Act.096:魔と薬の宴Ⅰ~片鱗~
☆対戦組み合わせ☆
二回戦<Bランク試験合格決定戦>
9: Dr.ラークレイ vs リスティア・フォースリーゼ
10: ルナ・カーマイン vs アッシュ
11: オーディン・サスグェール vs デオドラント・マスク
12: クロード・ユンハース vs カオス・ハーティリー
リングでは今日最初のカード、リスティアとDr.ラークレイの両者が上がった。その二人を、観客の大きな声援が包んだ。観客はこれから始まる激戦を想像し、そのテンションを上げていた。興奮し、その身も心も熱気に溢れていた。
それとは反対に、リング上のリスティアとDr.ラークレイは非常に落ち着いていた。これから試合だからこそ、冷静な表情で相手を見据え、これからの試合に臨んでいた。
『それでは、始めて下さい!』
そうして試合は始まる。
リスティアとDr.ラークレイ、双方共にその開始の声とほぼ同時に構えを取る。だが、すぐに動きは見せない。少し相手の様子を窺った。
とは言え、それは意味が無い。
Dr.ラークレイはそう考えた。初戦を見はしたが、相手に全く触れずに勝ってしまったリスティアは、一切実力を出していない。だから、相手の実力等はさっぱり分からず、ほぼ初対面と変わらないからだ。
ならば、積極的に出よう。試合開始から数秒後、Dr.ラークレイは動く。
「ゆくぞ」
「どうぞ」
リスティアは落ち着いた表情のまま。
「はっ!」
そのリスティアに、Dr.ラークレイは真っ直ぐかかっていく。魔法も何もない、肉体的な突撃だ。まずは様子見である。リスティアにも、それはお見通しであった。
Dr.ラークレイは左足を地に着け、そこから流れるように右の拳を真っ直ぐに繰り出す。その拳はきちんとリスティアの顔面を狙うものだったが、その拳をリスティアは左手で横に流してそれを回避。
回避。拳が流れたその時点で、Dr.ラークレイはその拳を引く。駄目なものは駄目。そのように見切りを付けて、次の拳をお見舞いしてゆくのだ。右、左、右、左、Dr.ラークレイは休まず拳を披露してゆくが。
それらの拳は一つもリスティアに当たらない。Dr.ラークレイが繰り出した拳を、リスティアは左手一つで全て捌ききってしまった。
そして、攻撃後には隙が生じる。
その隙をリスティアは逃さない。さっと腰を落とし、魔力の砲撃をDr.ラークレイに食らわせる。それは、特に力を入れた攻撃ではない。だが、Dr.ラークレイの体を吹き飛ばすにはそれだけで十分だった。Dr.ラークレイは、リスティアから少し離れた場所へと飛ばされる。
クリーンヒットではあった。だが、Dr.ラークレイもこれと言ってダメージを受けない。飛ばされながらも上手く体勢を整えなおし、上手くリング上へと着地していた。そして、その間に左右の手に魔力を充溢させてゆく。
そうしてDr.ラークレイの手に魔力が充溢されてゆくと共に、彼の手の中で小形の丸底フラスコが具現化されてゆく。赤い溶液をその中に入れた丸底フラスコはDr.ラークレイの両手それぞれ4つ、計8本のフラスコは彼のそれぞれの指の間に挟まれて誕生した。
「サイコ・ドラッグ“爆裂”」
自分が魔法で作った怪しい赤い溶液を入れた丸底フラスコを、Dr.ラークレイは紹介する。紹介しながら、誇らしげにニヤリと笑う。
そして、ピッチャーのようにふりかぶる。大きく腕を上げて、右手をリスティアに向けて真っ直ぐに振り下ろす。それと同時に、指の挟む力を抜いて一気に4つのフラスコをリスティアに向けて投げつけた。
爆裂。そのように名付けられたサイコ・ドラッグは、リングにそのフラスコが触れると同時に大爆発を起こす。粉塵を生み、巻き上げる。
「…………」
だが、そこに手ごたえはない。Dr.ラークレイは、粉塵で失った視界の中でも、リスティアがダメージを受けていないことだけは感じ取っていた。
「いないな。何処だ?」
「後ろ」
