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「どうもありがとう」
その言葉でスピーチを締めくくれば、会場から満開の手が咲き誇る。
万雷の拍手。アーロンが去るのを惜しむように、会場中に響き渡る。
約五分のアーロンによるスピーチは成功を収めた。
会社創立の歴史と今後の展望。説明調ではなく情熱的に心を込めて、そして社員の皆を誇りに思いつつも檄を飛ばす。また関係各位への感謝と未来へ向けての協力の発展を願う。
それらの思いを原稿に落とし込み、頭に入れて完璧に口に出して見せた。
これではれて今日の仕事は終わり、あとは会場に来た客人達と心ゆくまでパーティを楽しむだけだ。
「お見事でした。社長」
壇上から降りて一息ついていると、ユミルが拍手とともに歩み寄ってきた。
「ありがとう。少し、喉が乾いてしまったな。シャンパンを一杯もらってきてくれるか」
「畏まりました」
ユミルは応え、人混みの中へ消えて行く。その背中を追っていると周りから社員や知り合いの会長がよく声をかけられた。
にこやかに笑いながら受け答えをして行く。
人に囲まれることには慣れているが、皆少なからずアルコールが入っているためか、いつもよりもやや積極的に話しかけてくる。
中には感情が高ぶるあまりに涙を流す社員までも出る始末だ。それらをなだめながら、一息をつこうと壁際によって一息をつく。
ここまできても数人の客人達が彼に話しかけてきたが、それも過ぎればアーロンはようやくパーティの客達と間をおいてゆっくりと時間を過ごすことができた。
「お待たせいたしました」
ユミルがシャンパングラスを持ってアーロンの元にくる。
「ありがとう」
ユミルからグラスをもらうと、口に当ててゆっくりと喉に流し込んでいく。乾いた喉に爽やかな炭酸の刺激と甘さが染み渡る。
「うまい」
緊張からの解放がそうさせるのか、なんの変哲も無いシャンパンが実にうまかった。
グラスの中で気泡が立ち、黄金色の液体の中で弾けては消えて行く。
ゆっくりと味を楽しむように飲んでいくと、気づけばシャンパンはそこをつきグラスが空いていた。
「もういっぱいお持ちいたしましょうか」
「いや、いい。これで十分だよ」
通りかかったウェイターにグラスを渡し、食事用に皿をもらう。そこに並べられた料理を取り分けていき、一口ずつ堪能していく。
会場には社長のスピーチの後も各社長や会長が後続にスピーチを行っている。
時折ジョークを交えて笑いを誘いながら、会場を沸かせている。
アーロンもまた彼らスピーチに耳を傾けながら、空きっ腹に料理を入れて行く。
詰め込むのではなく、しっかりと味わいつつゆっくりと入れて行く。昔は料理なんて胃の中に掻き込むものだと思っていたが、今ではしっかりと噛まなければ胃の消化が追いつかないのだ。
これも歳だと実感させるひとつの要因だが、ゆっくりと味わうこともなかなかいいものだと近頃は思っている。
「アーロン・ロドリゲス様ですね」
その声が聞こえたのは、ちょうど知り合いの会長がスピーチを終えた時だった。
声の方に顔を向けると、見慣れない女性がそばになっていた。
「誰だね、君は」
「突然声をかけてしまって申し訳ない、私はアマンダ・ウィンストン。自警団です」
「ミリシア? 何か事件でもあったのかね」
「いえ、事件ではありません。あなたご自身にお聞きしたことがあったので声をかけさせていただきました」
「私に?」
「ええ。あなたの過去について少しお話を伺いたくて」
「ずいぶんもったいぶる物言いじゃないか。君らのような奴はみんなそんな口調なのか? それに君らの世話になるようなことをした覚えがないのだが」
不可解なミリシアの登場にアーロンの顔が険しくなる。
