Act.098:魔と薬の宴Ⅲ~限界~
☆対戦組み合わせ☆
二回戦<Bランク試験合格決定戦>
9: Dr.ラークレイ vs リスティア・フォースリーゼ
10: ルナ・カーマイン vs アッシュ
11: オーディン・サスグェール vs デオドラント・マスク
12: クロード・ユンハース vs カオス・ハーティリー
「うぐっ!」
Dr.ラークレイは、ふらつきながらも立ち上がる。だが、それと同時に吐き気をもよおし、その直後に鉄のような不快なもので口内を満たす。口から外へ垂れなくても分かる。吐血だ。
Dr.ラークレイはその血を手に取り、眺める。吐血だけでも不測の事態なのに、その吐血の量もその不測の字に拍車をかけるものだった。
大ダメージ。リスティアの少し力の入った攻撃一つだけで、大きなダメージを食らってしまったのだ。
Dr.ラークレイは真っ直ぐリスティアの姿を見据える。リスティアは何も変わったようには見えない。自分に攻撃を食らわせた影響で、魔力なり体力なりが減っているようには見えない。涼しげな表情のままだ。
つまり、さっきの自分に大ダメージを与えた攻撃さえも本気ではないという訳だ。その現実を、Dr.ラークレイは思い知らされた。
甘かった!
Dr.ラークレイの目論みは非常に甘かった。だが、彼自身後悔はしていなかった。この大切な試合で、わざと負けるような輩はいない。自分が何を言おうと、言わなかろうと、遅かれ早かれこの結果に変わりはないと分かっていたからだ。
そう、勝てない。
Dr.ラークレイは一撃でそう悟った。分かってしまった。だが、そこで首を横に振る。認めてはならないと思っていた。
これは究極の肉体である。このサイコ・ドラッグによって、究極の肉体へと変貌する。そう信じて、試行錯誤と苦悩を重ねて完成させた魔術だ。自分自身が信じられなくて、誰が信じるというのだ?
Dr.ラークレイは自分自身を奮い立たせた。失いかけた戦意を、再び燃えさせる。
そして、再び挑んでゆく。
「はっ!」
真っ直ぐに向かっていって、殴りかかる。Dr.ラークレイとしては、今までで一番のスピードであり、パワーであったが。
リスティアには通用しない。拳がリスティアに当たろうとした瞬間、そのリスティアの姿はそこから消えた。避けたのだ。その為、結局Dr.ラークレイの拳は、虚しく宙を切るだけ。
「!」
当たるものと思っていた拳を当てられなかったDr.ラークレイは、勢い余って少々バランスを崩した。ふらつきながらも何とか大成を整え直したDr.ラークレイは、そこで自分の拳の行方を知る。そして、リスティアの姿を見失ったことも。
「こっち」
左右を見渡すDr.ラークレイに、リスティアは話しかけて自分の居場所を教える。余裕である。そこから不意打ちしても構わないのに、リスティアはそうしないどころか、そのアドバンテージを放棄する余裕であった。
「チッ」
リスティアの方に視線を戻したDr.ラークレイは、自分がナメられていると知る。そして、そうされても仕方のない自分、その程度の実力しかない自分も知らされる。
文句は言えない。完全な本気ではないリスティアに、この程度の戦いしか出来ない自分には、何も言う資格が無い。
Dr.ラークレイは悟る。そして、それを打破するにはもっと“力”が必要だと。だから、欲するのだ。力を。大きな力を。
「くおおおお、おおおおおおおおっ!!」
さらなる力を望むDr.ラークレイは、魔力を限界近くにまで上げてゆき、それを筋肉へと追加していった。何よりも強大な力、何よりも大きな筋肉を求めて、死ぬ気で魔力を上げて。
「おおっ! おううっ! はあああっ! ぬぐぁああああっ!」
涎を垂らし、血を撒き散らしながらも、己の限界を突破しようとDr.ラークレイは試みる。さらなる上部へ至ろうと力を尽くす。
その結果、限界を突破したかどうかは分からない。だがその結果として、Dr.ラークレイの体にはこれまでの増加状態を凌駕する筋肉が得られていた。
「グギギギギ、ギギギギギギギギッ」
成功だ。
Dr.ラークレイは無理がかかる体の痛みを感じながらも、大きく増強した筋肉に満足していた。この力があれば、倒せない者などいないのではないかと思っていた。けれど……
失敗ですね。
リスティアはDr.ラークレイの変身を見て、そう判断した。ただムダに大きくなっただけの筋肉、常に無理のかかっている体、それでマトモに戦える訳がないと分かっているからだ。
何を見せるのかと思えば、このようなものですか。つまらない。
リスティアはDr.ラークレイに対する興味を完全になくした。さっきまでは個性的な技を使う面白い敵ではあったけれど、今ではただの低レベルな使い手にしか見えなくなっていた。
「シャアアアアッ!」
リスティアに近付いたDr.ラークレイは、手刀を放つ。左の手刀を横一直線、薙ぎ払うように。
が、それはただ空を切るだけに終わる。リスティアは体を落とし、その手刀を簡単に避けた。力は先程までより大きくはなっているのだろうが、そちらに固執するあまりにスピードも技のキレも非常に悪くなってしまっていた。
リスティアにとって、避けるのは楽でつまらなくなっていた。戦うのも楽でつまらなくなっていた。
では、すぐに片付けてしまおう。リスティアは、そのように考えるようになった。
そして、終わらせる。Dr.ラークレイの技を避けるのに体勢を落としたリスティアは、そのバネを利用して、攻撃直後で隙だらけのDr.ラークレイの下あごに右の拳でアッパーを叩き込む。
「ぐはっ!」
Dr.ラークレイの視界は、一瞬全てがスローモーションとなる。白くフェイドアウトしてゆく。
