胡蝶の螺旋
最近、よく街で見かけるようになった『総額0円』のポスターを貼ったお店。
あれは一体全体、何を扱っている商売なんだろう?
判で押したように店構えは小さくて……
それも街にできてしまった隙間を狙ったような店舗で……
『初期費用0円』や『いまなら乗込特典キャッシュバック付き』なんて煽情的なフレーズだらけなのに……
結局は何のお店か判らずじまい!
もう気になって仕方がなかった。
でも、試しに覗いたら「ここは学生向きの店じゃない」とか「冷やかしは営業妨害」なんて煙たがられるかも。
あれ? そんなこともない……のかな?
僕と同じくらいな年頃の奴が、意を決したかのような雰囲気で店内へ――
※ 諸事情により再掲となりました
『カクヨム』とのマルチです
「『異世界0円』って! ほ、本当ですか!?」
開口一番に、かなりの大声だった。
しかし、狭い店内だ。さらには他の客どころか、店員である俺しかいない。強いてボリュームを挙げずとも声は通る。
年の頃は十代――それも後半となったばかりか?
おそらく高校生だ。中学生というには無邪気さが足りないし、大学生というには幼すぎる。
嗚呼、神様ありがとうございます!
この青年は、きっと私に晩酌を! それも第三のビールでなく、本物のビールで!
「もちろんでございます、お客様! 当店は政府より正式に委託された登録業者ですから!」
軽く――微かに匂わせた程度の怒気を混ぜて応える。
メンタルの弱そうな青年が怖気ついてしまうようでは駄目だ。
しかし、多少の引け目を感じさせなければ――暴言だったと勘違いさせなければ、この後の駆け引きが有利にならない。
「え? いや、そんなつもりじゃ……えっと……その……すいません」
「いえいえ。なぜか皆さん不思議に思われる様で。うん、ポスターも少し直した方が良さそうですね」
そして大袈裟に立ち上がって、サービスカウンターへと手招く。
まずは叱責。そして承認。さらには譲歩だ。
馬鹿々々しいほどに功は奏し、青年は促されるまま席へと座った。
おそらく討論などに長けていない。さらにいえば大人との交渉もか?
「この通りに政府の発行した正式な身分証もあります」
首に下げているIDを提示するも……青年は感心するばかりで、俺の名前すら確認しようとはしない。
……もう勝利は約束されたようなものだろう。
いまから人生を賭けた商談だというのに、その担当者の名前すら確認しないとは。
これほど無防備な青年が相手ならば、なんであろうと売りつけられる。もはや焦点は「どこまで毟れる」だ。
逸る心を抑えつつ、改めて青年を観察する。
安いカジュアルな――それも十代にしか許されない雑な装いだ。
特別に貧乏という訳でもないけれど、それでいて特殊な背景も持っていなさそうに思える。
しかし、やや半身に構えているのは、どうしたことだろう?
自動的な他人への警戒? それとも無意識に席を立ちやすい姿勢へ?
だが、その答えを得る前に――
「あの! 僕! パンフを見て! だけど、いくつか分からないことがあって!」
と青年の方から口火を切ってきた。
それも肩に提げていた小汚い鞄から、やはり同じようにボロボロとなったパンフレットを取り出しながら!
嗚呼、神様! 本当にありがとうございます!
この青年は葱まで背負ってました! ただ捌くだけで良かったのですね!
だが、ここで慌ててはいけない。そんなのは素人のすることだ。
沈黙は金とも謳われ、まずは相手に喋らせるのが上策だというのに……なんと青年自ら話しだしている。この流れは是が非にも維持するべきだ。
「えっと……ここです! ここに『異世界はお客様のご要望にお応えして、きめ細やかなカスタマイズが可能』とあるじゃないですか?」
「はい、人気の中世ヨーロッパ風ファンタジーから異能学園ものまで……条件の許す限りにお好きなご注文が可能でございます」
こちらの顔色を伺うかのような青年へ安心させように答える。
嗚呼、報奨金の為ならば、どこまでも暖かい笑顔が作れそうだ!
