Act.100:対極Ⅱ~Fire and Ash~
力を見せる?
ルナは警戒していた。今までアッシュが本気ではなく、その言葉に偽りはないと分かっていた。それを加味したその上で、アッシュには何か特別なものがある。今までのノーダメージ振りから、そう感じていた。単なる力の大小に止まらない、何かがあるように感じていた。
「ククク」
その警戒しているルナの姿を見て、アッシュは少し口元を緩める。別に馬鹿にした訳ではない。ここまで勝ち抜いてくるような人間に、警戒してもらって少々光栄に思っていたのだ。その喜びだった。
その瞬間だった。アッシュは特異な行動を見せる。
左腕、アッシュの左腕が肩から切り裂いたように綺麗に外れた。外したのだ。左腕が本体から独立して、アッシュの横にふわりと浮き始めた。
「いいいいっ?」
「…………」
カオスとリスティアは驚いた。他の観客連中も驚いた。今まで腕が取り外し自由な人間なんて、見たことも聞いたこともない。目の前に居るアッシュという人物は、そんな彼等の常識の域から外れた者だったのだ。誰もが声を失い、戸惑いを見せた。
その対戦相手であるルナも、勿論戸惑っていた。だがその心の片隅で、そうしている場合ではないとも分かっていた。自分は対戦中、試合中だ。不用意な戸惑いは隙となる。
アッシュもそんなルナの落ち着きを待つマネはしない。これは好機なのだ。その好機に乗り、浮いた左腕でルナに攻撃を仕掛ける。
「そりゃっ!」
アッシュの左腕は真っ直ぐに、アッシュ本体とは別の生物のようにルナ目がけて飛びかかってきた。飛びかかりつつ、そのままパンチの体勢に入る。
「!」
ルナはその動きに驚きを隠せないでいた。ただ腕が外れるだけでも驚きなのに、その腕が飛び掛ってきて、パンチを繰り出してくるのだ。そんなシーンを目の当たりにして、驚かない者はいる訳がない。
とは言え、ルナはまだ少々の落ち着きは残していた。上体を後ろに反らし、その左腕が弧を描くように繰り出したパンチを回避していた。
しかし、それはアッシュの予想の範囲内。左腕はそのまま位置を下方にシフトする。そして、横に回避したルナの足首を掴む。
「!」
気付いた時には、既に遅かった。左腕はそのまま足を逆方向に引っ張り、ルナを転ばせる。手は反射的に出たのだが、ベチャッと転んだ姿はみっともない以外のなにものでもなかった。
アッシュによって転ばされただけなので、大体の観客はダサイとか思わなかったが、ルナ自身は非常に恥ずかしく思っていた。そして、カチンときていた。
起き上がり、その表情を見ればカオスにもハッキリと分かる。
「あ、アイツちょっと頭にきてる」
冷静であろうと心に命じていても、そればかりは隠せなかった。その怒りをぶつけたい気分だった。
ルナは自分の足首を掴んだアッシュの左腕を掴み取る。そして、そのまま真っ直ぐにアッシュに襲い掛かっていった。そのアッシュの左腕を武器にするのだ。
「!」
その動きの流れは、アッシュの予想以上に早いものだった。アッシュは少し戸惑って何もしてこないだろうと踏んでいたのか、それに対応出来ずに動きは止まったままだった。
ルナはアッシュの左腕を大きく振り上げる。そして、それを思い切りアッシュの頭部目がけて振り下ろした。攻撃が成功して頭にダメージを負わせても、失敗してその左腕が壊れても、どちらにしてもルナが得する寸法だった。
その攻撃にアッシュは何もしなかった。むしろ薄ら笑いを浮かべながら、良く当たるように自分の頭を差し出す始末だった。
「え?」
その特異な行動に驚きつつも、ルナの動きはもうその時点では本人にも止められない。そのままその左腕で殴りかかり、それをアッシュの頭部に食らわせる。
その攻撃は当たった。だが、殴った時に生じる反動はルナには全く来なかった。なぜなら、その左腕が頭部に当たった途端に、その左腕は頭部の中に突き刺さり、そのまま吸い込まれていったのだ。抵抗も何も無い。水に棒を突き刺すように、するっと吸い込まれていった。
