10........
「……君の言っていることはもっとなことだ」
「では……」
「だがなロベルト。私はドラゴンを食い物にするためにドラゴンを調べ、育てているわけではないのだ。我々が生み出しているクローン・ドラゴンはいわば自然界のドラゴンを助けるだけの補助器に過ぎないのだよ。彼らが一定の数になるまでの、あくまでも繋ぎだ。心苦しいことだが、それ以外の役割はあのドラゴン達にはない。いくら遺伝子によって作り出されたとしても、所詮はまがい物。とてもドラゴンと呼べるものではないよ」
「そんなことはありません。私たちの作り出したあのクローンも……」
「我々は神などではない。無から有を作り育てることなどできないのだ。あるものをつぎはぎにし、生物と呼べる何者かを作ることはできるが、所詮はそこまでのものしかできん。何であろうと自然を作り出すなんてことはできんのだ……ロベルト、私は君を最大の理解者だと思っていたんだがな。残念だよ」
私がこういうこと自体、不本意だった。
ロベルトは私に一番近く、将来はリーコンを任せようとも思っていた男だった。
手塩にかけて育てて今では優秀な人財として会社のために働いてくれていた。
なのに、そんな腹心というべき男がこんな馬鹿な真似をするとは思いもよらなかった。
「……どうしても、ご理解いただけませんか」
「ああ。すまないが」
「彼女がどうなってもよいと、そう言うわけですか」
「……人質と言うわけか」
「こんなことに彼女を使うのは私も忍びないのですが、この際使える手は何でも使いましょう。私とともに多くの人間を養うか、それともたった一人のドラゴンのせいで全てを棒に降るか。お決めください」
「棒に振るのは、君ではないのか」
「いいえ。貴方もです、社長。後に退くことを許されないのですよ」
「許されないとは、ずいぶんな物言いだな。まるでお前の後ろに誰かがいるようじゃないか」
「お察しがいいのですね」
しまった、そう言いたげにロベルトは口をわずかに開けて目を見開く。
しかしその表情というものがどうにもわざとらしい。
それにロベルトはそんな簡単に手の内を明かすような男じゃない。明かしてくるということは、それには何か意味があるに決まっている。
「『シグルスの舌』という組織を、社長はもちろんご存知でしょう」
その名前を聞いた途端に血の気が引いた。
「なぜ、お前がその名を知っている」
「なぜ? ここまで聞いてまだなぜとおっしゃるのか。やはり社長も老いさらばらえてしまわれたようだ。頭が固くなっていらっしゃる。それはもう単純な話ですよ。私はかの著名な会に名を連ねさせてもらっているのです」
「何だと……では、貴様は」
「ええ、食べておりますとも」
その時私は心から怒りに飲み込まれた。
烈火の如く燃えたぎる憤怒は私の身体突き動かし、ロベルトに組みかかった。
胸襟を掴み固く握り締めた拳を頬めがけて振り下ろす。
頬肉の柔らかさの中にある骨の固い感触。その二つを同時に感じながら、一気にロベルトの顔を打ち据えた。
「社長……!」
突然の乱暴に背後に控えていたユミルが、血相を変えて私をロベルトから引き剥がそうとする。
しかし、私の怒りは彼女の力では押さえつけられない。
ユミルの手を振りほどき、首根っこを掴んで顔を無理やり私の方へと向けさせる。
「なかなか、いい拳を持っていらっしゃいますね。社長……」
頬が赤く腫れあがってなお、ロベルトの顔には笑みが絶えなかった。私の行動を見透かした上で食らってやったのだと、傲慢な態度はそう言いたげだ。
それが火に油をそそぐ行為だとしても、それによってどれだけ自分自身が殴られようとも一向に構わない。だって、自分が有利なことには変わりないのだから。
ロベルトの心の中を覗いたわけではないが、現実はその通りになった。
騒ぎを聞きつけて外で待機していたロベルトの部下達が部屋へとなだれ込み、私が組み敷いていたロベルトを救出する。
なおも私がつかみかかろうとすれば、腹に強烈な拳を叩き込まれた。
