和だった。それだから、『遺言』を残したのだ。
そのことが、アッシュの思考回路をグチャグチャにする。
「な、何故だー!」
師の亡骸を抱き、叫べども、誰にもその言葉は届かず、誰もその問いに答えてはくれなかった。
◆◇◆◇◆
主の居なくなった家、主の戻らなくなった部屋、その机の上に、一枚の紙が置かれてあった。老父が何を思っていたのか、死んでしまった今となっては知る由も無いが、その紙に何かしら記されてあるだろう。
アッシュには、そんな気がしていた。
そして、その紙を手に取る。それは、アッシュの予想通りのものだった。師の思いが残された紙、遺書だった。
アッシュはそれを開く。
『この手紙を貴様が読んでいるということは、既に儂はこの世から去っているであろう』
老父の手紙、遺書はそこから始まっていた。つまり、今回の彼の死は、彼自身分かっていてのことだった。手紙は続く。アッシュは読み進める。
『儂は死ぬ。何故なら、貴様にかけた禁断の魔法というのは、実際のところは炎で一度燃やし尽くしてその生命を失わせた者に、己の生命を授けて蘇らせる術だ。材料が己の生命である以上、魔法に成功しようが失敗しようが、どちらにしても術者である儂は必ず死ぬ運命になる。そして、それが自分自身にはかけられなかったり、生涯一度しか使えなかったり、禁断の魔法として取り扱われたりする所以だ』
残された魔法の正体に、アッシュは驚かなかった。かけられる前までは、どういうものだったのか想像もつかなかったのだが、こうして師が死んでしまった今となっては、そういった概要さえも不思議と納得出来るものだった。
『だが、正直それはどうでもいい。儂が生きるか、死ぬか、そんなのは些細な問題でしかない』
老父は自分の生命さえもそのように切り捨てる。
『ただ、真実として知りたいだろうから記しておくだけだ。それ以上でも、それ以下でもない。だから、術によって死ぬことで貴様を責めるつもりはないし、変な期待を負わせるつもりもない。死に対して、儂は今更恐れも何もありはしないからだ』
老父はそう記してある。死は怖くないと。
『もう、こんな歳だ。もう、いつ死んでも早死にとは言われはしない。そして、貴様には伏せてあったが、儂は病魔によって次の春を待たずに逝く。そんな儂が、死を恐れる筈もない。術を恐れることもない。敢えて恐れるとすれば、成功させられるか否か、その点だけだ。これはあくまでも、貴様の幸せの為にやろうとしていることなのだから』
そうして、締めくくる。
『だから、この後貴様がどのような生き方をしても構わない。騎士になろうが、なるまいが、儂にはどうでもいい。ただ、迷わずに己の決めた道を進んでいって欲しい。後悔のないように生きてほしい。儂の願いはそれだけだ』
「…………」
アッシュは膝をつく。そして、虚空を見上げる。だが、その頭はすぐにうな垂れる。
「くそ」
何も気付けなかった。師の想いも、師に忍び寄る死の恐怖も、何一つとして気付けないままだった。己はふがいなく、未熟なままだった。
「くそ。くそー!」
涙は流れない。それは、既に失ってしまっていた。ただ、呻き声を漏らすだけ。ただ、自分の無力さを、未熟さを呪うだけ。
だが、それが翌朝になる頃には、アッシュは自分が何をすべきなのかがおぼろげにでも分かり始めてくる。このままでは駄目だと。こうしているのは、師の望みではないと。
未熟なら、これから熟してゆけばいい。無力なら、これから力をつけてゆけばいい。その為に邁進し、力を身につけていって、まだ力無き者達を守る騎士となるのだ。
それが自分の望みであり、それを叶えさせてくれる為に師は技を教え、そしてその命を託してくれた。それに応えるのが、師のその想いに対する一番の報いになるであろう。
