Connect15:死と力
「はあっ! はあっ! はあっ!」
男は激しく息を切らしていた。心臓も跳ね馬のように高鳴っていた。汗も多く噴出し、何も言わなくても体力の限界であると悟らせていた。
老父、その男の師となった老魔導師は、それを平静な顔で見守っていた。一昨日より昨日、昨日より今日、成長してゆく男を見ていた。だが、そこで口惜しく思っていた。
男が一生懸命に修行に励んでいるのは、何も言わなくても老父は分かっていた。だがそれでも、男は一向に強くなる気配を見せなかった。男の努力、自分の指導、どれも間違っているとは思えなかったが、それでも男はそれに見合った成長の半分も成し遂げられていない。
それは才能のせい。
そう言ってしまえば簡単だが、そのせいで男の成長は緩やかな成長曲線となってしまっていた。この段階での男の戦闘レベルはまだまだ未熟。それを考慮に入れると、この男は戦闘に向かないとなってしまうのだ。
このまま努力をすれば、ある程度の強さにはなるだろう。だが、それは“その程度”でしかない。男の言う強さには至らぬ代物。
さらに、そうなるだけでも長い時間を要してしまう。男としてはそれでも良いのかもしれないが、自分にはそれは出来ないのだと老父は知っていた。老父には、もうそんな時間など残されていなかった。弟子の成長をゆっくりと見守る時間は、老父には残されていなかった。
それもまた口惜しくはあるのだが、欲を言い出したらキリがない。老父はそれを察知し、その覚悟を決める。脳裏をよぎった、禁断の魔法が離れない。
「はあっ! はあっ! 俺はまだまだやれるぜ!」
男は強がって見せるが、とうに限界であるとは老父は分かっていた。これ以上やらせても成長にはならず、いたずらに疲労を蓄積させるばかりか、下手したら体を壊してしまうだろう。
要するに、やらせても無駄である。
「…………」
ここまでか。成長はここまでか。
老父はそうではないかと判断を下した。そして、その厚く高い壁を弟子が乗り越えるには、さっきよぎった禁断の魔法しかないとも思っていた。
禁断の魔法。自分には覚悟は出来ていた。だが、弟子は分からない。もしかしたら、少々その意志が萎えているのかもしれない。仮にそうだとしても文句は無いのだが、老父は改めてその意志を訊ねてみる。
「おい」
「はあっ! はあっ! な、何だ?」
「改めて訊くが、貴様は強くなりたいのか? 騎士になりうる位の強さを身につけたいのか?」
「あ、当たり前だ!」
最初に戻るような質問だった。その質問に男は激昂する。やる気の無いままに修行を重ねているいいかげんな男に見られていたような気がしたからだ。
「だからこそ、こうして!」
「それは、どれ位の覚悟だ?」
その段階ではない老父は、質問のレベルを上げる。強くなる為には、努力が必要である。その程度のレベルではない。そこより、さらに上の覚悟を指して老父は言っていた。
「は?」
男は首を傾げる。何のことだか、彼には悟れなかった。その男に老父は言葉を補足する。
「今あるその体と引き換えに、強さを得る。何に換えてでも強さを得る。命を懸けてでも強さを得る。求める。その覚悟があるのかと訊いているのだ」
言葉を紡ぎながら、老父は覚悟していた。自身の運命も、その後に待っている弟子との別れも、全て覚悟して受け入れていた。
後は、弟子であるその男次第。
今あるその体と引き換えにしてでも、他人より優れた力を得たいか?
どんなものと引き換えにしてでも、何者よりも優れた力を得たいか?
「ああ。勿論だとも。そ…」
「それを、よ~っく明日の朝まで考えておけ」
即答しようとする男を、老父は制止する。簡単に答えられるものではない。そんな甘いものではない。それが、弟子であるこの男は分かっていなかった。
何も得られずにいたその男は、得られない苦しみは理解出来ていても、失う苦しみを全く知らなかい。失うものすらなければ、その苦しみを知ることもないからだ。
とは言え、人はその失うことによって強さを得る場合もある。今回男が喪失してでも強さを得ようとするならば、その喪失と引き換えに強さを得るのは間違いない。物理的にだけでなく、精神的にも成長出来よう。老父は知っていた。そして、その為には考える時間が必要であると。だから、そのように弟子のその男に諭す。
「朝までゆっくり時をかけ、じっくりと考え抜け。今あるその体と失う、何かを失うというのは、そんな簡単に割り切れるものではない。割り切ってはならない。お前は儂の問いに対してYesの判断を下した後に、その肉体を失う。一般的な日常生活には戻れなくなる。その後どうなっていくのか、きちんと想像しながら考えろ。即答は何も考えないに等しい」
老父はそのように言う。そして、弟子であるその男は、そのように言われて初めて、自分の言っていること、考えが浅はかなものであると悟らされた。
老父は説明を補足し続ける。
「儂の言っている、体と引き換えに強さを得るという方法は、異形の者と化す禁断の魔法だ。それを受け入れたならば、貴様はその時点で人とは異なる姿形となってしまう。普通の人とは異なるものだ。それが分かるか?」
老父は念を押す。
「普通に働き、普通に家族を営み、普通にその幸せを育み、普通に死んでゆく。貴様の憧れていたその暮らしは、不可能になってしまう。ほぼ強制的に、常に戦いの中にその身を置くこととなろう。そして、仮に誰かと所帯を持てたとしても、子は生せん。その力は確実に失われるからな」
そこまで行くと、戻る道はない。
老父は言う。命を奪い、奪われて死んでいく。そんな修羅の道、進んでいった先に自分の幸せなど何処にもないだろう。だが、本当に強い騎士となり、今まで心の奥底で秘めていた願いを叶えんとするならば、その道を行くしかないのだとも言う。
その覚悟があるのか?