鍛えてもいないこの体では、傭兵上がりの一撃はあまりに応えた。
激痛が腹を貫き、胃液が食道をせり上がってくる。口を膨らませてどうにか耐えようとしたが、痛みの前では私の忍耐はまるで効果がない。
決壊したダムのように唾液とともに胃液混じりの溶けかけた食材達が、口から一挙に吐き出された。
「ご老体をあまり痛めつけるんじゃない。お可哀想だろう」
ロベルトの声が頭の上から聞こえてくる。
先ほどまで私がロベルトの上にいたのに、たった一撃の拳をもらっただけで、私とロベルトの態勢は逆転してしまったのだ。
「すみません、社長。どうも私の部下は気性の激しいやつらが多いようでして」
「ふざけるな……」
「ふざけてなどはおりませんよ。こうやって真摯に謝罪を申し上げているんですから」
私が乱した襟首を整え、ロベルトは私に目線を合わせるように膝を折る。
「まだ時間はあります。よくよくお考えください。もしもお心変わりなさったら、どうかご連絡ください。それまでの間は社長の愛したご婦人は私どもが丁重にお世話をさせていただきますので、ご安心ください。ですが平行線を辿るようでしたら、この話はなかったことにさせていただきますよ。私もあなたと袂を別つことにいたしましょう。あ、そうそう。そうなったら『シグルスの舌』の方々に協力いただいて研究員を何名かリーコンから引き抜き、その後リーコンの名をエデンの街から消させていただきましょう。ああ、あなたの愛するご婦人ですが、ドラゴンを人の姿のまま食してみたいという方々が大勢いますので、その時は大いに楽しませてもらいますよ」
ケラケラとあざ笑う声が部屋に響く。ひどい辱めだ。生まれてから何度も辱めを受けてきたが、ここまでの屈辱は初めてだ。
痛み腹を抱えながらどうにか視線を動かしてロベルトの顔を睨みつける。
汚い言葉をいくつも吐きつけてやりたかったが、口から出てくるのは刺激臭のする胃液ばかり。言葉を紡ぐべき私の舌の上でゲロと唾液が混ざり合い、強烈な味覚によってさらに気分が悪くなった。
ロベルトは立ち上がると私に背中を向ける。そして入ってきた部下達を先に部屋から出すと、自分は悠々とした足取りで私から離れていった。
そのまま出ていくのかと悔しげに見送っていると、ロベルトは開かれたドアの前に立ち、くるりと振り返る。
「私も残念ですよ。社長とならば分かり合えると思っていたのですがね」
扉を閉める間際にはなったその言葉は、唯一ロベルトの本心を表しているようにも聞こえたが、その時の私にはただ私を挑発するためにあるように思えてならなかった。
『・』
「答えは、お変わりませんか」
「……あやつの考えに賛同するわけじゃない。だが、彼女を救い出すためならば乗らないわけにはいかないだろう」
「では」
「ロベルトには私が参加することを伝えてくれ。私はあの自警団の方々に事情を説明する。君もロベルトに報告次第こちらに合流してくれ」
「畏まりました。では、そのように」
ユミルは私に顔を向けこそしないが、肩越しに会釈をして快諾してくれた。
アリョーシのためならば、私のちっぽけなプライドも誇大な理想にも今は蓋をしよう。
そして私ができうる最大限の貢献をして、自警団に後の始末をつけてもらうのだ。
責任の所在、リーコンがドラゴン密漁に関与していた事によるバッシング。
あとあと降りかかってくる災難を思うと胃がキリキリと痛み始めるが、それもアリョーシとリュカのことを思えば、少しは軽くなる。
そしてもしも、もしもこの最悪の先に三人でもう一度生活できたら……。
いや、そんなことはあり得ない。もはや叶わぬ夢。遠い昔に置き去りにした、幻影が作り出した甘い幻覚。しかし私はその幻覚を消すことはせずに、闇に浮かべて眺めることにした。
もう一つあったかもしれない人生の可能性。たとえ幻覚だと分かっていても、それをたやすく手放すことは私には出来なかったのだ。
しかし、夢に夢中になっていたせいか。ユミルの表情に険しさが残っていたことに気づけなかった。