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ガブリエルはエレベーターに乗り込み一気に最上階まで昇る。数分間の待ち時間、突っ立ったまま電子表示を数えていれば、いつの間にかエレベーターは目的の階へ降りる。
右と左には廊下が伸び、いくつかの部屋が壁伝いに並んでいる。ホテルの最上階。ここは往々にして金持ちとVIP用の部屋が並んでいて、アーロンの宿泊するスイートもこの階にある。
廊下に出て非常灯のついた扉を開ける。
そこには非常用の階段がある。ホテルの廊下と同じく茶色の下地に幾何学模様の刺繍が施されている。階段はクリーム色で一段一段の縁には滑り止めがつけられていた。
細かな配慮には目を見張るばかりだが、ガブリエルの注意はそこへは向けられなかった。
ガブリエルはドアを閉めて階段を上へと登る。
登ってすぐのところに鉄製の扉がある。そこを開けると、冷たい夜風が扉の隙間から吹き付けてきた。
冬の夜空。本来ならそこには星々がきらめいてさぞ綺麗な景色を堪能できた事だろう。
しかし街の明かりは星の明かりをかき消してしまい、空にはカンバスにペンキをぶちまけたような黒が見下ろしているだけだ。
屋上にはヘリが停まれるように広く作られていて、照明が着陸場の周囲を囲むように点灯している。
換気ファンのやかましい音が響く中、ガブリエルの視線が左手にあるビルを見る。
あかりの付いている部屋は少なく、がらんとしたオフィスがほとんどのビル。屋上には電波塔がそびえ、鉄骨にそって赤色灯が光っている。
髪を風になびかせながら、ガブリエルはポケットからイヤホンを取り出して、耳につける。
「こっちは付いたぞ。そっちはどうだ」
イヤホンに付いたマイクにガブリエルは呟く。
『・』
「もう少し待ってちょうだい」
イヤホンの向こうにいるガブリエルにアマンダが言う。
階段を下りきり、無機質な廊下を進んでいく。するとすぐに『警備員室』と書かれた部屋を見つけた。
アマンダはノックもなしに慣れ親しんだ場所へ入るように扉を開ける。
壁一面に並んだいくつものテレビ画面。そこにはホテルの隅々に設置されたカメラの映像が映っている。
すぐ近くのテーブルにはカメラを操作する機械と録画機器が設置されていて、時折CD–ROMを読み込むような音が鳴り響いている。
「ここは関係者以外立ち入り禁止っすよ」
画面の前にすわった男が、顔を向けた。若い。茶色の髪に白い肌。気だるげな顔から見てもここの責任者には見えなかった。
「バイトの子?」
「ええ。まあ。ところでお姉さんは?」
「ああ、突然ごめんなさいね。ミリシアなんだけど、ここの警備状況を教えて欲しくって」
「そうなんすか。ええと……どうしよっかな」
「責任者の人っている?」
「いるにはいるんですけど、今席を外していて……」
困ったようにぽりぽりと髪をかく。バイトらしい反応だ。
「そう、じゃあ悪いんだけど責任者の人呼んでもらえるかしら」
「そうっすね。了解っす」
ほっと胸をなでおろした若い警備員は無線機に手を掛ける。
「ああ、こちら警備室。警備長さんにミリシアのお客さんっす。至急来てください。お願いします。どうぞ」
ガガッと雑音が聞こえると、無線の向こうから男の声が聞こえてきた。
『ミリシア? そっちにいるのか』
「ええ。俺の目の前にいます。責任者の人に警備の状況を教えて欲しいそうっす」
『そうか。分かった、今いく。ミリシアの方にはそこで待ってもらえ』
「了解っす」
通信を切り若い警備員の顔がアマンダに向く。
「そういうわけでちょっと待っていてください。今、警備長がきてくれますんで。ああ、今、お茶を淹れますね」
そういうと若い警備員は立ち上がって、奥にある仮眠室へと向かっていく。
「ありがとう」
その背中にアマンダは声を掛けると「うっす」と若い警備員の返事が返ってくる。
気遣いのできるいい子だ。そんないい子の善意に漬け込むようで心苦しいが、これも仕事だ。
誰の目も無くなったところで、アマンダはポケットから小さな発信機を取り出すと、それをルーターに直接差し込む。
「さしたわよ。やってちょうだい」
脳内でメッセージを作り、イヤホンをつけるガブリエルと、ゼレカに通信を送る。
何の動作もせずに頭に浮かべた言葉を直で相手に伝えられるのは、義体化の大きな利点だろう。予備動作もなく、また他人に内容も気取られることもない。世の中本当に便利になったと、アマンダもしみじみと思う。
今向こうのビルに待機しているゼレカに合図を送る。すると一部カメラの映像が一瞬乱れる。しかしそれもすぐに収まって、そこには何の変哲も無い映像が映し出された。
映像は昨日のもの。日付も時間もいじられてはいるが、パッと見ただけではバレはしない。それに映像は屋上とガブリエルとアマンダの使う部屋の階だけいじってあるから、特に異変も感じないだろう。
「お待たせしました。どうぞ」
お茶を乗せた盆をもって 若い警備員が返ってきた。
「ありがとう」
アマンダはにこやかにお茶を受け取る。東側の陶器の器。
手の間にすっぽりと入り、飲み口も丸くて口につけやすい。
すすってみると暖かい緑茶が、冷えた体にほっと染み渡っていく。
「おいしいお茶ね。あなたの趣味?」
「いや、警備長が好きで買っている品種らしいっす。俺には、よくわからないんすけど、何とかっていうブランドものらしくて」
「へえ。そうなんだ。後で聞いてみようかしら」
「それがいいっすね。警備長も喜ぶと思うっすよ」
「そう」
和やかに若者との会話を楽しみながら、時が経つのをゆっくりと待つ。
ひとまずの仕事は終わった。あとガブリエルがうまくリュカを忍び込ませてくれさえすればいい。
うまくいくことを祈りつつも、温かなお茶に舌鼓を打つ。
一時の落ち着ける時間。それを堪能しながら時がくるのを待つだけだ。




