11.......
「どうしたの。ガブリエル」
「ん? いや、何でもない」
アマンダがせっかく気にかけたと言うのに、ガブリエルから帰ってきた返事はそっけないものだった。
ガブリエルが見つめていたドアを見てもあるのはどこにでもある普通のドアだ
ドアのノブには『お静かにお願いします』と書かれたドアプレートが下げられている。
どうやら宿泊客がいるようだ。
これだけの騒ぎが起きているのだから、きっと目覚めてしまったころだろう。が、部屋から出てこない以上わざわざ訪ねる理由はない。
「それより、ほら怪我を見せなさいな」
「別に、大した怪我はない」
「それのどこが大した怪我じゃないのよ」
アマンダが指差すのはガブリエルの右肩。
コートの上からでも分かるほど、黒の上に赤が滲んでいる。
「コート、脱ぎなさい」
「別にいいと言っているじゃないか」
「いいから、脱ぎなさい」
語尾を強めてアマンダはガブリエルを睨む。
別に怒りや憎しみを抱いて睨んでいる訳じゃない。まるで子供のように駄々をこねるガブリエルを心配するあまりに、苛立ってしまっただけだ。
ガブリエルはアマンダの態度を見てため息をつきながらも、彼女の言葉通りコートを脱いでくれた。
そこには痛々しい傷跡があった。
肩の肉は弾丸によってえぐり取られ、傷口から赤い肉と繊維が見える。
そこから行き場を失った血液が、居場所を求めてガブリエルの肌を伝い流れていく。
傷はガブリエルの身体中にできていた。
大小合わせても数十箇所にのぼる。
肩もそうだが太ももや腕、さらに脇腹にまで小さな穴が穿たれている。
「これのどこが軽い傷なんだか」
ため息交じりにアマンダは呟く。そして腰につけたポーチから携帯用の消毒液を取り出してガブリエルの傷口に塗りたくっていく。
「イテェよ。バカ」
「これぐらい、痛いのうちに入らないでしょう。我慢しときなさい」
ガブリエルの文句も聞かず、アマンダは容赦無く消毒液をふりかける。
そしてあらかた染み込んだところでガーゼを傷口に当てて、包帯をきつく巻いていく。
手慣れた手つきで数分もしないうちに応急処置が完了した。
「ゼレカ、エレベーター止まった?」
「もうちょっと。今、止まる」
ゼレカがそう言うと、突然電気が消えてあたりが闇に閉ざされる。
「ちょっと、停電したじゃない」
「大丈夫、ホテルだけじゃないから」
「はあ?」
電子脳の奥から聞こえてくる含みをもたせたゼレカの声。
アマンダは一瞬言葉の意味が分からなかったが、何か嫌な予感がした。
「……ガブリエル、私の鍵返してくれる?」
「ん? ああ、ほら」
ガブリエルからカードキーをひったくると、アマンダの足はスマホのライトに照らされた廊下を進む。
そしてとある部屋の前で止まるとドアに付いた機械にカードキーを滑り込ませる。
ガチャ、と遠くからでも解錠の音が聞こえてきた。
「こんな金持ちしか使わないような部屋を借りていたのか」
頬を歪めながらガブリエルは言う。
もっともアマンダの財布から一銭も出ずに、全て自警団の懐から出させるようにしてあるんだろう。でなければこんな展望の良い部屋を借りるなんて真似をするはずがない。だが、それにしてもずいぶんと大胆な金の使い方をしたことには違いない。
しかしガブリエルの言葉など意に返さずに、アマンダは部屋に入ってすぐに奥へと向かう。
部屋の電気がつかないのは分かっている。しかしカーテンの広がっていない窓にまで闇に閉ざされている。
外にあるはずのビルの照明も、道路の街灯も、ショウウィンドウの明かりも、全て暗闇の中に沈んでいる。
空を見上げればここ数年の間見ることもなかった星たちが、ここぞとばかりにきらびやかに輝いて、地上にいる人間たちに自分の存在を誇示しているようだ。
だが星々を愛でる余裕も、その美しさに浸っている猶予もアマンダにはなかった。
「まさかアンタ、街全体の明かりを落としたの?」
「いいえ。そこの区画だけ。無人の発電所に繋げて、ちょっとだけいじった」
不服と言わんばかりに、ゼレカの声が頭の中に響く。
