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廊下は相変わらず暗闇が支配していて、部屋の中から漏れ出てくる明かりがよく目立った。
けれど何も見えないということはない。壁の隙間から風とともに射し込む月明りのおかげで、一定の明るさは保たれている。
廊下全体を見渡すには不向きかもしれないけれど、それでもユミルの姿を見失うことない。
「どうして、付いてきちゃったんですか」
気まずい沈黙を打ち破って、これまで抱いていた疑問を口にする。
「アーロンさんの秘書さんってのは分かりましたけど、でも言っちゃアレですけど部外者じゃないですか」
「部外者、というのは少し違うと思うわ。ウチの社員が事件に関わっているのなら、少なくとも同じ会社に籍を置いている身として関わっているわ。でも、まさか副社が関わっているとは思ってもみなかったけどね」
俺が子供の見た目だからか、先ほどの態度とは打って変わってずいぶんとフランクな態度をユミルは取ってくれる。
会社の外ではきっとこういう態度なのだろうなと思いながら、彼女の言葉には納得するところもあった。確かに同じ会社に勤めている以上は無関係とは言い切れない。
「でも、だからと言ってわざわざ危険に関わる気になったのはどうしてです? そりゃアーロンさんから話を聞いてしまったら、ほっとけないとか思うかもしれませんけど、普通だったら自警団に任せておくものですよ」
「そういう君こそ、どうしてこの事件に関わっているのかしら? 自警団の人たちと親しそうに話していたけど、君も自警団の人なの」
「いや、そういうわけじゃないですけど」
面倒臭いことになった。一から説明してあげても良かったけど、俺はまだこのユミルという人を信用してはいない。
アーロンがアリョーシとの間にできた子供のことについて話したかもしれないけど、それだって人相までは話しているかどうかは分からない。ユミルの言葉から察するに、そこまでは喋っていないようだ。
この際言ってしまうのが手っ取り早いだろうけど、この人がロベルトから密かに俺を連れ出すように指示されていたとしたら、また面倒臭いことになる。
もう二度とあいつの元に戻りたくはない。
もう一度見えるとしたら、テレビ画面越しか、牢屋の中に入っていく瞬間だ。それ以外であいつの顔は見たくはない。
「まあ、そうです」
こんな曖昧な返事で納得はしてくれないだろうとは思うけど、他に名案も浮かばないためにこう答える他なかった。
だが、やっぱりユミルは納得していない。眉をへの字に曲げて疑いの目が俺を見下ろしていた。
「あなた、何歳?」
「……十八」
「本当は?」
「……十四」
本当ならもっと若いのだけど、見た目だけで言えばそのくらいの年齢だろう。
森を出てからしばらく経っていたこともあって多少なりとも背は大きくなっている。これがまだ生まれて一年も経っていないと聞いたら、ユミルはどう思うだろう。
驚くだろうか、そんなわけがないと信じないのか。あるいはそのどちらともとれる表情を浮かべるかもしれない。大方その辺りだと思うけど、ここは聞いてみたい衝動をぐっとこらえた。
「まだまだ子供じゃない。君こそこういう危ないことは大人たちに任せようとは思わなかったの?」
今度は逆に俺が質問責めにあう番か。
いや、質問というよりも叱りつけると言うニュアンスに近い。萎縮する必要もないのに俺はなんとなく下を向いてしまった。本当に、そんな必要ないのに。
「……すみません」
なんで謝っているんだろう。言ってから思っても仕方ない。
追求されたり、まとわりつかれたりすると癖みたいにこの言葉が出てくる。
こんな言葉なんかで解決する事態なんてそう多くないのに、使い慣れた言葉はどう言うわけか自分勝手に口をついてくる。
「……まあ、自警団の方々と一緒にいるくらいだから、あたしよりもずっと深く関わっているんでしょうけど」
だが今回に限ってはこの言葉が効果を発揮したらしい。ため息の後に溢れた言葉には責めるようなきつい口調はなく、少しだけ柔らかなものになった。
「でも危ないことには変わりないわ。あなたがなぜこんなことに関わっているのかは聞かないけど、でも決して無理はしないことよ。若い子供が命を散らすのなんて嫌なニュースは、ない方が絶対にいいんだから」
「分かってます。逃げるときは心得ているつもりですから」
「なら、いいんだけどね」
そう言ってから、ユミルとの会話は途絶えてしまった。
なんだかうまくはぐらかされてしまったけど、話を聞いている限りじゃどうやら悪い人ではなさそうだ。
演技という可能性もあったけど、今のところ危害を加えてきそうな様子はない。
だが、危害を加えてこないからと言って警戒をとくかと言えばそうはいかない。
一挙手一投足、何か一つでも不審な動きをすればすぐさま取り押さえられるようにしておかなければ。
横目で静かにユミルを捉えて、つかず離れずの距離は保っておく。
力においては負けることはないとは思うが、けれど万が一ということもある。なるべく逃げることも攻めることもできるようにしておきたかった。
「寒いわね」
ポツリとユミルが呟いた。確かに部屋に比べれば廊下は酷く寒い。
壁は風から俺たちを守ってはくれず、外気がもろに肌を撫で付けてくる。季節はもう冬夜の寒気は肌を刺すようで、痛みを伴った。
寒さをごまかすためか、ユミルはポケットに手を突っ込んだ。
手を温めるためかとも思ったが、そこから白い小さな棒を取り出した。
紙巻タバコだ。
先程のゼレカによる手荷物検査で箱とともに多くのタバコを没収されていたが、どうやらその一本だけは死守していたらしい。
百均のレジに並んでいそうな安物のピンクのプラスチックライターを手に、くわえタバコに火を付ける。
すぐにタバコの先端が赤々と輝き、燻った煙が小さく浮かび上がった。
ゆらゆらと中空をたゆたう煙は壁の隙間に吸い込まれ、外へと流れていく。
「……あ、ごめん。もしかして匂い苦手?」
思い出したかのように、ユミルが俺を見た。
「いえ、別に」
正直タバコの匂いは特には気にならない。昔の身体の頃に毎日のように吸っていたから慣れきってしまっているところが大きいのだろうと思う。
妻は嫌煙家と言っていいほどタバコの匂いが苦手で、いつもベランダか外に出て肩身の狭い思いをしていた。
今となっては大昔のような記憶だ。ユミルのタバコを見なければ、きっと思い出しもしなかっただろう。
「そう、なら良かった。これ一本だけからちょっと我慢して」
俺の返事を聞く前に、ユミルの口からは白煙が細く、長く吐き出された。
どうせ俺が許そうが断ろうがタバコは吸うつもりだったに違いない。でなければ喋りながらタバコを蒸したりなんかしないはずだ。