8.
翌日は早朝からアリョーシとともに洞窟を出て、昨日と同じ練習を重ねた。腕にモヤを出現させて、後方に噴射するというアレだ。
最初こそ昨日の二の舞を繰り返していたが、俺にだって学習能力はある。顎をぶつけないように手を伸ばして枝にぶら下がってみたり、腕で顔を守ってみたり、学生時代を思い出して受け身をとってみたり。とにかく痛みを少しでも和らげようと工夫をこらしてみた。
工夫が功を奏して回数を重ねるたびに受け身が上手くなっていく。ただ、それとは裏腹に飛び移るが上手くいかない。
あと少しのところまで行くんだが、俺の心が揺れ動くせいか。モヤの出力が弱くなり、木の枝をかすって下へと落ちてしまう。
いや、手が届くのならしがみつけばいいんだが、人間の見栄というのはこういう時によく働く。どうせならアリョーシのように華麗に枝の上に降り立ってみたい。
理由? そんなもの、その方がかっこいいからに決まっている。
生きていた時には中年太りぎみのおっさんだったが、それでも格好をつけたいと思うのはきっと男としての本性だろう。
万人には真似できず、しかも、それが出来る若い体を手に入れたのならなおさらその欲求がでかくなる。
こうなったらもうヤケだった。
身体中に傷を作って、青あざもいくつかできた。だけど、やめるわけにはいかない。ここでやめたくはない。あと少しでものに出来るはずなんだから。
アリョーシは俺のことを木の足元から見上げていたが、もう止めてくれることはなかった。
枝の上で屈伸運動をして勢いをつける。そしていよいよ心の準備と勢いがついたころ。枝を蹴り、前へと飛び出した。両腕を後ろに広げてモヤをまとわせる。それから、後ろに噴射し体を前に押し出す。ここまでは身につけた。あとは油断なく、出力を弱めることなく枝へと向かうだけだ。
枝が目前に迫ってくる。出力を落とさぬように慎重に、慎重に。上げすぎず落としすぎず。ちょうどいいところで保ちながら、俺の足がいよいよ枝の上に降り立った。
そこでモヤを消して、体幹を使ってバランスをとる。あわや前のめりに倒れこむところだったが、なんとか踏ん張って体制を整える。
バランスを取れれば、恐る恐る曲げた膝も伸ばして、体操選手を真似て両腕を上に持ち上げる。
「やったじゃない!」
木の足元からアリョーシの声が聞こえた。俺は下に目を向けると、アリョーシが嬉しそうに手を振ってくれていた。嬉しさのあまり気分が舞い上がっていたんだろう。その様子じゃどちらが子供か分かったものじゃない。
俺もアリョーシに手を振り返そうとしたが、その途端に小恥ずかしくなってしまった。別にアリョーシが嫌いになったわけじゃない。ただ、なんとなく恥ずかしくなったんだ。だから、伸ばしかけた腕を急いで引っ込めて俺は頷くだけにとどめた。
一度の成功があったおかげで、あとはコツを掴んで反復しての練習だ。アリョーシが木から木へ次々に飛び移って行くのを見て、俺もついて行く。
しかし、やはり経験の差というのをまざまざと見せつけられる。
軽々と木々を渡っていくアリョーシに対して、俺は着地やもやの出力の方法に不安を残している。一つの木を渡るのに異様に集中しすぎて、次の木へ視線を向ける余裕がない。木にたどり着いてからようやく視線を次に向けると、アリョーシはもう二つ、三つ先の木の枝に立って待っている。
非常に不甲斐ないが、しかし初めてなのだからこんなものだろうと考えれば焦りも自然と抑えられる。
子供の形をしているが、伊達に長いこと人間として生きていたわけじゃない。このくらいの感情のコントロールは身につけている。
子供らしい豊富な体力を使って、多少の休憩を取りつつ練習を続けていく。訓練の最中にリンゴのような木の実で栄養を取り、また練習する。
日差しが真上から次第に西に傾き、茜色に森が色づいていく。「今日はもう帰ろう」。その頃になってアリョーシが汗をぬぐいながら言った。
後少し、後少しと粘っていたが、どうやらそれももう限界のようだ。自然の中では街灯もなく、夜になれば満点の星が空に広がり、森は夜の闇に包まれる。あたりの様子が見えなくては練習どころではない。
俺はドラゴンの姿に戻ったアリョーシの背中に乗って、我が家に戻る。いつもと変わらずアリョーシは夕飯を探しに、俺を置いて洞窟から飛び去っていく。そのわずかな間に、俺は壁に今日の印を刻み込む。いつもの習慣だ。
アリョーシが戻ってくると、その口には大ぶりの猪を加えていた。毛がごわごわとしていて、テレビで見るようなケージに入ったものよりもずっと大きい。
さらに今日はもう一匹、凶暴そうなクマを一頭爪で捕まえてきていた。まだ息があるようで、アリョーシの爪から床に投げ出された後、うめき声をあげて苦しげに足を動かしている。
俺がぼうっと熊を見ていると、充血した弱々しい目で熊が俺を見た。何を言おうとしたのか。口をパクパクと動かしている。だが動物の言葉が分からない俺では理解できるはずもない。
熊は短く呻くが、すぐにアリョーシの口が熊の顔に覆いかぶさった。
何かが折れるような異音が聞こえる。熊の手足が大きく跳ねたが、それ以上動くことはなかった。
命を育てるとは、何かを殺すこと。生きるためには何かを殺さなくてはならない。すごく当たり前の摂理だ。
現代以上にここではその摂理が生きている。
間近に、すぐ目の前に広がっている。
頭で理解しているが、俺の心臓の鼓動は早鐘を打っていた。
俺はふと手元にある肉を見た。それはアリョーシがあらかじめ殺めておいた猪の肉だ。俺は一旦その肉を石の上に置き、両手を合わせて目を瞑る。
「……いただきます」
俺が生きるために犠牲にした命をかみしめる。生物に対する感謝と、命を奪ったことへの謝意。
それらの意味がたった6文字の言葉の中に込められているのだと、昔寺の僧侶が教えてくれた。目の前で生き物が肉に変わった瞬間を見せつけられなければ、おそらく思い出すこともなかっただろう。
見ることで態度を改める。都合のいい奴だと誰かが鼻で笑うかもしれない。実際に見もしないで、やりもしないで変われるのであれば、こんな楽なことはない。どこかにはそんな人間がいるかもしれないが、俺はそんな器用な人間じゃなんかじゃない。
俺はまぶたをあげて肉に視線を見る。そして、今一度肉を掴むとゆっくりと肉を噛み締めながら、腹の中に落とした。