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9.

 翌日も木から木へと飛び移る練習を重ねた。

 

 昨日の失敗を踏まえて、前を見ながら枝に飛ぶ。

 落ちそうになれば、枝に腕を伸ばし反動をつけて向かいの枝に飛び移る。

 モヤの出力を出しすぎて目測をあやまれば、地面へと降り立って再び木を登る。


 そうやって何度か挑戦しているうちに、枝を踏み外すことは少なくなっていった。

 まだまだぎこちなさが目立つものの、綺麗に枝に降り立つこともできるようになっていく。


 不可能だと思っていたことが、次第に可能なことへと変わっていく。この喜びは大人になっても格別なものだとは思うが、子供姿の俺でもそれは変わらなかった。


 一つの枝に立つことがやっとだったのが、一つから二つ。二つから三つへと続けざまに飛び移れるようになってくる。


 昔小学校にあったタイヤ跳びを思い出して、どことなく懐かしい。懐かしさは次第に楽しさを生み出して、俺を練習へ向かわせる原動力になった。


 一日、二日と連続して練習に当たっているうちに、いつしか前を行くアリョーシに追いつき始める。

 

 ただ、時折後ろを振り返って俺の様子を伺いつつだったから、追いつくのも当然だろう。アリョーシが本気を出せば俺を置き去りにするなんて簡単だろうから。


 太陽が真上にきたあたりで昼の休憩を取ることになった。


 また木の実でも食えばいいと俺は考えていたけど、アリョーシは違った。食事ついでに俺に狩りの練習をさせようと企んでいるらしい。


 乗り気はしないけど、いつかはこんな時がくるだろうなあとは俺も思っていた。


 アリョーシが持ってきてくれる肉にありついていれば食に苦労することはないが、アリョーシがいなくなればいつかは餓死してしまう。


 そうならないよう自らにも狩りの仕方を覚えなければならない。


 ただ、その必要性と自分のやる気が合致するかといえば、そううまくはいかない。


 昨日見た熊の顔が今も脳裏に残っていることもあって、やりたくないというのが正直なところだ。


 けどアリョーシにしてみれば俺の気分なんて知ったことではない。他人に背中を押されなければけつに火がつかない。それなら思う存分押してやるといった気概を見せている。


 手を掴まれてアリョーシに連れられるまま、森の中を進んでいくとアリョーシの足が止まった。


 何か見つけたのかと聞こうと思ったが、アリョーシに手を掴まれて茂みに連れ込まれて機会を逃してしまった。


 茂みの中から外をのぞいてみると、そこには一頭の牡鹿が草を食んでいた。


 アリョーシは地面に転がった小石を一つ拾い上げる。


 「見てて……」


 小声でアリョーシが言った。何をするつもりなのかは知らないが、見させてもらうとしよう。


 アリョーシはモヤを指先に出現させると、小石にも纏わりつかせる。そして牡鹿をキッと睨み付けると、狙いを定めて小石を投げつけた。


 そんなことで牡鹿が死ぬものかと思ったが、それも瞬時に改めることになった。


 モヤをまとった小石は風をきってまっすぐに飛んでいく。そして牡鹿の首に命中し小さな風穴を開けた。


 牡鹿は甲高い声を上げると横に倒れ、地面の上でピクピクと痙攣をしている。


 そして、数秒も経たぬうちに牡鹿の手足は動かなくなった。


 「……お見事」


 俺がポツリと呟くと、茂みから出たアリョーシがニカッと笑った。


 「今度はリュカにもやってもらうから。小石と小枝。いくつか拾ってきなさい」


 そう言いながらアリョーシは倒れた牡鹿に歩み寄る。


 そして、爪を鹿の喉に差し込みそのまま腹伝いに肛門の方へと切り裂いていく。


 血が切り裂いた箇所からとっぷりと溢れ出してくる。


 血は見慣れたものだが、解体される様はあまり見たいとは思わない。


 俺はアリョーシから少し離れて握りやすい小枝と小石をそれぞれ三つずつ集めた。


 そしてアリョーシのところに戻ってみれば、アリョーシは鹿の皮を剥こうとしている最中だった。


 胸骨を折り、その隙間から取り出した内臓は葉っぱの上に集めて置いてある。


 首回りと四本の足それぞれを一周して皮を切る。


 鹿の首を抑え力任せにアリョーシが皮をひん剥くと、肉の繊維がこびりついた皮が剥がれていく。


 肉だけになった鹿をアリョーシが担ぎ上げ、内臓は葉で包んで手に持つ。


 「準備はできた?」


 アリョーシの問いかけに俺は頷いた。俺の様子を見て、アリョーシも頷いた。


 「ちゃんと狙えば大丈夫だから。余計な力を入れると、変な方向に行って当たるものも当たらないわ。肩の力を抜いて、狙いを定めなさい」