リスティアの拳は確実に入り、筋肉の塊となっているDr.ラークレイの体を大きく飛ばした。
彼の体は上方に数メートル上がり、そのままリングに叩きつけられる。Dr.ラークレイはその一撃で気絶したのか、受身も何も出来ないままうつぶせ状態でリングに落ちていた。たったの一撃ではあるが、それで食らったダメージは計り知れない。
ダウン。そして、Dr.ラークレイは立ち上がれない。彼の口元から、血が少々漏れていた。それと共に、厚い筋肉に覆われていたDr.ラークレイの体は、シュルシュルと元の虚弱な体へと戻っていった。
倒れた貧弱な体のDr.ラークレイ、それは彼自身の戦いの限界を示しているかのようだった。もう、終わりだと。これ以上は無理だと。
「気絶したのか、単に魔力が尽きたのか」
オーディンは予想するが、正直その正誤はどうでも良かった。どっちにしても、Dr.ラークレイがこれ以上戦えないのは明白だからだ。
勝敗は決した。例えここでDr.ラークレイが起き上がり、ピーク時のマッチョに戻ったとしても、それは揺るがないだろう。そんな非情な現実。
そして、それをリングに上がって確認した審判が宣言する。
『気絶。よって、この試合、リスティア・フォースリーゼ選手の勝利です! そしてリスティア選手、本年度のトラベル・パスBクラスの合格第一号です!』
リスティアの勝利を。合格を。祝い、讃える。
それは観客も同じ。大きな歓声と拍手、賛辞の声の嵐でリスティアの勝利と合格を讃えていた。
その中を、リスティアは冷静沈着な様子のままで花道を歩き、会場を後にしようとしていた。その中に喜びは無い。興奮も無い。リスティアのゴールもまた、このBクラス試験の合格ではないのだから。この合格を嬉しく思いはすれど、そこで有頂天になったりはしないのだった。
その様子を、国王のアーサーはマリフェリアスとは別の専用の特別観覧席で見ていた。アーサーは口元を歪め、少々楽しそうに笑う。
「なかなかやるではないか」
リスティア・フォースリーゼ、治安局長であるエクリアの妹。アレもまた、この国の将来の平和を担う貴重な人材、中枢となってゆくのだろう。
アーサーは、そんな予感がしていた。そして、それが当たらずとも決して遠くにはならないと確信していたので、そんな将来をイメージするだけで楽しい気分になれていたのだ。未だ死していない魔王アビスとその一派は、アーサーにとっては非常に大きな憂いの種である。しかし、こうした頼もしい種が数多く育っていればいる程、その憂いは払拭されてゆくからだ。そうなってゆけば、人の人としての未来は明るい。そのように思えていた。
そして、それが自分の死後も綿々として続いてゆけばいい。そうすれば、人間の永久の平和は約束される。そう考え、そう望むのだった。
◆◇◆◇◆
勝ったリスティアは、その勝利が当然のような感じで、何の感情の起伏も無いままにリングから去っていた。その様を、アレックスは病室に備え付けてあるテレビのモニターで観ていた。
そして、言葉を失う。
「…………」
リスティアは知り合いである。仲はそんな良いわけではないにしても、知り合いがそのような栄誉を手に入れると、それは全く知らない人のそれとは別物である。
あれは自分のなりたい姿だ。
アレックスはそう思っていた。そして、そうなったら天にも昇る気持ちになるだろう。有頂天になるだろう。そのようになると分かっていた。だが、それとは対照的に、リスティアの様子は平静なままだ。性格的な面を加味したとしても、リスティアとしては自分程にはこの栄誉を特別なものとして見ていないという事は、アレックスにも分かった。
アレックスと違い、リスティアはそのように思える。それはつまり、それだけの格差が両者にはあるという事に相違ないのだ。
アレックスは、そこに嫉妬の感情を抱かなかった。余りにも違い過ぎ、余りにも別格過ぎたからだ。
あれが、一流の騎士となる者……
自分の目標は、まだまだ遥か遠くにあるものだとアレックスは実感していた。
実感……
しかし、アレックスがそうしている間にも会場では試験は進んでいく。次の第2試合、ルナ達の入場と対戦がコールされる。審判兼司会者は、大きくポーズを取ってそれを宣告する。
『続きまして、第2試合。ルナ・カーマイン対アッシュ! 両選手の入場です!』
そのコールと共に北ゲートと南ゲート、両方の上方にあるモニターに、それぞれルナの『LUNA』の文字とアッシュの『ASH』の字が映し出される。その直後、ゲート横のパイロが爆発による演出を見せると同時に、その両方のゲートは開いたのだった。
その派手な煙と閃光の中、大きな歓声に包まれてルナとアッシュは入場してくる。花道を歩く両選手を追うようにスポットライトは当てられ、その二人を際立たせる。
ルナはその中、背筋を伸ばして真っ直ぐに歩いていた。その実直な性格を現すように。
そして、その向かいからやって来ているアッシュの姿を見据えていた。アッシュはだっぷりとしたローブを着用し、そこにすっぽりとフードを被っていたので、その様子は良くは分からなかった。その上、元の肌の色なのか、ローブの影響か、他の何かなのか、ローブにかかっていない顔全体も黒くぼやけているように見えていたので、それがその不明さを助長していた。
ルナとアッシュ、両選手はリングの上に立った。ルナから見るアッシュの口元は、心なしか少し笑っているようにも見えた。黒い顔の中に見える白い歯、それもまた不自然なもののようにルナは思った。だから……
不気味な奴……
相手に対するルナの感想は、そんなものだけだった。