「で、でも! それだと! 僕には、その世界が作り物と判っちゃうというか……どこまでいっても仮想現実というか……」
それは非常によくある疑問に過ぎなかった。もうくだらなくすらある。
が、ここは大袈裟に肯いて、まずは共感をアピールしておく。……その方が後々の提案を断り難くさせられる。
「判ります! お客様のご懸念は御尤も! ですが最新のVRでは『知っていること』を『知らないこと』にできるのです!」
「え? それじゃあ……凄く細かく色々と設定して――」
「はい、可能です。世界観はもちろん、登場する人物――ヒロインから敵役に至るまで、ご納得がいくまでご検討が可能です。条件の範囲内であれば」
「だけどゲームを始めたら――仮想世界へ入ったら、その世界が実は自分で設計してたのを忘れちゃう?」
「その通りでございます」
可能な限りに柔和な笑顔を作って肯定をしておく。
若くして来店するようなタイプは、非常に打たれ弱い。優しくあやすように扱うのが正解だ。
「そ、そしたら僕は勇者の家系で……優しい幼馴染も外せないな……あとは懐いている妹とか……」
溢れた思いを青年は独り言ちた。
あまりに痛々しくて、とてもじゃないが聞いてられない人もいるだろう。
だが、俺は嫌いじゃなかった。誰にだって理想郷を思い描く権利はある。……この俺にもあるのと同じで。
しかし、そんなのは契約後に好きなだけ時間を掛ければよいことだし、人前でオナニーはしないのがマナーだ。
優しく微笑みかけながら、青年を話へと引き戻す。
「最近は『現代人のままトラックに轢かれて異世界へ』がトレンドかと。まあ、いくらでもカスタマイズは可能ですし?」
やっと人前だったのを思い出したのか、さすがに青年は赤面した。
大丈夫。大人というのは、お金の為なら大概のことは我慢できる者のことを指す。
そんな菩薩の気持ちを込めて微笑もうとしたら――
「あ、あと! あとは……その……オプションの『片手切断』で聞きたいことが!」
と意外な方向へ話が転がりだした。
いきなり『片手切断』の覚悟済み? でも、なぜ片手?
俺の短くないキャリアでも、さすがに珍しいパターンといえる。
「『片手切断』ですと……他コースとの併用が難しくなりますよ?」
「いや……その……僕だと『片手切断』も難しくて……『五体保存』限定になるのかと……」
なぜか複雑な表情で青年は、左手をテーブルの上へと見えるように乗せた。
……よくよく見てみれば義体だ。
なるほど。この手を隠すように座ったから、やや半身気味だったのか。
「まずは、ご説明をさせて頂いても?」
「は、はい! お願いします!」
「とにかく外せない条件が『移民承諾』です。そして目的地はケンタウリβとなります」
「それは覚悟してます! どうせ、このまま地球に居ても……一生が無為となりそうだし」
言葉だけは頼もしいけれど、この青年は簡単な調査すらしていないだろう。賭けても良いくらいだ。
「そして航海の大部分を、特に切除処理せず人工冬眠――仮想現実で過ごすプランもありますが……色々と条件が難しくなっております」
「ぼ、僕じゃ駄目ですか!」
才覚はともかく熱意だけなら認められた。
……そんな若者を挫くのは、この仕事で不愉快なことの一つでしかない。
「この条件での乗船は、航海中に作業を――なんらかの特殊スキルを持つスペシャリストに限られています」
それは絶望と同意義だった。世界中の若者が突きつけられる絶望と。
「でも、それじゃあ……AIのメンテを監視できるぐらいの天才だけが?」
「もしくはAIでは代替不能な特殊能力を」
あるいは俺のように、AIでは絶対不可能な職に就けるかだ。
「でも、僕だと『四肢切断』コースどころか『両手切断』コースすら……僕でも『両足切断』コースに応募できますか?」
あまりの悲しい申し出に、つい同情してしまいそうになるが……ここは心を鬼にする必要があった。
「お客様は勘違いをなさっておいでです。政府は――移民局は、べつに人間の手足を集めている訳ではありません。ただ『長期航海で人体を運ぶより、現地で再生した方が安上り』という選択の結果なのです」
……半分は嘘で、半分は本当だ。
おそらく切除部位は蛋白質としてリサイクルされる。その実入りは馬鹿にできない。
「じゃあ、僕の左手がないのも?」
「そうですねぇ……『五体保存』コースで『片手切断』のオプションとされるか……『両手切断』のコースとされるかでしょうか?」
さすがに青年ですら鼻白んだ。
これでは残った無事な方を捨てさせる選択となり、逆に躊躇させてしまうか?
まあ、最終的に超えさせるハードルとは、比べ物にもならないのだけれど。
「じゃあ、『四肢切断』コースを僕でも?」
……驚いた。
そこまで自発的に考える客は、さすがに遇ったことがない。これだと『カモ葱』どころか『土鍋に盛り付け済み』レベルだ。
「あー……でも、どうかなぁ? うーん? ――お客様は中世ヨーロッパ風ファンタジー世界で、勇者となって冒険をされたい? それもヒロイン二名をお付けするプランで?」
「い、異世界スリップでチート貰うパターンでも……ただ、もう少しヒロインは多くても……」
『幼馴染』と『妹』の他に、まだ願望があるのか!
