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「どこから」
「第三マンホールから。思ったより近い、後五分でこっちに来る」
「ガブリエル、バリケードの用意。ゼレカは避難経路の準備に入って。急ぐ」
アマンダの指示で二人は即座に行動を始めた。
ガブリエルはドアのそばにあった戸棚を横に倒す。戸棚の中にあった本やら筆記用具やらが衝撃によって外へと散らばるが構っていられない。
ガブリエルを手伝ってソファを戸棚の前に移動させてドアの前をより強固に塞いでおく。
これでそう簡単には入ってこられないだろう。その思いが少しの余裕を生んでくれたが、現実はそんな余裕さえ与えることを許さない。
戸棚とドアの隙間に穴が空き、そこから黒い銃口がねじ込まれた。
俺が咄嗟に横へ倒れると同時、部屋に銃声がこだました。
耳をつんざく破裂音。
銃口から吐き出された弾丸がさっきまで俺の頭があった場所を通り抜け、壁を穿つ。
かき慣れた冷や汗が頬を伝い、背筋に冷たい何かが這い下りていく。
「早すぎるぞ、ゼレカ」
「ごめん」
ガブリエルの皮肉に、ゼレカの謝罪が返される。
素直に謝るなんてゼレカにしては珍しいことだ。俺自身初めて見たかもしれない。
だが、その貴重な瞬間にかまけている時間はあまりにない。
銃弾は拳銃が傾けられる角度で四方八方に打ち込まれていく。部屋にある家具や食器のかけらがそこらに散らばり、壁という壁に幾つもの弾痕がこさえられていく。
「頭を上げるんじゃないぞ。ど頭に穴開けられたくなかったらな」
俺の頭を押さえつけたまま言うセリフじゃない。言われなくても上げやしないさ。まだまだ命は惜しいから。
「ゼレカ、退路はまだ」
ドア横の壁に背中をつけたアマンダが、苛立たしげにゼレカに言う。
「もう少し。あとちょっと」
同じ意味の言葉を二回も言うあたり、ゼレカも少しはテンパっているようだ。
ゼレカがパソコンの後ろにある戸棚を横にずらすと、ちょうど戸棚に隠された通気口のような穴が現れた。入り口には鉄柵がつけられていて簡単には入られないようになっている。
ゼレカは鉄柵の隙間に指入れると思い切り引っ張る。しばらく開けていなかったのだろう、四隅はひどく錆びついてゼレカが力を加えるたびにギシギシといびつな音を立てた。
だがドアから聞こえる物騒な銃声に比べれば、かすかな音色には違いなかったけど。
「できた」
「よし、リュカ坊行け」
ガブリエル首根っこを掴まれると、ゼレカの方へと突き飛ばされた。
力加減もなかったおかげで俺は顔から床に激突して、結局はまた床に這いつくばる羽目になるのだが、ガブリエルを責めるのはまた後にしよう。今は早くここを逃げなければ。
起き上がってからは態勢を低くし、ゼレカが作ってくれたテーブルのバリケードに身を隠す。
「先に入って。これ、懐中電灯」
そう言って手渡されたのは、鈍色に光る細いプラスチックの筒だ。
先端が左右にひねる事ができるもので、右側にひねると白い光源がまっすぐ伸びる。
「これ、どこに繋がっているんですか」
「行けばわかる……ちょっと待って」
不意に向けられたゼレカの視線は俺を、いや俺の頭に注がれた。そしておもむろに手を伸ばすと、俺の髪を掴み、そして引っ張った。
頭皮が抜けていく髪の毛を守ろうと懸命に抵抗するが、人の力の前に敵うはずもない。
プチッ。嫌な音が頭頂部から聞こえてきた。
「何するんですか」
抜けた髪の毛のありかを探るように、俺は頭をさする。しかしゼレカの興味は俺の髪よりも、抜き取った髪の毛一本へと向けられていた。
痛みに反応して潤んだ瞳でゼレカを見る。そしてゼレカが何に興味を注いでいるのか、ようやくわかった。
俺の髪の毛の先端に、小さな何かがついていた。米粒のようにも見えたが、それがピクリと動いた時には違うと判断できた。
ゼレカの指の上でくねくねとうごめくそれを、彼女は指で挟み押しつぶす。すると小さな火花が彼女の指の間から飛び散って、謎の黒い何かから小さな部品が弾き出された。
「なんですか、それ」
「発信機」
「発信機?」
「そう。恐らくは、これを辿って奴らがここへきたんだと思う」
「そんな、いつの間に」
「調べている時間はない。それより早くここを出て」
ドンドンとドアを叩く硬い音が大きくなる。
バリケードからチラリと覗き見れば、ドアがきしみをあげてひび割れ、隙間から光の筋が差し込んでいる。
もうまもなく突破される。それはここにいる誰しもの脳裏に浮かんだものだろう。
そして、もはや迷っている時間も残されていないということも。
まだ納得はできていないままだったが、一旦はこの不気味で致命的な謎を思考の枠からどかしてゼレカに向かって頷く。
そして、俺は体をかがめて通気口の中へ入った。
大きく口を開いた闇が、即座に俺を包み込んでいく。長いこと掃除もしていなかったんだろう。埃が足を動かすたびに舞い上がり、カビの匂いが容赦なく鼻をくすぐってくる。
闇の中を照らすものは手に持った懐中電灯の細い明かりだけ。心細さを感じずにはいられなかったが、それでも進まないわけにはいかなかった。