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7.

 突如訪れた闇はまぶたに届く柔らかな光によって徐々に晴れていく。光は俺を包み込むように広がっていき森の匂いと鳥のさえずりを連れて、俺の意識を少しずつ醒まさせてくれる。


 駄目だ。もう少し寝かせてくれ。

 朝が苦手な子供のように、薄れていく闇を俺を必死に手繰り寄せる。しかし俺の手の中にあった闇はするりと抜けていき、光に飲まれて消えていく。


 そうか、もう起きなくちゃいけないのか。眠りの中にすがりつくのを許されないのはひどく残念だ。闇に顔を向けていたけれど、仕方ないがそれもやめにしよう。


 意識が覚醒へと向かっていく最中。心から幼さが消えていき、現実が俺を元の大人へと変えていく。


 光は肌を、耳を、そして鼻を刺激してくる。目をゆっくりと開けて光に慣らしていけば、まぶたの先にアリョーシの顔があった。


 「ようやく気がついたわね」

 

 そう言いながら、彼女は俺の額にかかった髪を払ってくれた。


 「俺、もしかして気絶してた?」


 「ええ。ぐっすりと伸びてたわ。当たりどころが悪かったのね」


 可笑しそうにアリョーシが笑った。自分の息子が気絶したというのに、彼女はまるで心配していた様子はない。それは自分の息子がこんなことでどうなるとは考えていなかったようにも見える。


 ドラゴンと人間の感覚の違いなのかもしれないが、もう少し心配しても良かったのではないか。そう思うだけでなく、実際に口に出そうと思ったのだが、自分が枕にしているものにふと意識が向いた。


 柔らかでしっとりとした肌の感触。それに人肌の温もりが後頭部を通して伝わってくる。肩越しに後ろを見れば、その正体はアリョーシのふとももだった。


 気恥ずかしさから俺の顔は熱くなり、すぐに体を起こそうと上半身に力を込める。


 「大人しくしてなさい」


 しかしそんな俺の体をアリョーシが片手一つで押さえつけた。それでもなんとか体を押し上げてみるが、まるでビクともしない。まるでガタイのいい筋肉ダルマが重石としてのしかかっているようだ。


 躍起になるに連れて頭に血管が浮き出るが、思わず食いしばったおかげで、顎がひどく痛んで力が抜けていく。


 「……ごめん」


 観念した俺はその言葉をアリョーシに送った。膝を貸してもらったことに対して、それと介抱してくれたことに対して。


 ありがとうというべきなのだろうけど、真っ先に思いついたのは謝罪の言葉だった。こんな事態を招いたのは俺のせいであることには違いないのだから、謝ることは別におかしいことではないはずだ。


 ちょっと足の自由がきくようになって、さらに人間ではできないような力を使えて調子に乗っていたのだろう。いや、だろうじゃない。調子に乗っていたんだ。


 今の俺だったらなんだってできる。


 そんな傲慢とも取れる余裕が招いた失態。思い返しただけでも数分前の俺を殴りつけてやりたくなった。


 「謝ることはないわよ。誰にだって失敗はあるわ。それにね、ドラゴンの体は他の種族より丈夫なんだから、ちょっとの怪我くらいなんてことないわ」


 そんな俺の心中を察してか。にこやかに微笑みながら、アリョーシは言う。 

 

 優しい言葉は耳障りが良かったが、励まされはしなかった。それどころか、彼女の言葉を聞いてからみるみると情けなくなってくる。


 「今日の特訓はこれぐらいでおしまいにしましょう」


 「いや、まだ大丈夫……」


 「無理しないの。焦らなくてもまだまだ時間はあるわ。また明日頑張ればいいんだから」


 アリョーシの手が俺の髪を撫でる。優しい手つきに荒んだ心が少しだけ慰められる。


 「さぁ、帰りましょうか」


 アリョーシはそう言うと、俺を負ぶさってドラゴンの姿に変わった。


 俺が背中に生えた突起にしがみついたのをみれば、アリョーシは翼を羽ばたかせ舞い上がる。


 風を切り裂いてアリョーシが空を渡っていく。西へ傾いた太陽が俺たちを見送って、生ぬるい風が俺を慰めるように頬を撫でた。


心地が良かったことに嘘はない。けれど、失態が尾を引いて景色や風の心地を楽しむ余裕が俺にはなかった。


 淡々と過ぎる時間はあっという間で、気がつけば洞窟に戻ってきていた。アリョーシは俺を降ろすと餌を取りにまた外に出て行ってしまう。


 ひとりぼっちの洞窟はもう慣れたけれど、寂しさを感じる間もなくアリョーシが鹿の一頭を咥えて帰ってきた。


 夕食はいつものようにアリョーシが牙で切り分けた肉にかじりつくだけだ。


 「そういえばさ。なあ、母さん」


 「ん? どうしたの。もしかして、まだ痛む?」


 アリョーシは自分の顎をさすりながら、心配そうな視線を向けてきた。


 人間の姿の方が治療をしやすいとドラゴンではなく人間の姿になっている。それだからいつもよりも意思疎通がやりやすい。俺の頼みを聞いてくれたようで、鱗の服をちゃんと着てくれている。