その瞬間、Dr.ラークレイのすぐ背後にリスティアの影が現れた。爆発を避け、その粉塵が舞い上がる一瞬の隙に、リスティアはDr.ラークレイの背後に回っていた。
マズイ。
Dr.ラークレイがそのように思った時は、既に遅かった。そのリスティアに対して何も対抗出来ないまま、リスティアの蹴りがDr.ラークレイの背中にクリーンヒットしてしまうのだ。
Dr.ラークレイは蹴り飛ばされる。
「早い!」
何回も本戦に出場しているDr.ラークレイの背後を、いとも簡単にとってしまうリスティアの動きに、クロードとオーディンは舌を巻いた。そこら辺の騎士と比べても遜色ない、むしろ勝っているものだと思わせた。
リスティアは凄い。それは、クロード達以上に対戦中のDr.ラークレイは感じていた。だが、無論それだけでこの試合を投げ出したりはしない。闘志を失ったりはしない。
Dr.ラークレイは飛ばされながらも振り返り、リスティアの位置を確認する。確認しながら、左手に残っているサイコ・ドラッグを全て投げ捨てる。そのフラスコも右手の時と同じようにリングに触れた時点で大爆発を起こし、その粉塵を大きく巻き上げる。
だが、そのサイコ・ドラッグでもリスティアはダメージを受けない。それは、投げる前からDr.ラークレイも分かっていた。その程度でダメージを受けるならば、今のような苦労はしていないと。
だから、そのサイコ・ドラッグはダメージを与える為に投げたのではない。巻き上げた粉塵による視界の遮断である。
そして、それは成功した。煙は大きく舞い上がり、視界は非常に悪くなっていた。互いの姿も全く見えなくなってしまっている。それだけではどっちもどっちな状況下ではあるのだが、Dr.ラークレイは先程振り返った時にリスティアの位置を把握済みである。それを記憶し、きちんと理解している。ここから攻撃するのも可能だ。
だがしかし、ここから真っ直ぐ攻撃するのもいささか芸が無い。そして向こう側としても、視界が悪くても真正面から来る攻撃を捌く事は、それ以外と比べて易しくなってしまう。せっかく作ったチャンスである。それを活かさぬ手はない。
そのチャンスを活かそうと、Dr.ラークレイは粉塵が上がっているその隙を縫って、粉塵の中のリスティアを中心に弧を描くようにその位置を約90度右回りにスライドした。そこから攻撃である。粉塵の中のリスティアの左を狙って、Dr.ラークレイは真っ直ぐに素早く飛び蹴りを炸裂させた。
蹴りは粉塵の中のリスティアを捉え、そこに炸裂する、筈だった。が、その蹴りも当たらない。リスティアをすり抜けて、そのままDr.ラークレイはリング上に着地する。それと同時に、リスティアの幻はゆらゆらと揺れて消えてなくなる。
「これは、残像か」
Dr.ラークレイは、そのことを素早く把握する。先程のサイコ・ドラッグの狙いも、自分の反撃も全て見通されていたのだと知った。
が、それもまた隙となり、それをリスティアは逃さない。その隙により、またDr.ラークレイのバックを取ったリスティアは、再びDr.ラークレイを蹴り飛ばす。
「くあっ!」
先程は、体勢を整えて綺麗に着地したDr.ラークレイ。だが、もうそれは出来なかった。どうにか頭が当たらぬようにはしたものの、背中と肩の辺りをリングの上に強打してしまった。
「くはああっ!」
Dr.ラークレイは、少々吐血する。痛む肩と背中をさする。そうしてよろめきながら立ち上がる頃になると、Dr.ラークレイが巻き起こした粉塵が晴れて、その両者の立ち位置が観客にも鮮明に見えるようになっていた。
初戦を勝ち抜いたDr.ラークレイ、その彼をリスティアが圧倒していた。その上でさらに、疲れの見え始めているDr.ラークレイに対して、リスティアは息一つ切らしていない。この現時点で、それ程の実力差があった。
それに対して、観客は舌を巻く。
「あ、あの女、ムチャクチャ強いぞ」
「な、何者なんだ、あのコは?」
