Connect16:死と灰
死ぬ気で、大きな力を手に入れる。
今更自分の何を失おうが、何だろうが、知ったことではない。
それが老父に言われて考えた男の結論だった。何に変えてでも強くなる。その決意に、何の揺らぎもなかった。それはどれだけ時を経ても変わらない。朽ちてはゆかない。証拠も何も無いけれど、男はそのように確信していた。
「そうか」
翌朝、その男の決意を聞いて、老父は眉を動かさずにただそのように答えただけだった。リアクションも表情の変化も何も無い。その回答は老父の中では予定調和だった。どれだけ時間を与えようと、与えなかろうと、弟子であるこの男の返答が変わらないだろうと分かっていた。
だから、淡々。平静な様子のままで居続ける。
「まあ、良い答だな。では、早速始めようか。まずは説明からだな」
説明。それが、昨晩師の言った『禁断の魔法』ということを男はすぐに理解した。理解し、その情報を頭の中の引き出しから取り出す。
「確か、異形の者と化してしまうと聞いた筈だが」
にわかには信じられない。
男の言葉の中には、そのようなニュアンスが含まれていた。だが、それでも老父は気にしない。眉1つ動かさない。当然のように、平静と説明を続ける。
「儂の言っている禁断の魔法とは、特殊な炎を生み出し、それによって貴様の体を焼き尽くすということになっている」
「すると?」
まさか、死にはしないだろう。男はそうたかをくくっていたが。
「貴様の体は燃え尽き、全て灰となる」
「って、それじゃあ死ぬだけじゃないか! 無駄死にじゃないか!」
命を懸けてでも強くなりたい。この身を投げ捨てでも強くなりたい。そう言いはしたが、ただ無駄死にしたいとは言ってはいない。死を覚悟するのと、死を望むのとは全然別物だ。
男はそんな意味を籠めて師に対して抗議する。だが、老父は落ち着いたまま。その抗議も予想済み。その誤解も予想済みだからだ。
「死にはせん」
老父は言う。炎に焼かれ、体は全て灰となっても、死にはしない。そのように言う。
「儂は“特殊な”炎と言っただろう? 貴様の体は、その炎の中で再び蘇る。復活するのだ。もっとも、そうしたからと言って特別に強くなる訳ではない。筋力も魔力も、今と大して変わらんだろう。だが、一度死んだその体は、限りなく不死に近いものとなる」
老父はそのように言い、説明をしめくくる。
筋力も魔力も、現在と大して変わらない。それはネックとなるが、限りなく不死に近い肉体となる。それは、非常においしい効能であると男は思った。少なくとも、死ななければ戦いで敗れるということはないからだ。
だが、その片隅で少し疑問が残った。
「だが、アンタはそれを自分にはかけなかった」
「ああ」
「何故だ?」
「自分にはかけられんのだ。術者は常に炎を維持しなければならんからな」
何か嫌な条件があって、それを自分にやらなかったのではないか?
そうちょっと疑った男の質問に対する老父の答は、非常に簡単なものだった。ただ、出来ないというだけだったのだ。物理的に。
「じゃあ、誰か他の人にそれをかけたことはあるのか?」
「ない」
試したこともない。
老父はキッパリとそう言う。それは男を大いに不安にさせた。試しも何もないのは、それが本当に復活出来る魔法であるかどうか、その確証がないからだ。師は信じている。だが、それでも前例が無いというのは、とても不安でしょうがないものだった。
そんな不安なものを何故?