 「いや、違うよ。今日空飛んでる時見かけたんだけど、遠くにある都市みたいなのがあったけど。あれ、何?」


 「ああ、エデンよ」


 「エデン?」


 失楽園にでも出てきそうな名前に、俺が疑問符を浮かべる。まさかここにアダムとイヴがいるわけではあるまいし、そんな名前を聞くはずもないと思っていたから。


 「そう。人間たちの暮らす街。私も昔住んでたことがあったわ」


 「住んでたの? 人間の街に?」


 「何よ、ドラゴンが人間と暮らしちゃ悪いっていうの?」


 アリョーシは口を尖らせて、むくれっつらを俺に向けてくる。


 「いや、別に悪いってわけじゃないけど。なんか、意外でさ。てっきりドラゴンと人間って、干渉し合わない存在だと思っていたから」

 

 「まぁ、そうね。あまり親しい感じではないわ。もともとドラゴンは排他的なところがあるし、縄張り意識も半端ないしね。昔はしこたま殺しあってて、お互いいい印象なんてからっきしだったから」


 「そ、そうなんだ……」


 「でもね。私はそういうしがらみみたいなのが嫌でね。若気のいたりってやつかしら。両親の反対を押し切って人間の街に飛び込んだの」


 「騒がれなかったの?」


 「もちろん、騒ぎになったわよ。エデンに向かう前に人間の姿になったけど、バッチリ記事にされてね。『ドラゴン来襲。この世の終わりの兆候か』とか騒ぎ立てて、私は怪しまれないように必死だったわ。……そんな時ね。あなたのお父さんにあったのは」


 昔を懐かしむように、アリョーシは目を細めて遠くを見つめた。


 「待ってくれよ。俺の親父って人間なの?」


 「そうよ。あら、教えてなかったかしら」


 「教えられてないよ、そんな大事なこと」


 寝耳に水とは、きっとこういう時に使うんだろう。


 「あら、ごめんなさいね」

 

 ほほほっ、と笑いながらアリョーシは形だけの謝罪を言ってくる。


 「でも、だったらどうして親父はここにいないんだよ」


 「人間とドラゴンは一緒には住めなかったの。心配しないで、喧嘩別れってわけじゃないの。私はあの人のことを愛していたし、あの人も私のことを愛してくれていた」


 だけど、とアリョーシは言葉を切る。その一瞬、アリョーシの顔が悲しげに歪んだように見えた。


 「やっぱりドラゴンが人間になるのは難しかった。人間がドラゴンに合わせることもね。……あの人も私の考えを尊重してくれたわ」


 「いつ別れたの」


 「そうね……。20年くらい前だったかしらね。あなたを身ごもって、自分で育てる決心をして。……そうね、うん。そのくらいになるわね」


 「俺が生まれるまでに20年もかかったのか」


 「そりゃあね。あなたを卵で産み落としたのが12年前くらいで、それからずっと温め続けていたもの。でもね、ドラゴンの中では早い方なのよ。なかには100年くらい経ってからようやく卵から孵ったって子もいるんだから」


 「……ドラゴンってすごいな」


 ドラゴンの生態とは全く不思議なものだ。アリョーシの口から聞かされた事実に、改めてそう思う。


 『謎の生物ドラゴンの未知の生態。ついに解き明かされる』


 とかいう文言がラテ欄やら本の帯についていれば、多くはないがコアな物好きたちが見る可能性はあるし、また金を落とすに人間も出るに違いない。


 ただ、残念なことに文章を編集する人間も、文字を書く人間もこの場にはいない。


 全く惜しい。実に惜しいことだ。


 「それじゃ、親父はまだ生きているんだ」


 「ええ。でも、だいぶ歳をとってしまったかもね。しわくちゃで分からなくなってるかもしれないわ」


 「別れてから20年くらいなんだろ?その時親父は何歳だったんだよ」


 「うーん。30とか言ってたかしらねぇ。昔のことだし、あまりよくは覚えてないわ」


 「それじゃ、今は50から上くらいか。……会ってみたいな」


 「生きていればその内会えるわよ。きっとね」


 頬を緩めてアリョーシが言う。そして肉に食らいつく。


 ちょっとの間だけアリョーシが肉にがっついている様を見ていたが、人の食事を見ていると不思議と腹が減ってくるものだ。


 視線をアリョーシから手元の肉塊に落とす。そして俺もアリョーシを見習って残る生肉に食らいついた。

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