アッシュはそう理解し、それを成し遂げる為、独りとなった以降も自らに厳しい修行を積み重ねていっていた。その月日が積み重なってゆくにつれ、アッシュは師の家にある書物の内容の殆どを把握するようになり、残りは実戦の積み重ねとなっていっていた。
実戦。それは、この場では不可能。独りでは不可能。だから、ここから旅立たねばならない。そのことから、アッシュは旅立ちを決意する。
丘の上に設けた師の墓、そこに手を合わせてアッシュは宣言する。
「俺は行く。修行の旅に。ここへは、しばらく戻らない」
そう、騎士になるまでは。
師よ、貴方があの魔法を放った時に躊躇しなかったように、俺もまた迷いはしない。俺のような子供を守りぬける騎士となる。その初志を貫徹するだけ。邁進するだけだ。
師の墓にアッシュはそう誓い、旅立っていった。深くローブを被り、その中に正義感と熱意を籠めて、旅立った。
そして、現在に至る。正義感と熱意は、誰にも負けないままで。
◆◇◆◇◆
「おりゃあっ!」
アッシュは蹴りを繰り出す。
「そりゃあっ!」
アッシュはパンチを繰り出す。どんどん攻撃を繰り出してゆく。体力も魔力も尽きかけている。だが、アッシュは負けられない。負けてなるものかと思っていた。だから、それを超えてまだまだ戦えていたのだ。
勿論、そんなアッシュに対してルナも変な遠慮はしない。正々堂々と戦う。応戦する。パンチを繰り出し、蹴りを繰り出し、どんどんアッシュを追い詰めてゆく。
だが、アッシュはそれでもなかなかへこたれない。
「へぇ、やるじゃん。腕の再生でお終いっぽかったけどな」
カオスはそのアッシュの根性に素直に感心する。
「そうですね」
それにはリスティアも同意見だった。ただ、それでも2人共この試合はルナが優位であると思っていた。アッシュにルナは負けないと思っていた。根性だけはアッシュの方が上だし、それはどの場面においても大事だが、根性だけで試合はどうにかなるものではない。あくまでも、それはプラスアルファ。だから、この試合が終わるのも時間の問題。
しかし……
ここまで勝ち進んでいるだけあって、皆良い心意気をしているな。
その戦いぶりにおいて、それはアーサーも感心させていた。もっとも、それでアッシュはお終いだというのもカオス達と同意見であったが。
アッシュは限界だ。もう、体の変形も出来ないだろう。
アーサーはそこまで見込んでいた。そして、それは間違いではなかった。アッシュはその魔力も殆ど使い果たし、体力も尽きかけているという満身創痍の状態だった。
だが、ルナは違う。まだ余裕のある状態だった。だから、攻める。攻める。攻めるのだ。
「くっ…」
ルナの右の拳がアッシュの顔面に入り、アッシュは体勢を崩す。そんなアッシュにルナの追い討ちの左の回し蹴りが入り、アッシュはさらに体勢を崩す。ダメージを受ける。
「くそっ! 負けてたまるかーっ!」
アッシュはそこから状況を立て直そうと試みる。反撃に移ろうと試みる。
この体は、師が命を懸けて授けてくれたものだ。負けるわけにはいかない。その想いが、満身創痍であるアッシュの背中を後押しした。
だが、限界は限界。動きは鈍いものとなる。キレがなくなっていた。どんなにパンチを繰り出そうとも、ルナはその拳を難なく防御してみせる。ダメージを回避してみせる。
そして、反撃。ルナの真っ直ぐな拳が、アッシュの腹部にめりこみ、アッシュにダメージを与える。傷にはならなくとも、体力を奪う。
「はああああっ!」
そこに追撃。ルナはダメージを受けてさらなる隙を見せたアッシュに追い討ちをかける。蹴りを入れて、アッシュの体を大きく飛ばした。
追い討ち。そして、それがトドメでもあった。