アマンダはそれでもなるべく平静を装いながら、しかし半ばラチがあかないと思い、彼の耳元に口を近づけて囁く。
「あなたが愛したドラゴンの女性と、お子さんに関することなのです」
それを聞いてアーロンの表情が険しさが消え、驚きに染まって行く。
「ここではあれですか。詳しくはお部屋の方で」
「……分かった。ユミル君、私に変わって挨拶をしてやってくれ。私は少しこの女性と話すことがある」
「畏まりました。では、お部屋のキーを渡しておきますね」
ユミルは内のポケットよりカードキーを取り出しアーロンに手渡す。だが終始アマンダを怪しみ睨みを利かせていた。
「では行こうか」
「ええ」
二人が揃って歩き始める。
「どこかへ行かれるのですか?」
その二人を呼び止める声。それはアーロンも、そしてアマンダも聞き覚えのある声だった。
いや、アマンダに至ってはこの場で一番聞きたく無い声だ。
ゆっくりと振り返る。そこにはロベルトが立っていた。
「やあ、ロベルト。君も来ていたのか」
「ええ。先ほどのスピーチはお見事でした。私も聞き惚れてしまいましたよ」
「君がやってくれても構わなかったんだがな」
「何を言いますか。会社の顔である社長がやってこそスピーチですよ。私などがしたところで、場違いも甚だしいものです」
「そう謙遜するな。会社が今まで永らえてこれたのも、君のおかげでもあるのだから。君がスピーチを勝手出た所で誰も文句は言わんさ」
「そうかもしれませんが、終わった今となってはもう遅いですがね」
「違いないな」
アーロンもロベルトも互いに頬を歪めて、一時の談笑を楽しんでいる。
しかし、アーロンの脇に控えるアマンダを見た時、かすかにその表情に緊張が走った。
「……そちらの女性は」
「ああ、ミリシアのアマンダ・ウィンストンさんだ」
「……こんばんは」
派手に舌打ちをしたいところだが、その顔には渾身の笑みを浮かべてロベルトに顔を向けた。
「こんばんは。……どこかでお会いしたことが?」
「……ええ。以前あなたの車に駐禁シールを貼らせていただきました」
「……ああ。そうでしたね。その節はすみませんでした」
「いえいえ。今は守っていただけているようで良かったです。でも、次やった時は容赦しませんよ」
「注意しておきますね」
ははははは。遠回しの会話をしながらから笑いをアマンダとロベルトはかわす。
全くどちらもここで会うとは思っても見なかったし、できることなら会いたくはなかったはずだ。
アーロンはそんな二人を不思議そうな顔をして見つめていた。
それもそうだアマンダとロベルトがつながっているだのと思っても見ないだろう。
「あの時のお礼にどうです。少し二人で話しませんか」
「ええ。もちろん。私などでよければ、いくらでも。ですが、社長を一旦部屋にお返しして差し上げないといけないのです。少し酔いが回って気分が悪いようなので」
「社長、そうなのですか」
「ああ。……久しぶりにはしゃぎすぎてしまったようだ。君には悪いんだが、後のことは君とユミル君に任せようと思うんだが、いいだろうか」
「わかりました。でしたら、私の部下にお部屋まで送りましょう。アマンダさんには悪いですし」
「……そうですね。お願いできますか?」
「構いませんよ。こちらこそ社長を気遣ってくださりありがとうございます」
ロベルトはにこやかに答えると、ガタイのいい二人の男を呼び寄せる。
その二人はアマンダも見覚えがある。アーチャーの部下たちだ。黒いスーツを脱いで警備員らしい格好をしているが、眼光の鋭さは堅気の人間にはまるで見えない。
「では、頼む」
ロベルトの指示に会釈で答えた男たちは、ロベルトの両脇を囲んで会場の外へと連れ出していく。
一瞬、アーロンの目がアマンダを捉えたが、名残惜しげにみつめるだけで言葉をかけてくることはなかった。