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5......

 ソファの上で一晩を過ごし背中に痛みを覚えなが目が覚めた。起き上がって首と肩を回してみるとビキビキと凝った筋肉が悲鳴をあげる。


 ただほぐしただけなのだが、痛みで声が漏れる。慣れない態勢で寝たせいかいつもよりも体のコリがひどい。


 石の上で寝ていた頃はこんなことはなかったのに、これも文明に慣れてしまったせいだろう。柔らかなベッドで足を伸ばして寝なければ、満足に寝ることもできなくなっているらしい。 


 どうにか起き上がるとゼレカが定位置に座っていた。パソコンの画面を睨みつけ、朝のコーヒーを満喫している。


 「おはようございます」


 俺の挨拶にゼレカはちらっと視線を向けただけで、言葉を返ってくることはない。ショックはなかった。まだ何となくの


 「アマンダさんとガブリエルさんは? まだ寝ているんですか」


 「もう起きて出て行った。アマンダはリーコンに、それガブリエルは荷物をとりに自宅に引き返した。それとあなたをここから出すなって言付かっている。しばらくの間はここで過ごすことになるから。そのつもりで」


 「そうですか……」


 俺の言葉を最後に沈黙が再び訪れる。


 俺が外に出られないことはなんとなく分かっていた。なにせロベルトのところから逃げ出したんだ。衆目の中、どこに奴らの目が光っているかも分からない。


 不用意に外に出て捕まるなんてことになったら目も当てられない。それはゼレカも同じだろう。職場にいかずに俺と一緒に家にこもっているのは、そういう理由があるに違いない。


 壁に掛けられた振り子時計をみると午前十一時半。もう昼になろうかという時間だ。だいぶ長い間眠っていたらしい。そこまで疲れている気はしなかったけど、自分の知らない間に体に疲労がたまっていたようだ。


 しかし時計を見た途端に、俺の腹が悲鳴をあげた。とっさに腹を抑えて止めようとするが、そんなことでは腹の虫は止まらない。モーターの音に負けないくらいの大声で、ぐぅ〜という情けない音が部屋に響く。


 「そこにカップ麺があるから、勝手に食べて」


 画面に顔を向けながら、ゼレカの指がピンと伸びる。指の先に視線を向けていくと、部屋の隅に段ボール箱が並んでいる。


 その表面には湯気の立ったラーメンのイラストと『特製 豚骨味噌ラーメン』と商品名が書かれていた。


 「……すみません、いただきます」


 申し訳なさを感じながら、しかし食欲には抗えない。ソファから立ち上がって段ボールの前に行き、そこからカップ麺を一つ取り出す。


 ビニール紙で梱包されたカップ麺のフタには湯気の立ったラーメンの写真がどんとプリントされている。


 美味そうだと思う反面、この写真通りにはいかないのがカップ麺の悲しいところだ。


 写真の見栄えとは裏腹に蓋を開けて乾燥麺と火薬それにスープの素を入れてもこの通りにはならない。このカップ麺はその類だった。 


 スープの素を取り出して、加薬を入れた乾燥麺に湯を注ぐ。蓋を閉じて三分待つ。


 三分経てば蓋を開けてスープの素を入れる。白い脂肪の塊をひねり出してよくかき混ぜれば完成だ。味噌ベースだからかスープ自体は茶色い。香ばしい匂いの中に豚骨のこってりとした匂いが混ざっている。


 匂いを嗅ぐたびに食欲が刺激される。付属していたフォークを手に一息に麺をすする。空きっ腹に暖かい麺の温もりが流れ落ち、下にはこってりとした豚骨の風味と味噌の塩気がほとばしる。


 うまい。ガブリエルのところでたらふく食っていたけど、やはりうまい。栄養バランスがどうとか、健康に悪いとかそんなこと糞食らえだ。


 うまいものを食べることにいちいち理由をつけなきゃいけないなんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。


 がっつくように麺をすすり、あますことなく汁をすする。満腹感と満足感の余韻に浸りながら空になったカップとフォークを一緒にゴミ箱に投げ入れる。


 腹が満たされたことで脳に栄養が行き届いた。思考のエンジンが火を吹いて俺の頭の中で様々な言葉が浮かんでくる。


 作戦にも文章にもならない。顔写真と名前が火花のように頭の中に浮かんでは消え、俺は忘れまいと網膜の裏に焼き付ける。


 俺の父親。ロベルトとアーチャーの目的。それに『シグルスの舌』とかいうドラゴン喰らいの集団。昨日だけでわかった事実を手繰り寄せてみれば、なかなかの量だ。頭の中で整理しなければパンクして考えるどころじゃなくなる。