アッシュの体は、大きく飛ばされた。後方へと大きく、大きく。リングの端を越えて。それすなわち、そこで地面に着いてしまえば、そこでアッシュの負けだ。
「くっ」
それに即座に気付いたアッシュは、それを防ごうとする。リングの外に出てしまっても、地面に体が触れなければOKというルールだ。だから、まだここで負けが確定してしまったというわけではない。地面に着かなければいいのだ。
ならば。
「行け!」
アッシュは左手を伸ばして槍にしようとする。それをリングに突き刺して、それを支点にしてリングに戻ろうと画策する。
だが、それは出来なかった。アッシュの左手は普通の左手のままだった。何の変化も見せない。
「な?」
そこでアッシュは自身の魔力が尽きたのを知った。魔力が尽きたから、もう今の体を維持する以外には何も出来ないのだと。
そうして、終わる。
アッシュの体は地に落ちる。リング外に落ちる。落ちた。
「くっ!」
その場でアッシュは素早く立ち上がるが、もう遅い。もう、終わった。終わったのだ。それを、審判は宣言する。ルナの勝利を。
『場外! ルナ・カーマイン選手の勝利です! 合格者2人目ーっ!』
その途端、アッシュが場外に落ちた時は静寂に包まれた観客席は、再び大きな歓声に包まれるようになった。勝者であるルナの成果を讃え、敗者であるアッシュの健闘を人々は讃えた。
「2人共すごいぞー」
「よくやったー」
「感動した!」
その歓声の中、アッシュは呆然としていた。場外に1人取り残される自分、観客の大きな歓声の中で1人取り残される自分、それが1つの残酷な事実を物語っていた。
敗北。
負けてしまったのか。師の命が宿っているこの体で、このザマでは何と情けない。これでは、師に顔向け出来ないではないか!
アッシュは自分を責める。結局、結果を残せなかった自分を責める。いい笑い者だと思っていた。そんなアッシュに、夢か現か聞き慣れた声が聞こえた気がした。
(立て。アッシュ)
「え?」
左右を見渡せど、誰も居ない。さっきと変わらぬ光景が映るだけだった。誰も居ない。ましてや、死んでしまった師など居るはずもない。
(立って、周りをよく見てみろ)
だが、アッシュには再び聞こえる。師の声が。
「アッシュ、お前もよくやったぞー」
「アッシュ、カッコイイぞー」
「アッシュ、素敵よー♪」
「え?」
その賞賛の声に、アッシュは驚く。賞賛とは勝者に与えられるものであって、敗者である自分に与えられるものではないと思っていたからだ。だが、勝者であるルナを讃えるだけでなく、敗者であるアッシュの健闘を讃える者も少なからず居たのだ。
(それが、貴様の為した結果だ。試合に敗れても、何かを残すことは出来る。そして、それが貴様は間違っていなかったという証拠。だから、恥じる必要は無い)
その声に、アッシュは立ち上がる。そして、勇気付けられる。心に刻み込む。
まだまだ、道は始まったばかり。ゴールは遠い。険しかろうが、長い距離だろうが、へこたれているような場所ではない。ただ、愚直に邁進するだけの場所だ。
アッシュは思う。
今日の敗戦も、いつか必ず大きな糧となる。成長材料となる。それらを活かし、また貧しき子供達の力となれるような騎士を目指せばいい。
そう決意を新たに、アッシュは花道を退場してゆく。もう、うな垂れる事はない。敗者であっても。自分の進む道を信じ、邁進するだけのその心にやましさは無い。後ろめたさも無い。だから、胸を張っていられるのだ。
(そう、それでいい。そして、そのまま振り返らず真っ直ぐに進んでいけ。これからの人生、迷わずに戦い抜け。それが、儂の願いだ)
アッシュは、振り返らずに進んでいく。そのアッシュの耳に、その不思議な声の最後の一言が届く。
そして、さらばだ。我が弟子よ。血の繋がらない、我が息子よ……