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4......

 耳を塞いでもニチャニチャと耳の奥で誰かが肉を噛んでいて、目を閉じても血に染まった男たちの顔が浮かび上がる。


 ドラゴンの悲痛な叫び。あんなに強い生き物が何もできずにただ食われ、痛みの中でジリジリと死に追いやられていく。


 喉は胃液でヒリヒリするし、口の中には吐瀉物のかけらがこびりついている。気分の悪さでまた吐き気がこみ上げてくる。


 「後で掃除して。他人が吐いたものを片付けるのはいやだから」


 ゼレカが迷惑そうに顔をしかめた。残虐な光景を目の当たりにしても彼女の表情の機微はない。


 精神が図太いのか、義体化によってそういうメンタル的なものがなくなったのか。


 そういうセンチメンタルとは縁遠い性格は羨ましくもあるが、あそこまで表情がないと少し怖くもある。


 「は、はい……」


 口元を袖で拭って、弱々しくもゼレカに返事をする。喋るたびに息に乗った吐瀉物の匂いのせいでまた吐き気がこみ上げてくる。


 「リュカくんにはちょっと強すぎたみたいね」


 コードを外したアマンダは、俺に顔を向けながら少し頬を歪めた。


 微笑むと言うより苦笑の色が強い。吐いたことに対してはそこまでとがめている様子はないが、それが逆に情けない思いを強くさせる。


 「これは、どこで撮ったんだ」


 ガブリエルに至っては俺に何かを言うことなく、アマンダを見たまま話を進め始めた。実際他の二人より、その対応の方が俺はよかった。


 変に気にかけられて惨めな思いをしなくて済む。それに俺が吐いたことはなかったことにはできないけど、取り上げるほどの話題じゃない。


 「ロベルト個人の別荘よ。場所はエデン郊外にある。なかなかの場所よ、プールにサウナに立派なバー、そこらの高級ホテルに負けず劣らずの施設を備えてる。そこに金持ちやマフィアたちが集まって捕まえたドラゴンをメインでっしゅにして、豪勢な食事会が執り行われるの。新鮮さは抜群よ、何せ見ての通り生きたまま食べるんだから」


 「たいした美食家(グルメ)だな。まったく」


 褒め言葉ではないことはガブリエルの顔を見ればわかる。汚しものを見るような目で、画面に映る男たちを見つめている。


 「でもね、ただドラゴンを食べているってわけじゃないのよ。あいつら」


 「このくだらない行為に意味なんてあるのか?」


 「ええ」


 アマンダはそう言いながら、持参したバッグの中からファイルを取り出した。


 「ドラゴンを頻繁に狩っていた時代の資料よ。狩猟団や密漁団もたくさんいたけど、その中でもドラゴンを食うことを目的にしていた集団がいたの」


 「そういえばそういう一団がいたな。たしかドラゴンの肉を食うことで不老不死の力を得るだとか」


 「そうそう。私もあんなグロテスクな食事風景を見なきゃ思い出すこともなかったわ。急いで資料ひっくり返して調べたんだから」


 パラパラとファイルのページを繰り、目的のページが来るとアマンダの指が止まった。


 「『シグルズの舌』。十年前に初めて確認されたけど、いつから発足していたのかは未だに謎。組織の活動はドラゴンを食すことのみ。有り体に言えばただそれだけの集団よ。他の集団に比べればだいぶ大人しいし、その当時の注目度もあまり高くなかった」


 「ドラゴンを食うこと自体法律では禁止されてもいなかったからな。当時はたらふく食えただろうさ」


 昔を懐かしむように、ガブリエルが言う。実際そうだったのかもしれないけれど、半分ドラゴンの血を引いている身としては笑える話ではない。


 「ドラゴンの肉を食べることで不老不死になれる。なんてことを平気で言ってた集団でね。それに乗るバカがうじゃうじゃいてさ。特に金持ちとか文化人とかそういった連中がね。権力や財力を持った人間はどうしてそっちの方に行くのかしらね」