「信じられねぇ!」
次々と感嘆の声を漏らすその観客の声は、Dr.ラークレイの耳にも届いていた。
確かに、な。
Dr.ラークレイは理解していた。自分の力と、現在のリスティアとの差を。このままでは、どうやっても勝てないと。
魔法の実力の具合は分からないが、仮にそれが勝っていても格闘技での差があり過ぎて、魔法が当たらない。だから、現時点ではどうしようもない八方塞の状態であった。
奥の手か……
Dr.ラークレイは、その覚悟を決める。あまり人に見せるようなものではないのだが、使えるものを使わないまま負けてしまっては、後悔してもしきれない。だから、使うのだ。
その覚悟を決めた。その様子の変化は、対戦相手であるリスティアだけでなく、観客であるカオス達にも見てとれた。何か、奥の手を見せるのだと。
そしてDr.ラークレイは左手に魔力を充溢させ始める。それは隙であった。その間に攻撃しても、文句を言われる筋合いはないだろう。分かっていたが、これからDr.ラークレイが何をするのか興味を覚えたリスティアは、それを放置した。
しかし……
「サイコ・ドラッグ」
Dr.ラークレイの宣言する技の名前は同じであった。そのことに、観客であるオーディンは失望する。
「また、それか! そんな小細工は通用しないと何度やれば」
「まあ、待て」
気が済むのか、と言う前に隣のクロードがオーディンを制した。怒るのはまだ早い。
「結論付けるのは、あのサイコ・ドラッグがどのような効能を持つのか見てからだ」
先程のサイコ・ドラッグは“爆裂”と名付けられていた。だが、今回はまだその効能の名をDr.ラークレイは言っていない。それはつまり、サイコ・ドラッグという同じ名前を冠していながらも、全く別の効力を発揮する技だという可能性もなくはないのだ。
それを、オーディンは理解する。
「そうだな」
その頃には、リング上ではDr.ラークレイのサイコ・ドラッグは完成していた。今度はDr.ラークレイの左手に、三角フラスコが一つだけ握られていた。そして、先程の赤の液体とは違い、その中には緑色の液体が含まれていた。
一つだけ?
先程は左右併せて8本のサイコ・ドラッグを出したが、今回は左手に一つ出しただけ。それは、周りに居る者達を心なしか失望させるものであった。だが、その一方で今回作り出されたサイコ・ドラッグは、先程のとは比べようもない程強力なものではないか、という期待も生まれていた。
クロードもオーディンも、それがどうなるのかワクワクしながら見守っていた。そのサイコ・ドラッグは、どんな効果を生み出すのだ? 爆発か? 火炎か? それとも他の効果を生み出すのか? 何にしても、さっきの8本のものよりは楽しませてくれるのだろうと。
だが、クロードの予想は全て外れる。Dr.ラークレイは、そのサイコ・ドラッグをさっきの赤いヴァージョンのように投げなかった。
投げない。投げずに、その三角フラスコに口を当てる。そして、その中の緑色の液体を自分の口の中へと流し入れ始めるのだ。
「の、飲んだッ!」
その動作は、対戦相手であるリスティアだけでなく、観客全員を驚かせるものだった。未だかつて、自身が魔法で生み出したものを飲む技なんて聞いたことがないからだ。
魔法を飲む。その行為自体が、彼等からすれば常識の範疇を外れた行為であり、それが彼等をしばらくの間呆然とさせた。
「…………」
「ふぅ」
そうこうしている間に、Dr.ラークレイは怪しい緑色の液体を全て飲み干し終えていた。その直後、Dr.ラークレイの体に異変が起こった。
「くはっ!」
心臓が跳ね上がり、少しむせかえる。鼓動が早くなり、身体が熱くなる。だが、それはその魔法の成功の証。その成功に、Dr.ラークレイは喜びを隠せずに笑った。
リスティアには、そして観客には、まだDr.ラークレイがどのようになるのか、どのようなことをするのか、さっぱり分からなかった。