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あの後、廃墟を後にした俺たちは近くのマンホールからゼレカの隠れ家へと戻ってきた。
アマンダには寝ろと言われていたが、そう簡単に寝付ければ苦労はない。頭ではわかっているが、寝よう寝ようと思えば思うほど、目が冴えてきてしまう。
結局はろくに眠ることもできないまま翌日の朝を迎えた。
重石が乗っているみたいに体が重い。疲れが取れていない証拠だったが、起きてしまった以上は二度寝に入るわけにはいかない。
眠い目をこすりながらソファから起き上がれば、身体の節々に痛みが走る。固まった背筋を伸ばしてみれば、ゴリゴリと骨と筋肉が悲鳴をあげる。
「あ、ああ……」
おっさんくさい声を上げながら、俺は膝に力を入れて立ち上がった。すると、先に起きていたゼレカと目が合う。
「おはようございます」
「おはよう」
ゼレカは一切俺に目を合わせることなく、いつものようにパソコンの画面を見つめながら挨拶を返してくる。
そっけない朝の会話だが、ここまでくるといちいち気にも掛けなくなってきた。
戸棚にあるインスタントコーヒーを取り出してお手製のコーヒを作る。
眠気覚ましにぐいと飲み下せば、コーヒー独特の香りが味覚をくすぐり、温かな黒い液体のおかげで体がぽかぽかと温かくなった。
「ふぅ……」
昨日から引きずっていた疲労が心地よさに乗って口から漏れていく。
時刻は午前八時十一分。
いよいよ残すところあと一日。長いようで短かった俺の冒険もいよいよ終幕を迎えようとしている。
緊張感はずっとつきまとっているが、不安や恐怖は不思議と湧いてこない。試合前のハイな状態に近いような気もしたが、多分俺の頭のネジが緩んでいるだけだろう。
「おはよう、起きたのか」
声のした方へ目を向けると、ガブリエルが部屋に入ってくるところだった。
「ええ。コーヒー、飲みますか?」
「ああ。頼む」
ガブリエルはソファに腰掛けると、新聞を広げて読み始めた。足を組んで難しい顔で読んでいるその仕草は、朝食前の親父を見ているようだ。
親父というのはアーロンのことじゃない、日本にいるはずの親父のことだ。
もちろんそれは錯覚だし、ガブリエルは女性、たとえ性格が男勝りだとしても、親父とは容姿も性別も似ても似つかない。
ただなんとなく所作が親父に似ていたものだから、なんだかおかしくなって俺はふっと頬を緩ませてしまう。
「どうした?」
「ああ、いえ。なんでもありません」
母親ならばともかくガブリエルが親父に見えたなんて、口が裂けても言えるわけがなかった。
逃げるように彼女に背中を向けてもう一つカップを用意してコーヒーを用意する。
「はい、どうぞ」
湯気の立ったカップをテーブルの上に置く。
「ありがとう」
新聞を片手に持ち替えて、ガブリエルはカップを口に運んでいく。
「アマンダさんは、どうしたんです」
「今部長に連絡を取って、人員の確保に動いてくれている。うまくすれば今日中に計画を立てられるはずだ」
「そうですか」
そう返事をしながら、ガブリエルの向かい側のソファに座る。
その時にたまたまガブリエルの広げた新聞の一面に目に入った。何気なく目を走らせていくと、ある記事が目に止まった。
それは昨夜に起きたエデンの一部分における大停電とローズ・スクエア・ガーデン内で起きた発砲事件についてのものだ。
負傷者は多数、同時に起こったこの二つの事件の関係性、犯人の正体とは等々、事件の詳細と当時の写真が見出しに載せられていた。
当事者、というよりも事を起こした張本人としては、心苦しさに胸を締め付けられた。
たった一箇所、たった数時間の間だけだとしても多くの人々を混乱の中に落としてしまったことには明らかに自分たちのせいだ。
責められた場合はいくらでも頭を下げてようと思うが、申し訳ないがその機会はもう少し先伸ばしにさせてもらう。今はそれよりも考えなければならないものがある。
「ああ、もう。くそ……!」
ガブリエルが新聞をソファに投げたのと同時に、外から荒々しい声が聞こえきた。アマンダの声だ。
しかもなかなか腹を立てているらしく、金属パイプを蹴散らしてもいるのか、カンカンと固い衝突音が聞こえてくる。その音はどんどんとドアの方へと近寄ってくる。
そしてドアの正面に来た時、勢いよく開かれて眉間に深い溝を作ったアマンダが現れた。
「……おはようございます」
あふれんばかりの苛立ちに気圧されながらも、俺はアマンダに声をかけた。けれどそれに対する反応はない。ズカズカと部屋に入ってきて、ソファに腰を下ろした。
「なんだ、何かあったのか」
ガブリエルがため息交じりにアマンダの顔を見た。
「やられたわ、奴らに先に動かれた」
「動かれた?」
「ええ。上層部に圧力をかけられて、組織の人員を出せなくなったって」
「圧力? そんな力持っているやつがリーコンにいたか」
「リーコンにいなくても『シグルスの舌』の連中ならうじゃうじゃいるでしょ。長く生きているだけあって、権力と金の使い方がよくわかっているわ」
「まるで見てきたかのような断定だな」
「ロベルトが『シグルスの舌』に加入しているのは、映像を見ているあなたなら知っているはずでしょ。権力者たちの怪しい夕食会に出ている人間が、周りの力を使わない理由なんてあるのかしら」
「冗談だ。そう目くじらをたてるんじゃねえよ」
「本当に冗談ならいいんだけどね。ねえ、リュカくん」
「え、ええ。まあ」
いきなり話を振られたものだから、俺はお得意の曖昧な返事を繰り出したも何度も何度も使っているから、もはや口癖といってもいいくらいかもしれない。
でも、アマンダの意見については俺も同意だった。ロベルトが『シグルスの舌』の連中とつるんでいることはまず間違いがないだろうし、周りに使えるものがあれば、脅威を排除するために惜しみなく使うはずだ。
バカな俺だって考えつくのだから、ロベルトが使わない理由はないだろう。
「それで、部長はなんて?」
「現状では応援を向かわせることはできない。だが、自警団と関係のない連中を向かわせることはできるって」
「関係のない連中? まさか一般市民を巻き込むのか」
「そんなわけないでしょ。形だけ辞職した何人かを応援に向かわせるってことよ」
「ああ、なるほど」
「でも、せいぜい数人くらいの応援よ。一度に何人も辞めさせられないし、スズメの涙ぐらいの応援だと思ってくれってさ。まあ送ってくれるだけありがたいけど、大暴れするには不利なことに変わりないわ」
「大暴れしなければいいんだろ。ならちょうどいいじゃないか」
「あなた、本気で言ってんの」
「ああ。なんだ、そういうことじゃないのか」
「……そのお気楽さを見習いたいわ。ほんと」
あんぐりと口を開きながら、ため息とともにアマンダはそう呟いた。
一方ガブリエルはアマンダの言葉の意図が分からないのか、軽く小首を傾げて不思議そうに彼女を見つめている。
「これで当初の予定から大幅に変更しなくちゃならなくなったわ。ああ、ほんと面倒臭い」
腹立たしげに髪の毛に手を乗せると、ガシガシと髪むしる。
「そんなにやると、髪の毛抜けますよ……」と一応は忠告してみるけど、ギロリと睨まれてしまってそれ以上口にだす勇気が湧かなかった。