 だけど、そんな中で俺が優先すべきなのはアリョーシを助け出すことだ。組織の壊滅とか。ロベルトとアーチャーを逮捕、起訴するとかいうのは俺がやるべきことじゃない。


 アリョーシを見つけ再び元の暮らしに戻る。純粋に。ただ純粋に。余計な思いとか感想と抜きにしてみれば、そんな簡単な願いが残る。


 だがその願いを叶えるための作戦も、アリョーシの居場所も分かっていない。彼女が生きているのか死んでいるのかも定かじゃない。それを探る方法は考えても浮かばない。


 俺一人の力なんてせいぜい空を長く滑空したり、力が強かったりするだけ。不意をついた戦い方ならできるかもしれないが、それだってうまくいけばの話だけど、拳銃をもった人間と戦ったって勝てる見込みなんてない。


 また捕まって実験体になって、どこともしれない人間に売り飛ばされるだけだ。


 さてどうするべきか。頭を悩ませていた時、ゼレカがおもむろに立ち上がりテレビの電源を入れた。


 いくつかチャンネルを切り替えた時、画面にアーロン・ロドリゲスが映った。にこやかに笑った彼は司会役のタレントからの質問に次々と答えていく。


 思えば最初にこの人を見たのも、こんな感じの番組だった。その時はタレントではなく、ビシッとスーツを着こなしたアナウンサーだったけど。


 そのタレントは白のシャツのジーパンとカジュアルな装いで、バラエティだからかそこまで堅苦しい感じはなく、アーロンの顔はあの時よりも朗らかでリラックスしているように見える。


 その時だ。ふとした考えが頭によぎった。そしてふとした瞬間を掴んで手元で転がしてみると、次第に形になって現れ始めた。


 そんな綺麗な考えじゃない。良くて子供が形作った不出来な粘土作品みたいな。不完全さばかりが目立つ、アラの多い思考だ。


 「……ゼレカさん。こういうのってどう思いますか」


 こねくり回した思考をゼレカに聞かせてみる。ゼレカは相変わらず表情を買えなかったけど、手をつけていたカップ麺をテーブルに置いて考えてくれた。


 「私だけじゃ判断しきれない。ガブリエルやアマンダが帰ってきてから話してみて」


 「そうですね。そうします」


 ゼレカに言われるまでもないが、確かに二人だけで話し合ってもしょうがない。


 ただ、ゼレカの頬がかすかに歪んだあたり、この馬鹿げた考えもあながち捨てたもんじゃないと思えた。


 ガブリエル、それにアマンダの帰りを待ってから、昼に思いついたことを話してみる。


 ガブリエルは目を見開いて驚いた様子だったが、アマンダはといえば口角を釣り上げて楽しそうに笑ってみせた。


 「いいわね。それ。リュカくんいてこそできるプランだわ。それに丁度アーロンさん主催でパーティが開かれるから、そこに潜り込めば案外いけるかも」


 手帳を開きスケジュールに目をはしらせる。さすがリーコンに潜り込んでいるあたり、イベントに関しても網羅しているらしい。


 「でも結構危険な賭けよ。途中でこっちの思惑がバレるかもしれないし、それに、もし成功してもこちらの意図したところに転がってくれるかどうかもわからない。そうなったら君のお母さんもアーロンさんも無事では済まなくなるかも」


 「それでも、やらないで殺されたり、売られたりするよりずっといい」 


 タメ口になってしまったけど、この際構うものか。こっちから提案したのに弱腰になっても意味がない。


 俺の言葉を覚悟と受け取ったのか。アマンダは深く頷いてみせると、手帳をパタンと閉じる。


 そして前のめりになって俺の顔に顔を近づける。鼻と鼻がくっつくんじゃないかと思うほど近い。


 アマンダの目が俺の目をのぞいてくる。ここで目をそらしてはダメだと思って、俺はきっとにらみかえす。


 数秒か数分か短くも長い間見つめ合っていたけど、アマンダの目尻がふっと緩んだ。


 「分かった。計画をもう少し詰めましょう。まだ草案でしかないし、より精度を高めていかないとね」


 真面目にアマンダは言うが、口元の笑みを隠すつもりはないらしい。


 いつにも増して歪んだ頬は笑みというより悪巧みをする悪人のそれにしか見えなかった。

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