Connect14:死と雪
☆対戦組み合わせ☆
二回戦<Bランク試験合格決定戦>
9:× Dr.ラークレイ vs リスティア・フォースリーゼ 〇
10: ルナ・カーマイン vs アッシュ
11: オーディン・サスグェール vs デオドラント・マスク
12: クロード・ユンハース vs カオス・ハーティリー
「はあっ! はあっ! はあっ! はあっ!」
アッシュは確実に消耗していた。それは彼自身でも自覚していた。アッシュの体そのものが、その警鐘をアッシュに対して鳴らしていたのだ。
体が燃えるように熱い……
アッシュは感じ、それがアッシュを消耗させる。だが、汗はアッシュの体に一切流れない。そして、それがさらにアッシュを苦しめていた。
この体には、発汗作用が失われてしまっている。調子に乗り、動き過ぎた報いを受けてしまったか。
自身の黒い手を眺めながら、アッシュはそのように自覚した。そして、思い出す。自身がそのようになった、そのいきさつを。
それは今でも昨日のことのように思い出された。
◆◇◆◇◆
あの時の空はどんよりとした曇り空だった。暗く重いグレーの雲が空を多い、青空を隠していた。
空気は冷えていた。12月も末となったこの日、この街では例年よりも随分と冷え込むようになっていた。空からは次第に、粉雪が舞い降り始めていた。
そんな本格的な冬に差し込んでいた時期だった。その街の歩道を、1人の若いホームレスの男が歩いていた。彼は働けど働けど、マトモに食っていけず、さらにはその働きさえも失い、住居も失い、ホームレスとなってしまっていた。
「はあっ! はあっ! はあっ! はあっ!」
彼の疲れは隠せない。隠す気力さえも失っていた。ここ数日、無一文な彼は飲まず食わずで過ごさねばならず、力尽きかけていたのだ。
死ぬ……
彼の頭の中に、ぼんやりと己の末路が見え始めていた。このまま力尽き、路上にその体を倒して、そのままあの世へと旅立っていく。死体はまるでゴミのように処分される。そんな惨めな末路だ。嫌で、嫌で、嫌でたまらない末路だ。
まだ死にたくない。
彼はそう思う。しかし、生きてゆく強さは彼にはなかった。職を失った彼には金を得られず、金がなければ食事を取って体力は得られない。体力がなければ働けず、そのまま失われてゆけば死ぬだけ。生きてゆけない。
強くなりたい。
彼はそのように感じていた。心の底から、強くなりたい。そう願ったのだ。
強くなれば、このように飢えて死なない。惨めにその死体を路上に晒すことはないんじゃないか。そのように思い、強くなりたいと彼は願うのだ。
その彼の横目に、店頭に置かれてあったテレビの画面が映る。そこではBクラスのトラベル・パス試験に合格して、騎士となった者の姿が映っていた。
騎士、強さの象徴。騎士、誇り高き者の姿。
『ラッセルさん。Bクラス試験合格、おめでとう御座います』
『有難う御座います』
合格のお祝いから述べるインタビュアーに、その時新しく騎士となったラッセルは素直に笑顔を見せる。真っ直ぐ育った格闘家のように、爽やかな笑顔を見せる。
『今日からラッセルさんは騎士となる訳ですが、ラッセルさんはどのような騎士になってゆこうとお考えですか?』
『そうですね。悪しき力を使う者を挫き、それに脅かされる弱い者を助ける。そんな理想的な騎士でありたいと思っています』
「ハッ、嘘ばっかだな。クソ偽善者め」
男は画面に向かいそう言い捨てて、そこから立ち去っていった。もう、その画面には何の興味も失っていた。
悪しき強い者を挫き、弱い者を助ける。ならば、何故俺を助けない? 騎士が弱い者を救うのなら、今すぐ俺を救えよ!