男はそんな疑問を持った。その弟子に、老父は問われる前にその理由を話す。
「この魔法はな、どんな優秀な魔導師であっても、それを使えるのは生涯の中でたったの1回だけだ。試し打ちだろうが、失敗だろうが、放ったからには2度と使えなくなる。そんな魔法だ」
出来ない。
またしても、老父の答は同じであった。自分の決めた他人ただ1人にしかかけられない魔法。そのたった1人。前例も何も作れない。それは、大いなる不安だった。可能性が見えないのだ。
「で、どうする? やはりやめるか?」
その不安を感じ取り、老父はそのように問いかける。しかし、男は首を縦に振らない。
前例が無いのは、確かに不安材料ではある。だが、自分が最初で最後。唯一なのだ。この男の弟子として、それ以上誇らしいことは無い。
だから、迷いなど何処にもありはしない。
男はそう感じていた。だから、キッパリとその逃げ道を断る。
「さっき言った通りだ。俺の覚悟に、迷いも揺らぎも無い!」
「そうか」
その答も老父にとっては予想済みだった。ここで逃げるような弟子ではない。
とは言え、その答にも老父は特に何のリアクションも見せない。淡々と物事を進める。間も何も無く。
「始めるぞ」
「ああ」
男は迷いの無い、真っ直ぐな眼差しを老父に向ける。何処までも真っ直ぐに。
それと同時に、老父は己の魔力を充溢させ始める。これから為そうとするのは、生命を捻じ曲げようとする禁断の魔法。完全に全力だ。目は見開き、血走る。筋肉は膨張し、老体に激しく鞭打つ。
だが、それでも老父はためらわない。魔力を充溢させるのに全力を注ぐ。
弟子である男と同じように、老父にも覚悟があった。これが生涯で放つ最後の魔法となる。それを成功させるのに、躊躇などしていられない。
そして、その魔力はまもなく十分なものとなる。老父の周りに、充実した魔力が形となって現れる。
「…………」
その魔力の充実ぶりを見て、男は息を飲む。師である老父が強いとは思っていたが、こんなにも凄まじいとは思わなかったのだ。それ程大きかったのだ。男の中の常識を超え、どの位のものなのか男には想像すらも出来ない程だった。
愚鈍な俺にも分かる。こいつは、凄まじい。
男は理解する。この魔力、自分には100年努力しても出せそうにないと。師を超えることは出来そうにないと。
「ゆくぞ」
だが、そのような事は老父にとってはどうでもいい事だった。異端ではあっても、自分はそれなりにやってきた魔導師であると自負していた。おいそれと超えられないのは当たり前。そして、それをどうにかするのが師としての務めなのだ。
そして、それが今。そして、それに集中しているのだ。
準備は整った。老父は、男に覚悟は整ったのかと訊ねた。覚悟、それは男にとっては訊かれるまでもない事。
「ああ。勿論だ」
男がキッパリと言うと、老父はゆっくりと動きを見せる。ピッチャーがボールを投げるように、左手を掲げて、何かを投げるようなフォームになる。それと同時に、老父の左手には強力な魔力が集中していっていた。
それを投げる。男に向かい、投げる。
男はそれを避けない。師が全力をもってやろうとする大魔術、どんなに不安があっても逃げるという選択肢はそこに存在しなかった。
男はそれを食らい、炎をその身に浴びる。その身を炎に委ね、生きながら焼かれてゆく。
痛み、苦しみ、死の匂い。それらが男を覆っていっていたのだが、男はそれでも悲鳴1つ上げようとしなかった。上げなかった。それが弟子として師に見せる覚悟と信頼だったのだ。
だが、そうなってゆく毎に男の意識は炎の中へと消え入り始めていた。体が灰となって消えてゆくように、男の意識も炎の中へと消えていってしまった。
その炎の中に、燃え尽きた灰だけが残っていた。
だが、それでいい。老父は炎を真っ直ぐに見据えて、その炎に向かって今度はさっきとは逆の右手を翳した。
「収束せよ」
老父は炎に命じる。すると、それに従うように炎の中の灰は動き始める。動きだし、集まり始めるのだ。
黒き粉は集まり、形作り始める。ゆっくりと、しかし確実に。
まずは手から。指先から炎を内包しつつ、黒い手が出来上がってゆく。それが出来上がると、そこからさらに伸びていって、それは腕になる。肩になる。胴になる。
「…………」
その出来上がってゆく様を、老父は穏やかな眼差しで見守っていた。もう、そこまで進んでいれば、その魔法を放った経験のなかった老父でも確信を持って言える。
成功だ。魔法は成功した。
もう、思い残すことは無い。その魔法が成功した今では、老父はそのように思っていた。あえてあると言えば、今新たな黒い肉体で生まれ変わる、弟子の活躍を見れないということだが、欲を言い出したならキリがないとも思っていた。だから、総じて言えば悔いは無いのだ。
だから、満足だ。
そう思う頃には、新しい黒い肉体は完成間近となっていた。そして、すぐに完成する。
「よし。完成、成功だ。さあ、目覚めよ。新しく生まれ変わった戦士よ! 貴様に新しい名前を授けてやる」
老父は一瞬だけ考える。だが、すぐに思いついてその名前を授ける。
「アッシュ。貴様は今日から『アッシュ』と名乗れ」
男は肉体を捨て、そこから黒い灰の肉体を得る。男は名前を捨て、そこから新しい『アッシュ』の名を得る。
異端戦士、アッシュの誕生であった。