「バカ! やり過ぎよ。バレない程度にやりなさいって言ったでしょ」
「大きすぎる事態になれば、小さな違和感は塗りつぶされる。ホテルだけを停電させたら不思議に思うでしょうけど、街全体が停電になればそんなことに気がつかない。そうでしょ?」
「だからって、これはいくらなんでも……」
「大丈夫、停電も一時間くらいで終わる。ホテルも予備電力を回して照明もつくはず。それにエレベーターが六階で止まった。そこからは多分階段を駆け上がってくるでしょうから、時間は稼げた。あとはそっちで頑張って。車は回しておく」
言うだけのことは言って、ゼレカは一方的に通信を切った。
「あ、ちょっと」
もう二、三言ってやりたいことはあったが、再度呼びかけてもゼレカは応答しない。
わざと切っていることは分かっていたが、今はそれがひどく憎たらしく思えてならなかった。
「ゼレカの奴が、また派手にやったみたいだな」
ガブリエルはアマンダの横に立つと、そう言いながら窓の外を見下ろした。
ホテルの遥か下には従業員たちが一階にいた宿泊客たちを外へと誘導している様子が見えた。
停電のせい、ではない。
恐らくは銃撃の音を聞きつけた連中とアマンダが負傷させた連中を発見し、従業員を含めホテルの関係者が事件が起こったと判断してのことだろう。
その証拠にホテル内のスピーカーからは絶え間なく避難指示を出している。
豆粒ほどの人間たちが誘導に従って車に乗り込んでいく。
車のライトが暗闇を照らし、非常灯で示された道筋に沿ってホテルを離れていく。
道路の中央分離帯と車線にも同じように非常時の際の赤いランプが点灯していて、暗闇の中でも車線からはみ出さないようにと配慮されている。
交差点の中央には非常電源によって動く自動ロボットが道路から顔を出して、交通整理を行なっている。
災害、人災時での道路の混乱を予期して、整えられた措置はうまく機能しているようだ。
「バレたら、首どころの騒ぎじゃなくなるな。これは」
「他人事みたいに言わないでよ。アナタだって関係しているんだからね」
「珍しいな。お前がそんなに焦るだなんて」
「あなたの方こそ、どうしてそんなに焦らずにいられるのかしらね。私にはさっぱりわからないわ」
呆れたアマンダの口調に、ガブリエルは頬を歪めて答える。
ここまでの大事になれば、心配だの、身を切る覚悟だの、保身のためにどうすべきかだの、考えたところで何の役にも立たない。
運がよくても悪くても、どうせ責任を取らされる羽目になるのだから。
だが、それでもやるべきことはまだ残っている。
それにやり過ぎた否かに問わず時間は稼いでもらったわけだ。手短に端的にことを進めるには十分だ。
ガブリエルがドアの外に立つ二人を見た。
ゼレカの言う通り非常用の電源によって廊下には明かりが戻ってきている。そのおかげで二人の顔や姿もよく未rた。
一人はアーロン・ロドリゲス。
リーコン・ロジステックスのトップ。今回の無理な懇談の場に引きずり出してきた男。
もう一人はリュカ。
ドラゴンと人間の血を引く稀有な少年。その血はアーロンに由来しているが、アーロンはまだ知らないはずだ。
ようやく準備は整った。
色々とトラブルは起きてしまったが、それでもどうにかここまでこぎつけた。
あとは、腕ではなく口がモノを言う時間になる。
「アマンダ、始めよう」
ガブリエルはアマンダの背中を小突く。
義手の方で叩かれれば、いくら義体化しているアマンダといえど、その衝撃によってやや前のめりに体を曲げてしまう。
「……分かっているわよ。痛いわね」
義手によって叩かれた場所をさすりながら、アマンダはガブリエルを苦々しく見つめる。
しかし、すぐにその顔は仕事での真剣さを取り戻した。切り替えが早いのはこの女の頼もしいところだ。
あとはどうにかアーロンに事を成してもらうように計らうだけ。
しかしそれだって上手くいくかどうかは分からない。ここまで大ごとにした結果、何も成果を得ず職を失う事になるかもしれない。
うまいこと思った方向へ転がってくれるように、ただ祈るばかりだ。