6......
秋も終わりに差し掛かり、冬の寒さが少しずつエデンの街を包み込んでいく。
街路樹の葉がハラハラと通りに舞い落ち、道を行き交う人々の装いも次第に明るく爽やかな色合いから落ち着いた色合いに変わっていく。
時折ビル風が吹き抜ければ、それに乗って冷たさがツンと肌を指し、思わずコートの襟首を立てたくなる。
季節の移ろい。春の陽気が夏の暑さに飲み込まれ、夏の青は秋の朱へと衣を変え、そして秋は木枯らしが吹くといよいよ冬の出番がやってきて、冬の寒さを吹き飛ばし花々が咲き誇る春が人々の陽気を届けてくれる。
四季の移り変わり、その間際の時間はひときわ寂しさがこみ上げてくる。特に秋と冬の間は特に。
どうしてか、それは自分でも分からない。感覚の話でしかないが、アーロンは窓の外を覗きながら、何ともいえない寂しさを覚えていた。
毎年のことだが、この寂寥感は歳をとるごとに余計に大きくなる一方だ。齢五十過ぎの独身。社長という肩書きをとってみればずいぶん寂しい身の上が残る。
結婚ということも若い時分に考えたこともあったが、今や淡い思い出。遠い過去の記憶だ。取り戻すこともできず、あの頃に戻ることもできない。それに、もし戻ることができたとしても今の老いぼれた自分に彼女が振り向いてくれるなんて思えない。
しかし、あの時の思いがもしも大輪をなしていたら、この寂しさも少しはマシになっていただろうか。馬鹿な考えだ。考えたところで答えなど出ないのに。
「何か、楽しいことがあったので?」
隣に座る秘書のユミルが小首をかしげてアーロンを見つめていた。どうやら自分でも気づかないうちに頬を歪めていたらしい。
「いや、何でもない」
窓にかけていた肘を膝に乗せながら、顔を引き締める。
懐かしい思い出をタンスから出してしまった。部下の前であまり見せたことのない顔だったから、きっと珍しく見えたことだろう。
「今日の予定はどうなっている」
咳払いを一つした上で、アーロンは茶を濁すように秘書に言った。
「午前十時よりテレビの収録。その後保健庁のジャック・ローウェン長官補佐他数人の官僚との会食。その後報道二社から取材を受け、自社での幹部会。そして午後五時半より雑誌社からの取材があり、午後七時より懇意させていただいている製薬・医療機関および研究機関の所長様方との夕食会。となっております」
「いつにもまして忙しいな」
「社長自ら受けられる仕事を入れるようにと仰せつかっておりますので」
「老体に鞭を打って楽しいか?」
「ええ。社長がキビキビ動く様を見ていると、元気が湧いてきますもの」
手の甲で口を隠してクスクスと笑ってみせる。
全く性格の悪い女だ。いやだからこそ遠慮せず仕事を持ってきてくれるのが助かっているのだが。
器量もよく仕事もできる。まさに出来る女。しかし今でも男ができないのは、きっとその性格の悪さゆえのことだろう。
「今、失礼なことをお考えになったのでは?」
「……いいや、そんなことはないぞ」
おまけに勘も鋭いときた。
「妙な間がありましたが、何か?」
「何でもないさ。ただお前の美しさに見とれていただけだ」
「まあ……、ありがとうございます」
まだ納得していないようではあったが、耳障りのいい社交辞令に少し気をよくしたようだ。
笑みをその整った顔に浮かべると、軽い会釈をアーロンに送る。密かに胸の内をなで下ろして、アーロンは再び窓の外を見る。
空は曇天。灰色の分厚い雲が空からエデンを見下ろしている。
午後から雨が降る予報になっていたが、ぶくぶくに膨らんだ雲たちを見ていると、どうにも予報より早く降ってきそうな気がしてならない。
パンパンに膨らんだその体内に、どれくらいの水を蓄えているのだろうか。子供のような疑問がふと湧き出てくるが、エデンの全てを濡らすくらいの量は軽く持っているだろう。鳥が小突いただけでも破裂しそうな雰囲気をひしひしと感じる。
車は交差点に差し掛かる。車は緩やかにスピードを落としてウィンカーをつける。そしてそのままなだらかなカーブを描きながら左折していく。と、前に一人の子連れの親子が通りかかった。
車は横断歩道の手前で止まる。母親が軽い会釈をすると子供の手を握って道路を渡っていく。
まだ小さな男の子だ。行儀よく手を上げながら楽しそうに白線の上を飛び跳ねていく。
微笑ましい光景だ。そして、いつか夢見た光景だ。
あの時、列車で彼女の手を離さなかったら、ともに腹の子を育てられたのだろうか。
そして子供の手を二人でとって、ああして歩くこともできたのだろうか。
母親と子供。それをアーロンはアリョーシとまだ見ぬ我が子の幻影に重ねる。
親子が渡りきり車が再び進み始めても、彼は幻影を追いかけて親子の姿を見つめていた。
「どうかなされたので?」
ユミルが訊ねてくる。先ほどのふざけた調子はなく、心配そうにアーロンの顔をのぞいている。
「いや……少し昔のことを思い出しただけだ」
「昔のこと、ですか」
ユミルは何気なくアーロンの視線の先を追ってみる。
しかし親子はすでにビルの陰に消えていて、行き交う人々の雑踏があるだけだった。
「過去の幻影さ。君が気にするようなことじゃない」
「そうですか……社長がそうおっしゃるのなら」
ユミルの顔は再びアーロンに向けられるが、彼は彼女に顔を向けることはなかった。
窓の外に顔を向けて流れていく景色を眺めている。ただ窓に映ったアーロンの顔には、どこか寂しげな表情が浮かんでいた。