そして、消えていく。アッシュの頭に刺さった腕からルナの持っている部分まで全て、その左腕はアッシュの頭からその体内に取り込まれて消えていった。
アッシュは口を歪める。
「わざわざ持ってきてくれて」
そう口を開いている間に、何もなくなっていた左肩の所にどんどん左腕が再生してゆく。そして、元通り。
「ご苦労さん!」
そう言い終えると同時に、アッシュは元ある左肩の所に再生した左腕で、ルナを殴り飛ばされる。完全に虚をつかれた形となったルナは、その突きをモロに食らってしまう。
「チッ」
そうして、大きく後方に飛ばされる。だが、それは大きなダメージにはならなかった。ルナは空中で上手い具合に体勢を整え直し、綺麗にリング上に着地する。
それと同時に、反撃に移る。素早く充溢させた魔力で、炎の槍を何本も解き放つ。アッシュを狙って繰り出していく。
今度はリングを燃やした時と違い、貫通力に重点を置いた攻撃だ。食らえば、炎によってだけでなく、その貫通力によってもダメージを受ける。その攻撃がきっちりとアッシュを狙って突き進んでいた。
アッシュは回避をしない。防御もしない。その攻撃を、真正面から受け止める。受け止め、その攻撃は全てアッシュに当たる。当たって、アッシュの肉体をアッサリと貫通してゆく。
貫通が終われば炎は消えていく。そして、そこに残ったのは体が穴だらけになったアッシュ。頭は欠け、左肩は吹き飛び、腹には大きな穴が開き、右足の一部がちぎれていた。その状態で、アッシュは立っていた。
その姿を見て、観客は驚く。恐怖を感じる。
「うっわぁ! こ、殺しちまったぞ!」
「大変だ! 死んじまったっ!」
「キャー!」
だが、ルナは表情を一切変えなかった。ルナは、気付いていた。分かっていた。この姿であっても、アッシュはしっかり立っている意味を。この姿であっても、アッシュの魔力に変動が無い意味を。
そして、その予測は当たる。その姿のままで、アッシュは口元を歪める。
「ククク」
アッシュは笑う。その瞬間だった。アッシュの体は、元に戻った。欠けたままになっているのは服だけで、肉体部分は何事も無かったように元の形を取り戻していた。普通の人ならば即死になるような状態のアッシュは、あっと言う間に無傷の状態に戻っていった。
その姿を見て観客は驚く。腰を抜かす程。
「え?」
「う、嘘?」
「復活したのか?」
だが、ルナは一切表情を変えなかった。
「まあ、そうなるとは思っていたけどね」
そうでなければ、回避しない理由は何処にも無い。そんな変態的なパフォーマンスをやって、死んでしまっては元も子もないからだ。
『ど、どうなってるんですかね? 解説のモナミさん』
ボロキレとなった上着を捨てたアッシュの姿を見ながら、実況アナウンサーは隣に座っている解説者に答を求めた。
『さあ。分かりませんね』
そのモナミとしても、このようなケースは初めてだったので、何なのか断言できないでいた。だが、プロとして一つ気付いていた。
『ただ、魔族って感じじゃあないんですよね』
そのように言う。人間じゃないように見える。だが、魔族とかそういった邪悪な感じはしていない。そのように言うのだ。
その声は、リング上にも届いていた。そして、その声に戦闘の間のブレイクとなっていたアッシュが応える。
「それは、そうだ。俺の両親は、純潔の人間であるからな」
血縁的には、完全な人間である。魔族や、亜人等との血縁的な関わりは何処にもない。
「だが、もっとも」
アッシュは言う。
「普通ではないかもしれないが」
と。
その言葉に観客は、アッシュ以外全員は絶句する。言葉を失う。
いやいや。君が普通じゃないって、わざわざ口に出さなくてもみんな分かりきっているから。
その場に居た他の者は全員、そのように思っていた。心の中で激しくツッコミを入れていた。だが、それは当の本人であるアッシュには全く伝わっていなかったらしい。
