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梯子を昇りマンホールを持ち上げると、空へと伸びるビル群たちが迎えてくれた。
頭上から降り注いでいるはずの陽光は分厚い雲の中に隠され、いつもよりも寒気が肌を刺してくる。
どうにか体から熱を逃がさぬように腕をこすり肌を刺激していく。 服を着ているといってもコートの一つもないのでは、この寒さは身体ひどく堪えた。
しかしじっともしていられない。アマンダが来るのを待ってから俺たちは移動を始めた。
大通りにでて適当にタクシーを捕まえ、乗り込む。
「どこへ向かいましょうか」
制服を着込んだアンドロイドが運転席からのぺっとした白い顔でのぞいてくる。
「東へ行ってちょうだい。止まる場所はこっちで指示するから」
「珍しいことを言うね。なんだ、訳ありかい?」
「知りたいかしら?」
「いんやトラブルはゴメンさ。言わんでいいよ……シートベルトは付けてくださいよ。当社の決まりになっているんでね」
それを言うとアンドロイドは前を向いて車を走らせた。
走る車。静かな車内。響く鼻歌。
きっと俺たちだけの車内だったら、沈黙によって葬式帰りのような重苦しさに包まれていたことだろう。それを名前も知らない運転手の軽快な鼻歌が紛らわしてくれる。
運転手にしてみればただ唄いたいから唄っているのかも知れないけれど、この時は彼の気まぐれに心の中で感謝を送った。
会話も生まれない静かな車内では、やることは限られてくる。その中でも一等マシなのは窓を流れていく景色を眺めること、それか座席に座るアマンダとゼレカの顔を眺めること。
辛気臭い二つの仏頂面を眺めているよりかはと、俺は前者を選んだ。
自分の顔の向こうにはエデンの街並みが見える。
窓に映る俺の顔を見透かせば、いくつものガラスが並ぶビルの外壁、緑を失った街路樹、延々と続くガードレール、黒や茶色と地味な色を身につけて足早に歩いていく人、人、人……。
しばらくの間は単調な車窓からの眺めを見続けた。
だが単調であるがゆえに興味が色褪せていくのもそう時間はかからなかった。
建物が建物でなくなり、景色がただインクをぶちまけたキャンバスのようにおぼろげになっていく。
それでも俺は外を見続けた。鳥籠の鳥になったつもりはないし、外への憧れがあったわけでもない。
ただこの決して広いとはいえな車内に広がる重苦しい空気に目を向けないように、必死に窓にかじりついていた。
灰色の中に次第に緑と黒、それに焦げた茶色が混じって何処と無く地味さの度合いが強くなった。
そこになって初めて街を抜けて、田園が広がる郊外へとやってきたことに気がついた。いつの間にかだいぶ時間が経っていたみたいだ。
「そこで止めて」
アマンダの合図で車は路肩に寄って行き、ゆっくりと止まった。
財布から乱雑に引っつかんだお札と小銭を運転手に握らせて俺たちを車から降りる。
ドアを閉めるとタクシーがUターンして元来た道を引き返していく。去り際に運転手が制帽を軽く持ち上げて、俺たちに向けて軽い会釈をくれる。運転手と車の姿が遠ざかっていくのを見届けてから、視線を前に向けた。
目の前にあったのは巨大な樹木の大群だ。俺よりはるかに背の高い木々がいくつ並び立ち、黒い影を地面に落としている。灰色の空も相まって、その様子はどこか不気味にも感じられた。
「こっちよ。来て」
アマンダは森に作られた小道へと入っていく。長い間人も立ち入らず整備もされてこなかったのだろう、わきから生える丈の長い雑草が、道を覆い隠さんばかりに伸びてしまっていた。
しかしアマンダはブーツに当たる草に気にも止めずに、ズカズカと歩いていく。
彼女の後にゼレカか続き、その後ろを俺が追う。曇天模様の空が木々の枝葉によって遮られて、森は一層暗さを増していく。
森の緑は黒にすげ代わり、風に吹かれて枯葉が舞っていく。
そして舞い落ちてくる葉っぱの何枚かは俺の頭をかすめて落ちる。乗っかっているわけじゃないけれど、何となく埃の粒をつけられたような気がして、何度となく手で頭をかいた。
だが、落ちてくるのは短くちぎれた髪の毛ばかり。緑色の髪が草陰に混じって、一瞬にして目立たなくなる。
しばらく道なりに進んでいくと、森の中にできた広場にたどり着いた。
広場の中央には一軒の丸太小屋が建てられている。しかし人の気配はない。
窓ガラスはひび割れ、縦に並べられた丸太の外壁、屋根には幾重にも蔦が絡みついている。
さらに入り口に設けられた扉は片側に傾いて、壁と扉の隙間に大きな蜘蛛の巣が張っていた。
「こっちよ。遠慮しないで」
アマンダはそう言うとその小屋へと近づいて、おもむろに扉を蹴りつけた。
派手に物音を立てて扉は蹴破られ、小屋の中へと飛んでいく。それと一緒に長年の溜まりに溜まったホコリが煙となって外へと這い出てきた。
それを間近で吸ってしまったアマンダは苦しげに咳き込んでしまう。咳が収まった頃にようやく顔をあげて中の様子を確かめた。
「……誰かが住み着いている様子はないわね」
蹴破った扉を踏みながらアマンダが小屋の中へ足を踏み入れた。
小屋の中は外よりも幾分綺麗に整えられていた。
確かにホコリや蜘蛛の巣、虫やネズミがそこらを走り回っていたけれど、置かれていた家具も食器も暖炉も、どれも荒らされた形跡はない。
テーブルに置かれた雑巾で軽くホコリを払い、アマンダは椅子に腰掛ける。
「あの、ここは」
「母方の叔母のお父さんの持ち家よ。今は私が管理しているの。まあ長いことここに来てなかったから、この有様なんだけどね」
「アマンダさんの家?」
「まあ、そうも言えるわね。でも名前は変えさせてもらっていて、一応簡単には辿ってこれないようにはしてあるわ。ここを知っているのは私とあなたたちの二人だけ。格好の隠れ家でしょ」
確かに隠れ家なことには違いない。ホコリと虫たちに目をつぶれば、屋根もあるし暖をとれるし申し分ない。
「ただ食料はないから、森に入って適当に狩るか採るかしなくちゃならないんだけどね。それは、私たちより君の方が得意でしょ。期待しているわよ」
バンと俺の背中を叩いて、アマンダはその顔に笑みを浮かべた。
しかしその笑みには普段の気楽さはない。疲労と不安で引きつった顔を筋肉を使って無理やり動かして、どうにか作ったような印象だ。とてもじゃないがわざとらしさは隠されていなかった。
だがそれをあえて指摘する気にはなれなかった。きっと俺を少しでも安心させようとしてくれたことなのだから。ゼレカもアマンダの気持ちを知ってか知らずが、いつものように素知らぬふりをして暖炉に火を灯しにかかった。
火はすぐに小屋の中を照らし始め、久方ぶりの炎に家具たちが闇に浮かび上がる。どこか人の訪れを喜んでいるように見えたが、それは多分人間特有の妄想なんだろう。いや、もしくは日本人特有か。
「……わかりました」
馬鹿げた思考に一旦は別れを告げ、俺はアマンダに返事をする。
今日一日だけでも疲労はかなり溜まっていたけれど、それでも何か腹に収めておきたい。どんなに辛いことがあっても、やはり空腹は抗いがたい欲求なのだ。
とりあえずは今日の夕食だけでも用意しておかないと。そう思いながら俺はアマンダとゼレカを置いて森の木々へと分け入った。