だが、絶対に客の癖を笑ってはならない。必ず破談となるし、深く恨まれもする。
「お客様は十代……でいらっしゃいますよね?」
「あ、はい。今年で十七になります」
……これは報奨金が凄いことになりそうだ。
「では十代特典をお付けして……それから『四肢切断』コースとなりますと……」
「な、なにか問題あるんですか!?」
心配そうな青年は放置し、難しい顔を作ってモニター画面へ各種条件を入力していく。
「それだとヒロインと二人っきりの生活ですね。どこかの密室で。もしくは少し荒の目立つ世界を冒険。ただしヒロインなし……かな?」
「えー……それは……ちょっと……嫌というか」
「本来は移民船で人工冬眠する時の余禄に過ぎませんから、過剰にリソースを割り振る訳にも。ただでさえ、このプランは多くを要求している訳ですし」
「……多くを?」
案の定、食いついてきた。後は型へ嵌めるだけだ。
「やっぱり内臓を生かすとなると、それなりに栄養など必要となります。もちろん船内スペースもです」
「それでも厳し過ぎませんか!?」
まあ、その指摘は正しい。
そもそも『四肢切断』コースで苦しくなるのは故意にだ。
「と申されましても、現地での再生代なども見積もられてますし……うーん……となると細かいオプションで稼ぐ様かな。あ、そうだ! お友達! お友達割引はどうですか?」
「と、友達……ですか?」
「はい。お友達をご紹介いただけるとポイントバックがありますし、お友達と世界を共有すればリソースも節約できますよ?」
さすがに期待薄だけれど、それでも粉だけは掛けておく。
青年がカモを連れてきてくれればよし。そうでなくても観念させ易くなる。
「いえ、僕に……心当たりは。新天地で一人な気分でしたし」
……やはり駄目か。
なら、あとは本人を仕上げてしまおう。
「それでは再生代を削って義体へ変更しますか? それなりの品質はお約束できますよ?」
「義体だとなぁ……わりと幻肢痛がきついタイプなんですよ」
「可愛らしいAIヒロインと蜜月だけでも快適かと。一級AIを割り当てるそうですし」
「でも、それだと『引きこもり』ですよね?」
……仮想現実へ引きこもるのと、どこが違うんだ?
「返す言葉がありません。ちょっとお客様がお求めな冒険とは違うかもですね。でも、お客様は恵まれている方なんですよ? 十代特典が付いてますから!」
「そういえば、どうして十代に特典が付くんです?」
「新天地では若い力が必要とされるからです! 偉大なる開拓事業ですからね!」
もちろん大嘘だ。
この政府主導の移民事業は、実のところ体の良い棄民政策に他ならなかった。
ベーシックインカムなどに代表される国民への最低保証は、年が若ければ若いほど総額が嵩む。
反面、十代のうちに棄民してしまえば、その分だけ多くを節約できた。
この青年は、本当にケンタウリβへの航海が成功すると信じているのだろうか?
成功すれば大偉業でありつつ、それでいて失敗しても……増えすぎた国民を、安楽のうちに間引く最後の手段へ変わる。
そして効果を最大限とする為には、どちらにせよ可能な限りの人員を積み込まねばならなかった。
「そうだったんですか。僕は志願さえすれば雇って貰えるとばかり……そこまで凄い話だったとは」
「私などは『あと十歳若ければ』と思うことが多いですね」
もちろん若かろうと、こんな危ない橋へ絶対に志願などしない。
だいたいAIでなく俺が――いまどき人間が、なぜリクルート役なのか疑問を覚えるべきだろう。
それはAIだと絶対にできないから――詐欺と認識しながら相手を騙すから。
もう少し噛み砕くのなら……高性能であるが故に何重ものセフティを掛けられたAIでは、人を害する行為全般が不可能とされているからだ。
「でも、いくら凄い事業だからって、何年も『引きこもり』じゃなぁ。そうだ! この『下腹部切断』コースなら? 『両手切断』プランと併用して!」
「あまりポイント増えませんよ。うーん……少し荒の目立つ世界で冒険、ヒロイン一名ですかね。あ、魔王クラスの敵は登場できませんよ? それに再生なしの御見積となります。そして到着後、現地では義体です。……ちょっとだけ格の落ちた」
「……なんか……がっくりしてきました」
やり過ぎたか?
しかし、逆に攻め時でもある。
「じゃあ、ものは試しで考えてみません? そうですね……最上級の『電子回路』プランはどうでしょう? これは特典満載ですよ。まず肉眼レベルで地球サイズ相当の世界。そしてヒロインは四十八名まで! 毎月の再設定オプション付き! 到着時は再生および支度金を賞与です!」
「す、凄い! でも、電子回路って何ですか?」
「これは……脳の全記憶を……その……チップへ置き換えるという。でも、再生したら生身の脳へ戻ってますから! ……記憶移植の成功率も高いみたいですし」
さすがに、この契約を結べたことはない。
実際問題……死ぬのと何の変わりがあるのだろう?
