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「この部屋に振り子時計なんてあったのか」
「みたいね。闇の中で見落としていたみたい」
ガブリエルとアマンダ、二人揃って音の下方向へと顔を向けた。そっちには寝室があって、そこへ繋がるドアが大きく口を開けている。
暖炉の明かりは壁向こうの寝室までは照らすことはできず。ドアの中は深い闇に包まれていた。
「古い振り子時計だ。今じゃ針も動かないが、振り子だけはまだ生きているようでな。ああして時を教えてくれている」
「あら、ずいぶんお詳しいんですね、アーロンさん」
「まあな、昔ここに住んでいたものだから」
「住んでいた? この廃墟に?」
「いやいや、廃墟になるずっと前さ。もっとも三十年近く前のことだから、すっかり様変わりしてしまっているがね」
力なく笑ってみせると、部屋を懐かしむようにじっくりと見渡してく。
「その頃は、当たり前だがこのアパートにもそれなりに人が住んでいたものだ。家賃も安いし、ボロかったが部屋も広かった。それだけでも私は満足していたし、ここでの生活も充実していた。アリョーシとも、ここで暮らしていたこともあったんだよ」
「へえ……」
なるほど。昔暮らしていたからこそ、ここの住所を知っていたのか。そ
れだったらここをわざわざ指定してきたのも頷けるし、勝手知ったるように落ち着いているのも納得できる。
「ここの掃除もやっていたんですか? 他の部屋に比べてずいぶんと綺麗にされていましたけど」
「ああ、月に二回ほどだけ自分の手で掃除していた。このアパートを管理したがる人間は私しかいないし、私以外ここを知るものはいない。ほとんど趣味で管理をしているだけだったが、まさかこんな時に利用できる日が来るとは思ってもみなかったよ」
「そうでしたか」
場所を提供してくれるのはありがたかったが、まさか昔住んでいたアパートをそのまま管理しているとは想像が及ばなかった。よほどその頃の生活に未練があるらしい。
少し埃が溜まっているとはいえ、家具も食器もそのほとんどが残されたままで、すぐにでも使えそうだ。
いつかアリョーシが帰ってくることを願って、部屋を維持したままの状態にしているのかもしれない。
ただ、アーロンにわざわざそれを聞いてみるのも気が引けるし、彼の背後に控えるユミルが苦々しげにアーロンを見つめていたのもあって、言葉を胃の中へと落とし込んだ。
「さて、今日はもう遅いし、詳しいことは明日決めましょ」
アマンダは膝をパンと叩くと、ソファから立ち上がった。
「時間がないっていうのに、呑気なものですね」
「時間はないけれど、でも寝ぼけた頭で考えてもいい案なんて浮かびっこないわ。睡眠をとって頭をすっきりとさせることで初めて思考が働くってものよ。焦るのも分かるけど、休める時に休んでおかないと、いざっていう時に動けないわよ」
「まあ、それもそうかもしれないですけど……」
「アマンダの言うことももっともだ。気ばかりがせったところで結果がついてくるとは限らない。あっちが待ち構えているとなれば、なおさら万全の準備をしていかなきゃならないからな」
アマンダを援護するようにガブリエルが口を開く。
どっちの口からも間違ったことは言っていない。それでも耳は二人の言葉を濁して、間違っているのではないかと頭に思えさせる。間違っているように思いたいのは、俺の心がそうさせているに違いなかった。
頭の片隅では彼女たちの言葉の正しさを認めているから、反論したくてもその言葉が一つも出てきやしなかった。
モゴモゴと唇を動かす俺をみて、勝ち誇ったようにアマンダが頬を歪めた。
「分かったのなら、今日のところはお開きにしましょ……今日はご足労いただきありがとうございました。こちらの動きが決まり次第、追って連絡をいたしますので、そのつもりでいらしてください。こちらは、お返しいたします」
アマンダは金属箱からアーロンとユミルの私物を取り出してそれぞれに渡していく。
けたたましいギターの音色が箱を開けた途端に部屋に響き渡ったが、ガブリエルがすぐに止めてくれたからやかましく思うことはなかった
「ありがとう。では、行こうか」
アーロンは立ち上がるとユミルを連れて先に部屋を出る。
「ではまた三日後に」
「ええ。また」
部屋で顔を合わせた時の剣呑な雰囲気は何処へやら。まるでお茶会の席で出会った知り合いのように、互いに和やかな挨拶を交わして別れを告げていた。
喜怒哀楽が激しいと言うべきか、アマンダの手のひら返しが凄まじいと取るべきか。
いずれにしてもアマンダのことをこの時以上に奇妙に見えたことはなかった。
アーロンたちがアパートを出て車に乗るまでの間、俺たちはじっと窓から外をのぞいていた。
見送るためでもあったが、二人が先に車で立ち去ってしばらく経ったところで俺たちもここを離れる算段をしていたからだ。
車にライトがともり、ゆっくりと道を引き返していく。
「私たちも、そろそろ行こう」
ガブリエルがそう言うと他の二人も静かに頷いて、一人、また一人と部屋を出ていく。
遠く離れていく車を追いながら、俺も窓から離れて部屋を後にする。と、廊下を歩いている最中に重要なことを思い出した。
そうだ、俺自身について、リュカの中に救う男についてアーロンに伝えるのだった。
ホテルでの騒ぎのせいですっかり忘れてしまっていた。
気づいた瞬間から首の裏から後悔と反省が頭へと登ってくる。
せっかく伝える機会があったのに、みすみすそれを逃してしまう。なんとも恥ずかしい失態だ。
次こそ伝えよう。固くこぶしを握り締めながら、アマンダたちに急かされて階段を駆け下りた。