「?」
アッシュは不思議そうな顔をしていた。
「会場全体のツッコミに気が付かないとは。アイツ、意外と天然だな」
天然ボケ。カオスはそのように判断する。その横で観戦していたリスティアもそのように思いはしたのだけれど、そのようなコメントをするような場でもないような気もしていた。
ただ……
「何か平和なコメントですね」
命が懸かった戦いではないにしても、戦いの中で平和なコメントであるように感じていた。
「さて」
そうやって一息ついたところで、アッシュはまた真剣な表情に戻る。雑談ではない、戦いに赴く真剣な表情だ。
戦いに戻るのだ。
「今度は、こちらから攻めさせてもらおう」
「ご自由に」
ルナは淡々とした調子で言う。ルナは分かっている。それを拒絶する資格も何もないと。訊くまでもないと。
アッシュも分かっていた。ルナに少しでも誇りとかそういったものがあるならば、そのように答えると。そう訊くまでもなく、そうして良い権利は自分にはあると。
アッシュは攻撃態勢に入る。先程は左手を外した。今度は、右手を外した。無造作な感じで右手を外し、それをさらに3分割した。それから、それら全てを球体状へと変えた。
アッシュの右肩の周りに、3つの黒い球体が浮遊する形となった。アッシュは球体へ命じる。
攻撃と!
3つの球体は真っ直ぐルナに襲い掛かる。それは、とてつもないスピードだった。大砲並のスピードでルナに向かって突撃し、1つの球体がルナの顎にヒットする。ルナはその衝撃で後方に倒される。
球体はルナを倒してもその先へと直進していったが、そのちょっと先でその方向を切り替える。大きく弧を描きながらも、その球体は戻って来た。的であるルナの方へとその狙いを修正したのだ。
「戻って来た!」
観ていたオーディンも驚く。だが、先程の左腕も自在に操れていたのだ。特に驚くようなことでもない、と次の瞬間には思い直した。
そして、それはルナとしても同じであった。ガードも回避も出来なかった1回目とは違い、今度は腕でしっかりと顔面部等を守り、ガードした。飛ばされたり、倒されたりはしない。
しかし、逆を言えばそれだけだった。アッシュの黒玉は、ぶつかっては進み、戻ってきて、またぶつかる。その繰り返しであって、それは秒単位で繰り返される。だから、ルナはその防御体勢を変えられず、防戦一方となってしまった。
「自由自在にコントロール出来るようだな」
「ああ。やっかいな能力だな」
クロードは言い、オーディンはその首を縦に振る。1回戻ってくるだけなら、最初からそのように軌道を決めて放ったと考えられなくもないが、こうして何度も軌道を修正しながらルナ目がけてぶつかっているのならば、それは自在にコントロールされている以外に考えられない。
体が分解し、その1つ1つが意思を持つ生物であるように襲ってくる。それだけでアッシュという戦士はやっかいな存在だ。だが、それだけでないとオーディンは知っている。
「その上に、どんな攻撃を受けてもたちどころに治ってしまうという、不死身の肉体の持ち主だ」
厄介な攻撃を仕掛けてくる上に、こちらからの攻撃はどんなに食らっても一切ダメージとならない。そんな化物と対戦すると考えるだけで、オーディンは嫌な気分だった。
自分がそのアッシュの対戦相手だとしたら、その戦いに希望は見出せなかった。勝てる気がしないと。
だから、言う。
「残念ながら、奴を倒す方法はないのかもしれん」
「それはどうかな」
しかしその言葉を、近くで聞いていたカオスは即座に否定する。
さらっと言いのけるカオスに、クロードとオーディンは驚き、振り返る。現時点ではアッシュは不死身。どうやっても倒しようがないように思えていたのだ。だが、そうではないとカオスは言う。
「動きの派手さに目が奪われがちだが、良~く見ればすぐに分かる筈だ。“試合で勝つ”方法も、“実戦で倒す”方法もな」