 「権力者の(さが)じゃねぇか?」


 「そうかもね。私には一生理解できそうにないけど。縁遠い世界だわ」


 「まったくだ。世間のために働く公務員には遠い世界だ」


 頬を歪めて皮肉たっぷりにガブリエルは笑ってみせる。つられてアマンダも少しだけ頬を緩めた。


 「だが、くだらないことには変わりないだろ。ドラゴンといえどたかが動物の肉を食らったことで不老不死などになるわけがない」


 「そう。私もそう思ったんだけど、どうやら笑い話にするのはまだ早いみたいよ」


 「どういうことだ?」


 「ちょっと映像を戻してくれる?」


 再びの注文にゼレカは苦い顔をしながら、ビデオを巻き戻し赤が散りばめられた男たちの食事が映し出された。 


 「ロベルトの横の男。顔を照会してみて」


 ゼレカは彼女の要望通り、ロベルトの横の男にフォーカスする。


 横顔しか見えないが、ゼレカのパソコンは解析に入る。


 その様子は壁に映されたままの映像で確認することができたけど、あっという間の仕事ぶりだ。すぐに男の横に顔写真付きの履歴書みたいな画面がポンと出てきた。 


 「アレックス・クーパー。恐喝と窃盗。ただの前科持ちじゃねえか。これがどうした」


 「生年月日のところ見てみて」


 アマンダに促されるまま、ガブリエルは目をリストの項目に走らせる。


 「……1647年生まれ」


 男の生まれ年を読み上げた時、ガブリエルから呆れが消えた。


 「そう。今から八十年前。私たちも生まれていないし、私たちの親がまだ父親の玉袋の中に収まっていた頃から生きていた人よ」


 「何かの間違いだろう。これが八十のジジイな訳がない」


 確かに横顔を見てもとても高齢者には見えない。


 よくて四十代。悪くて五十代前半のおっさんだ。少し陽に焼けた顔に頬にまでヒゲを蓄えている。食欲もこの中ではひときわ旺盛で、夢中でドラゴンの肉にかぶりついている。


 「驚くのはまだ早いわよ」


 そう言って、アマンダは次々に解析を急がせる。


 八十年前で驚いたのは確かに早かった。


 八十、九十、百。まるでセリのようにあの場に居合わせた男たちの年齢が積み重なっていく。


 中でも一五〇〇年前に生まれた男までいたものだから、開いた口が塞がらない。


 「クレオブロス。『シグルスの舌』の創設者で今なお現役で活動している人物よ。最初にドラゴンを食べた人間、賢人クレオブロス、なんて歴史書では語られているけど、もはやこうなってくると笑えてくるわ」


 確かにここまでくると笑えてくる。クレオブロスに限っては写真ではなくパピルス紙で書かれた絵だ。これで顔の認証ができるのだからこの世界の技術はさすがというほかない。


 しかし、他がカラーや白黒の写真であるだけに、絵による判定をされると違和感がすごい。絵から這い出てきた人間という感じでどことなく気持ちも悪かった。


 「不老不死ってのも、あながち嘘ってわけでもなさそうでしょ?」


 アマンダの言葉に返す言葉がない。それはガブリエルも一緒で、憮然としたまま映像を見つめている。


 「前科持ちもそうでない奴らもいるけど、みんな本来ならこの世にいないか、ジジイになっているはずの奴らよ。それがこんな若々しいカラダを保っているのは、ドラゴンを食べているから。ぶっ飛んだ論理だけど誰もそんなの研究したことがないから、間違っているとも言えない」