男はその内心で憤っていたが、それはすぐに傍観的な諦めへと戻る。世の中とはそんなものだと、全てを諦めたような考えに行き着く。
世界は常に自分に対して無関心である。遠くに居る騎士だけでなく、近くに居る街の者達でさえ、自分に対して無関心である。きっと、ここでくたばっても無関心のままなのだろう。ただ、街に落ちた汚いゴミに対するような嫌な目つきで、そういう係の者に頼んで片付けさせるのだろう。ゴミと同じように。
男はそう考えていた。そして、その考えは間違ってはいなかった。街を行き交う人の群の視線は、常に前を向いており、男を目に入れようともしない。目に入ったとしても、頭には入っておらず、すぐに忘れてしまう。頭に入ったとしても、汚いホームレスの男に関わりあいたくない人々の群は、目を逸らしてそこから立ち去ってゆくのみ。
誰も男に近寄ろうとはしない。誰も男を救おうとしない。
それはいつまでも変わらなかった。何処までも変わらなかった。どんよりとした空の中、昼と夜が幾度となく変わっても、人々が男に対して無関心を貫いていたのには変わらなかった。
「あ」
そして、男の視線は反転した。上にあったものが下に、下にあったものが上に。
力尽きて倒れたのだ。
「くそ」
これで、終わりか。
男は自分の死期を悟った。これで、自分の人生は終わりだと感じていた。ホームレスとなり、路上生活を強いられ、そのままその路上で野垂れ死に。それが人生だった。
そんなんじゃ、死ぬに死ねない。男はそう感じていたが、もうどうにも出来ないとも感じていた。これで死ぬ。死ぬしかないのだ。
「こ、これで、お、終わりか」
「終わりたいのか?」
倒れる男の耳に、初めて別の者の声が聞こえた。そんな気がしていた。
だが、その者の声に男は答えることは出来ないまま、その目を閉じた。意識は、暗い闇の中へと吸い込まれていった。
◆◇◆◇◆
それから、どれ位の時が経ったのだろうか。男の重い目が開かれた。ゆっくりと、男はその瞼を開いてゆく。耳元に薪が燃える音が聞こえ、体には何かしら暖かい布が覆われていた。
そこで男は、自分の居る場所があの世ではないと知った。目をしっかりと開き、意識がハッキリしてくると色々と見えてきた。彼は薪の燃える暖炉の前、揺り椅子に座らされ、体には暖かい毛布がかけられていた。
街角で力尽きた後、助けられた。男はそれを知った。それがただの短い延命装置でしかなくても、助けられたのに変わりはない。あっさり死なせてくれなかったことに男は嫌な気分を抱きつつも、初めて受けた善意に対する感謝の気持ちは忘れまいと思った。
「目が覚めたか?」
その時、男を助けた者が男の側へとやって来た。手には温かい飲み物を入れたマグカップが握られていた。カップからが、暖かそうな湯気が上がっている。冷たい街の中を歩いて力尽きた、その男に飲ませる為に持ってきた物だった。
「とりあえず、これを飲んで体を暖めよ」
男を助けた者、白い髭の老父は男にマグカップを渡そうとする。だが、男は受け取ろうとしない。
男としては、このように親切を受けた経験がなかったので、何かしら裏があるのではないかと疑っていたのだ。ただで貰える物など、何処にもないのだから。
だが、自分には金は無い。無一文だ。そして、そうであるのは、自分の身なりからだけでなく、街で行き倒れたことからも明らかだ。どんな馬鹿にも分かる筈だ。ならば……
「飲め」
老父は色々と考え込んでいる男に無理矢理マグカップを持たせる。うじうじと考え込まれるのは彼としては嫌で、イライラさせられた。彼としてはミルク1杯なんかで色々と要求する気など毛頭なく、そんな風に遠慮されるのも嫌だった。
「あ、ああ。頂こう。済まない」
老父の迫力に気圧される形で、男はマグカップを受け取って、それに口を付けた。少しずつ、ゆっくりとそのミルクを飲み干してゆく。そうするにつれて、喉から胃へ、胃から身体全体に暖かさが広がってゆくように、男は感じていた。
だが、それはすぐに終わる。飲み始めた飲み物がすぐに空になるように、男が受けた親切もそれと同時に終わるのだ。男はそう感じ、少々寂しく感じていた。
しかし、未練を持ってはならない。その資格は無い。男はそう考え、早々に発つ決意をする。それが運命だと、自分に言い聞かせながら。
「世話になった。それでは、出て行く。邪魔したな」
礼を言って、その邪魔へのお詫びをして、男は寒空の下に再び出て行こうとする。その男を、助けた老父は止める。
「待て。貴様、このような雪空の下にそのような薄着で出て行こうとするなんて、自殺する気か?」
男はコートも何も羽織っていなかった。汚い薄っぺらな布を纏っているだけに過ぎなかった。他の季節ならともかく、雪が舞い降りる冬となっては、そのような服装で外を歩き回る事は即『死』を意味する。