そういう問いだった。そして、ここが最後の引き返し地点なのだと老父は言う。
「今ならば、引き返せる。ここで、僅かながらでもあらゆる点での強さを身につけられたお前ならば、以前のような荒んだ生活ではなく、普通の生活を送ることも不可能ではないだろう。普通に働き、普通に家族を営み、普通にその幸せを営み、普通に死んでいく。そんな普通の人生がな」
老父はその男にあらゆることを教え込んだ。そう自負していた。生活手段、ちょっとした技術、肉体や魔法の強さに直接的に関わらないものまで色々。それを利用すれば、金持ちにはなれなくても、飢え死にしない位には稼げるだろうと踏んでいた。
だから、弟子であるその男も、自分とは縁を切って普通の生活に戻れるだろう。そう確信していた。
「だから考えろ。脳が熱を出すまで考えろ。発狂直前まで考え抜け」
老父は言う。
「後悔しないようにな。後悔してからでは、全て遅いのだ」
そうして、老父はその男をそこに置いたまま自室へと戻っていってしまった。背中で弟子の視線を感じながらも、老父は振り返ること無く籠もってしまった。
考えろ。そして、知れ。
老父は願う。そして、初めての弟子となったその男と過ごした数ヶ月という短い日々を思い返していた。寒い冬に街角で死にそうだった男を拾ったこと、弟子にして色々と教え込んでやったこと、それら全てが今では懐かしい思い出のようだった。
なぜなら、これで最後だからだ。
今ある体と引き換えにしてでも、強さを得たいか?
その問いに男が「Yes」と答えようと、「No」と答えようと、その後に待っているのは絶対的な別れでしかない。それを老父は知っていた。
今夜が最後、どちらの答を選ぼうと、儂等はそこで道を別つ。だが、忘れるな。決して忘れるな。
老父は弟子に対して願う。
儂はいたずらに悩ませる為に、嫌な思いをさせる為にその問いを切り出したのではない。例え血は繋がらなくとも、弟子とは子。息子だ。親である儂は、常に子の幸せを考えている。常に、子が自分の願いを叶える為に尽力出来ないか考えている。
そして、どんな答を選ぼうと、そのことに対して子が満足しているのならば、そこに一切の不満などない。それを叶える為に死力を尽くすのみなのだ。
◆◇◆◇◆
何故、自分は強さを欲するのか?
何故、自分は騎士になろうとするのか? なってどうするのか?
男は考えていた。目を閉じて、思い返す。脳裏に映るは在りし日に見た光景、自分がホームレスの時に見た光景。
凍てつく寒さの中、街角を裸足で歩く幼い自分。その幼子の目に、灯りのともった家の様子が映る。暖炉の良く利いた暖かい部屋の中に優しげな両親に囲まれ、小さな子供が嬉しそうに笑っている。楽しそうに笑っている。幸せそうに笑っている。
その一枚壁を隔てた外で、自分は裸足で歩いていた。歩かなければならなかった。それが運命だったから。
同じ人間。同じ町民。同じ子供。それなのに、二人に与えられた環境は対照的だった。
だが、そんな自分よりも哀れな存在が居るのを、そのとき少年だった男は既に知っていた。3丁目に居た孤児の少年は、飢えて枯れ木のようになって死んだ。隣町の孤児の少女は、悦楽殺人者によって玩具のように壊された。殺された。
不幸な自分がここに居る。不幸な子供もたくさん居る。全て大人の都合。大人の勝手な自己満足的な「社会」というシステムのせい。そのシステムのせいで、何も知らない子供が犠牲になってゆく。
だから、それを壊したい。そんな力が欲しい。
男はそう願うようになった。だが、男は大きくなってゆくにつれてそれは不可能だと悟った。「社会」が悪だとしても、それを壊せない。物理的要因も含めてだが、それが可能だとしても無理。それを壊すと、さらに多くの不幸を生み出してしまうからだ。だから、男は次第に「社会」というシステムを壊す力にはなれなくても、せめて飢えて死んだりする子供が1人でも多く救える。そんな力を身につけたいと願うようになった。
街頭のテレビで暢気に世間知らずな展望を語る馬鹿騎士、あんな奴に出来やしない。他の奴等にも出来やしない。他人よりより多くの不幸を知った、そんな自分にしか出来ないことなのだ。自分がやるしかない。やるべきなのだ。
例えそこに何が待っていようと、一度街角で野垂れ死にしかけた自分に惜しむ命などありはしない。だから、それで良いのだ。だから……
死ぬ気で、大きな力を手に入れる。
今更自分の何を失おうが、何だろうが、知ったことではない。