 「……ロベルトがこいつらを招いていると言うが、あいつもこの組織に肩入れしているのか?」


 「そう。クレオブロスに変わって運営をしている。もっとも『シグルスの舌』は会の名前みたいなものになっているから、普段のこいつらは別々の組織で活動しているわ」


 「検討はついているのか」


 「ええ。すごいわよ。アレックスはマフィアの元締めだし、ほかにも金融界に財政界、さらには商業、放送界まで。長いことトップの椅子に座っている奴らばかりよ。クレオブロスは表立って活躍してはいないけど、政界を裏で操っているっともっぱらの噂」


 「……すごい人たちばかりなんですね」


 「ええ。エデンのトップが一堂にかいした感じよ。でも忘れないでね。こいつらは君の仲間を食べているし、もしかしたらもうこいつらの腹の中に君のお母さんが収まっているのかもしれないんだから」


 そう言われればそうだ。あまりの凄惨な光景に気圧されていたけど、こいつらはドラゴンを食べる。アリョーシがロベルトたちの手にある今、ロベルトの金になるかこいつらの肥になるかのどちらかしかない。


 ふざけた選択肢ばかりが残されて、何もしなければどちらかに転がっていく。そう思うと焦らないわけがなかった。


 「母さんがいる場所は分からないんですか」


 「一応当てはあるけど、確実なわけじゃないの。もしかしたら別のところにいるかもしれない」


 「なら行って確かめましょう。こんなやつらの欲望のために、母さんが犠牲になるなんて耐えられないです」


 「焦っても結果は出ないわ。無策で突入しても捕まるか殺されるかのどちらかしかない。仮に見事に突破したとしても君の母さんじゃいないんじゃ無駄骨もいいところでしょ」


 「……そうですけど」


 「だったら、よく作戦を練って万全にした状態で行った方がいい。その方が安全だし、無駄に命を危険に晒さなくて済む。違う?」


 「……はい」

 

 アマンダからの言葉の嵐にぐうの音もでない。さっきまで俺の体に滾っていた熱は急激に冷めていく。意気消沈もいいところだ。こんなに叱られていては、本当に子供に戻ったみたいだ。


 「リュカ坊をあまりせめてやるな。母親を助けたい一心で言っているんだからよ」


 ガブリエルが苦笑を浮かべながら口を開いた。


 「そうかもしれないけど、でも叱って止められるうちが一番いいのよ。頭に血がのぼったままバカをやられるのが一番困るの。私たちにも、本人にもね」


 話の終わりを知らせるように、アマンダがパンと膝を叩いて立ち上がる。 


 「さて、今日のところはこれでお開きにしましょ。今後どうするかは明日改めて話すって事で。ゼレカ、ベッド貸して」


 「なんで」

 

 「ここにみんな泊まるからよ。部屋があるんだし別にいいしょ。私、あなたたち助けるので疲れちゃった」


 「……分かった」


 しぶしぶと言った様子でゼレカはアマンダに部屋の鍵を渡す。きっとアマンダに助けられたりしなければ使わせたりしないのだろう。露骨に嫌そうな顔をアマンダに向けている。


 しかしアマンダは一向に気にした様子はない。鍵を受け取ると一直線に出口へと向かう。


 「それじゃおやすみ。また明日」


 ひらひらと手を振りながら、アマンダは部屋を出て行った。


 部屋に静けさが広がっていく。アマンダにつられてか、ガブリエルも彼女を真似てゼレカに鍵を借りて部屋を出て行く。ゼレカは未だパソコンの前を陣取っている。

 

 「ゲロ、片付けて」


 俺に対する注意も忘れていない。言われなくても分かっている。睨んで見るけどゼレカはパソコンに目を向けているため効果はない。ため息をつくが、濡れた雑巾とバケツを借りて、吐瀉物を掃除にかかった。


 一体どうしたらアリョーシを救えるのか。その答えは霧の中に隠れて、見えてこない。何とかしなければと思うが、その何とかが頭の中に浮かんでこない。


 悩みも焦りも浮かんでは頭の中で渦を巻いている。けれど一旦吐瀉物の前にかがめば、そのクソみたいな臭気でどこかへ飛んで行ってしまった。

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