「自殺か」
そうすれば、楽なのかもな。
男は一瞬そう考えた。だが、そうするのは本意ではない。
「死にたいという願望は無い。だが、俺のような貧乏人、弱者はそうしなければならないんだ。寒空の下で死んだりするのが運命なら、そうなのだろう。そうやって、弱者とは常に強者によって踏み躙られ続けてゆくんだ」
だから、強くなりたい。
男はそう願っていた。強くなって、自分を見下した者、踏み躙った者を、その手で見返してやりたい。そのように願っていた。だが、そのような力を身につける機会も何も無く、ただ時と共に自らの生命が失われてゆくに過ぎなかった。
それが人生。それが運命。
男はそうなるしかないのだと思っていた。しかし……
「負け惜しみだな」
老父は言う。
「運命、弱者、それら全てが逃げの言葉だ」
キッパリと言い捨てる。
「貴様が弱くて、野垂れ死にするのが運命だとする。それが嫌ならば、強くなればいい。運命を変えればいい。機会が無いのならば、探せ。探しても無いならば、その手で作り出せばいい」
そして、老父は1つの案を提示する。
「よし。それならば、儂から1つ機会を与えてやろう。今日から儂の弟子となれ。さすれば、この儂が貴様を文字通り強くさせてやろうではないか。踏み躙られる弱者、そう言うのならば、今度は貴様が強くなってみんか? 誰にも踏み躙られぬ程の強者になってみんか?」
「…………」
それは男にとって非常に魅惑的な誘いであった。このままその提案を呑まないで外に出て行っても、自分に待っているのは文字通りの野垂れ死に。そんなバッドエンドが回避出来るだけでなく、自分をその弱者からレベルアップさせてくれると言うのだ。これ以上嬉しい誘いはないだろう。
だが、それが魅惑的な誘い、嬉しい誘いであればある程、男の中には疑問が残る。
「何者だ、アンタ? 何故、俺にそんなことをしようとするんだ?」
他人に優しくされた記憶の無いその男にとって、その老父の言葉は不可解だった。自分に良くしても、老父には何の得にもならない。むしろ、損するだけであろう。ならば、自分に優しくする訳がないと思っていた。
だが、得とか損とかそのようなものは、老父にとってはどうでも良かった。老いた今では、自分が何者かどうかもどうでも良かった。
老父はただ笑う。
「儂? 儂はただの名もなき魔導師のクソジジィだ。気に留めるような者ではない」
そして、と老父は続ける。
「何故そのようなことをしてやろうとしているのかと言うと、これと言った目的はないのだが、あえて言うとなれば……“ジジィだから”じゃな」
老父は口元を歪める。
ジジィだから……
男はその老父の言葉の真意は全く分からなかった。だが、損得無しに自分に良くしてくれる者との出会い、その運命を、とても嬉しく感じていた。これ以上の幸福は無いだろうと感じていた。
そして、それと同時にそのことに対する責任も理解していた。だが、それも含めて、男はその老父とで会えたことを嬉しく、誇らしく思っていたのだ。
なぜなら、男はそれまでずっと独りだった。独りであり続けなければならなかった。独りだと何も背負うものは無い。人生に負けようが何だろうが、結局のところは自己満足が満たされるか否かだけなので、それはどうでもいい問題でしかない。
だが、『アッシュ』となった今では違う。自分には、自分の命と誇りだけでなく、師となったあの老父の命と誇りも籠められている。
それは嬉しく、そして誇らしい。
だから、尚のこと負ける訳にはいかない。
「はあっ、はあっ、はあっ!」
息を切らしていたアッシュは、再び気合いを入れる。消耗しきっていたかのように見えたアッシュではあったが、そこで再び勢いを取り戻したかのように、その魔力は充溢していった。
それと同時に、失われていた左手が元に戻る。
「ハアッ!」
誇らしげに翳す黒い左腕は、元通りの動きを見せていた。
そのアッシュの様子を、ルナは平静な様子で見ていた。自分がこの試合を有利に進められているのは分かっていたが、それで慢心したり油断したりはしていなかった。そして、これっきりでアッシュが終わる存在とも思っていなかった。
そこに、ルナにとって驚きはなかった。
「おー、ド根性♪」
観ているカオスも驚いたような仕草はしてみせるが、それは明らかに想定内の驚き、もしくは単なる偽りでしかなかった。ここでアッシュの左腕が戻ろうとも戻らなかろうと、それだけで戦局を左右するようなものではない。依然として、ルナの優位に変わりはない。カオスは分かっていた。
「はあっ! はあっ! はあっ!」
そして、そのようなものは言うまでもなく、左腕の復活でさらに魔力を消費したアッシュ自身こそが、何処の誰よりも痛い位に分かっていた。