 アリョーシの助言に俺は力強く頷いた。


 「よし、じゃあついてらっしゃい」


 そういうとアリョーシは鹿を担いだまま森の中を進み出した。


 アリョーシの後を追う間、俺の心臓はいつもより早く脈を打っていた。


 緊張もあったが、それよりもこれから行う行為にないする思いの方が強い。


 動物とは言え、これから一頭の命を手に掛けるのだ。そう思うと胸の奥から妙な高ぶりが湧き上がってくる。


 それは命を奪うことに対する恐怖とも言い表せたし、その行為に対する興奮とも言えたし。俺でもなんと言い表していいのか分からない感情だった。


 ただ、手の震えはいつになく酷い。どうにかアリョーシに悟られないように背中の後ろに隠して押さえているけど、一向に治る気配がなかった。


 なんとか次の場所に着くまでに治ることを願ったけれど、どうも叶わなかった。


 アリョーシは木の上に登って姿を隠す。俺は一人茂みに隠れて、目の前を闊歩していく牡鹿を睨む。


 手に持った小枝と小石を地面におろし、小石を一つ摘まみ取る。


 早鐘を打つ心臓を落ち着けるため、何度か深呼吸を繰り返す。


 大丈夫だ。アリョーシのようにやれば、一撃で苦しませずに殺せる。


 俺はモヤを指先に宿し、石にまとわりつかせる。


 そして、牡鹿の足が止まるのを見計らって構えをとる。

 

 フリスビーを投げる要領で肘を内側に曲げて手のひらを胸に向ける。


 そして、腕を伸ばして勢いをつけて小石を牡鹿に向けて投げる。

 

 狙ったのはアリョーシと同じく牡鹿の首。結構力を入れて投げたが、コントロールはうまくいった。


 真っ直ぐに飛んで行く石はうまくいけば牡鹿の首を貫いていただろうと思う。


 だが、物事はそんなにうまくはいかない。


 牡鹿は突然首を下に傾けた。そしてそれは石が的を外れて木に刺さってしまう。


 外した。


 まずいと思って俺の体が茂みの中から出てしまったのと、牡鹿の目が俺を捉えたのは同時だった。


 牡鹿は興奮したように鼻息を荒くする。そして前足で地面を蹴り、頭を傾けて俺へと突進を仕掛けてきた。


 俺は逃げようと一歩後ろに足を出したが、その足は気の幹を蹴って俺はバランスを崩し背後に倒れてしまった。


  俺は尻餅をついて痛みを堪えるけど、それ以上の危険が目の前から迫っていた。


 立派な牡鹿の双角が俺の顔めがけて向かってくる。


 アリョーシは木の上から急いでおりてきていたが、わずかに牡鹿のほうが早い。


 殺されるのなんて真っ平御免だ。緊張しながらも俺は小枝を一つ拾い上げる。


 と同時に牡鹿が茂みに突っ込んできた。


 ガサガサと茂みの物音に混じって、興奮した牡鹿の鼻息が聞こえてくる。


 牡鹿の角でかちあげられる前に角を掴み、俺は小枝にめいっぱい力を入れて牡鹿の眼球めがけて突き刺した。


 悲鳴と思われるいななきが牡鹿の口から聞こえてくる。


 俺の体は一瞬ふわりと浮かんだが、どうにか突き飛ばされずにすんだ。


 いや、突き飛ばすどころじゃなくなっただけなんだろうけど。


 脂汗が額から垂れ落ちる。


 どうにか安心することができたが、牡鹿は未だ痛みから暴れまわっている。


 いつその角先が俺に向いてくるか分からない。


 俺は小石を一つ拾い上げて、モヤを絡みつかせる。


 そして鹿が俺のほうへ顔を向けるのを見計らって、鹿の頭部めがけて思い切り投げつけた。


 鹿の動きがやけにゆっくり見えたのは、アドレナリンだか、ドーパミンだか。よく分からない体内の成分が働いたせいだと思う。


 俺が投げた小石は鹿の眉間を貫いた。


 牡鹿はよろよろ足をもつれさえ、やがて地面に倒れていった。


 冷や汗が背筋を伝う。息が上がった。やけに心臓の鼓動が大きく聞こえて、うるさい。


 「大丈夫、怪我してない?」


 アリョーシが俺の後ろから声をかけてきた。


 俺は振り返って笑って見せようとしたんだが、どうも引きつった笑みしか浮かべられなかった。


 「……よかった」


 それでもアリョーシは心底安心したんだろう。俺を抱きしめてくれた。


 「でも、よくやったわ」


 アリョーシは俺から離れると倒れた牡鹿へ視線を向けた。


 俺も牡鹿に視線を向ける。


 命を奪ったという実感はあったが、けれど恐れや緊張は己の命を守るためという目的によって塗りつぶされて感じることはなかった。また、達成したという感覚もなかった。


 アリョーシは俺の成功を喜んでくれているが、俺はどういう表情をつくればいいのかも分からず、ただ遠慮がちに頷くことしかできなかった。

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