「……この『脳箱』プランというのは?」
「こちらも特典は見劣りしません! 準肉眼相当で大陸サイズ相当の世界! 一級AIを使用したヒロインもしくはNPCが十二名! もちろん到着時に再生も! ただ、残念ながら再設定のオプションや支度金は付きません。欲しかったらヒロイン数を減らして調整ですね」
「……で、その『脳箱』というのは?」
「あー……脳をガラスの箱で保管するという……これだと栄養素とスペースが節約できまして……それに再生時も接続部分が少なくて安定しますし――」
……驚いたことに青年は考え始めた! マジか!?
落ちるなら次の『首だけ』プランと思っていただけにビックリだ。
「例えばNPCを十一人にして……というか、これしかいないんですか?」
「それは確立した個人の数ですね。親友とかなら一級AIを一人割り当てます。クラスメート程度なら必要ないですし、仲間程度なら一人のAIで何名か担当を」
「ああ、なるほど? この『再設定オプション』は?」
「それは定期的な仮想世界の調整ですね。中世ヨーロッパ風ファンタジーに飽きたら、異能学園ものへ変えるとかも可能ですよ」
「おお、それは画期的! それなら何十年でも飽きませんね! じゃあ、『脳箱』プランでNPCを十一名に減らして――」
「それなら十名として支度金もお付けした方が? 現地で無一文だと大変でしょう?」
真実、そう思っているからでもあるけれど、報奨金への影響が大きいからでもある。
一体全体、政府は成功確率をどれくらいに見積もって?
しかし、いまさら俺が気に病むようなことでもなかった。空手形だろうと手形は手形だ。
そして詐欺とはいえど、相手だって損ばかりでもない。
青年は仮想現実という揺り篭へ。俺は報奨金を手にして我が家へだ。
嗚呼、今日はビールを買って帰ろう! 妻にもケーキをだ!
職場と家の往復だけの、何も起こらないつまらない日々だろうと――
突然、まるでテレビのチャンネルを変えたかのように視界が切り替わった。
目の前には首が! ただ首ばかりが視界を埋め尽くす!
円柱状のガラス容器に人間の首から上が収められ、それが整然と何段にも積み重ねられていた!
いや、違う!
俺は資料で見たことがある! あれは『首だけ』プランの被験者たちだ!
よく見ればガラス容器には水が蓄えられていて……誰も彼もが一様に目を瞑って……――
遠くに見えるアレは……人間の脳ミソか!? では、アレが『脳箱』!?
そして、なぜ身体が動かない! まるで首から下が無いみたいに!
いや、違う! そこじゃない!
なぜ僕は頬に風を感じて!? どうして顎の下までだけが濡れていると!?
裸眼で見えているのが恐ろしい! そんなはずがないのに!
嗚呼、神様! 絶叫したのに声がでていません!
「おい、惨いことするなよ。起きちまったみたいだぜ?」
「なんだよ、惨いことって? どうせ変わらないだろ?」
意味不明な会話の主たちは、近寄りつつあるようだった。
止めてくれ! 来るな! 俺は見たくない!
しかし、望みは空しく男達は目の前へと到着する。
宇宙服だ。映画で見るような……デカくて丸い金魚鉢の様なヘルメットをしていた。そして鏡状となったシールド部分へ――
『首だけ』となった僕が映し出されて!
嗚呼、僕が『俺』だった! いや、俺が『僕』だった!
「さっきのだな。あれで割れて、起きちまったらしい。可哀そうに」
「なにも変わらねえ! どうせ、こいつらを殺さなきゃ、この船はリサイクルできないんだ!」
「まあな。でも、甘い夢に浸らせたまま……苦しまないようにだってしてやれただろ?」
……そういうことか。
仮にゴミ箱が満杯となっても、それを理由にゴミ箱ごと捨てる奴はいない。またゴミ箱は必要となるからだ。
しかし、もう一度使うには、誰かが空としなければならない。
「じゃあ、お前が慈悲をくれてやれよ。それでなくても予定は押しているんだ。感傷に浸る暇なんて無いんだぜ?」
止めてくれ! まだ僕は死にたくない! しかし、嗚呼、声が!
どうして俺はリクルート役なんかを! どうして僕は騙されて!
嗚呼、いつまでが現実で、どこからが仮想現実だったの――
【暗転】
お前の体験が
水槽に浮かぶ脳の見た夢ではないと
誰にも立証はできない
――ある哲学者の結論