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「俺が……死んだだと」
言葉に詰まりながら俺はなんとか口を動かす。動揺を気取らせないようい努力はしたが、注意をしただけでは俺の中にこびりついた動揺をはがすことは出来なかった。
「人間は死後あらゆる世界を巡り、様々な形になって生まれ変わりを繰り返す。これは東洋に伝わる宗教の教えなのだが、ことさら嘘ではないと私個人は思っているんだ。それは何も宗教に迎合しているわけではない。ただ科学の前に説明がつかない事象というのがあるということも理解しているだけだ」
ポケットからハンカチを取り出し、ロベルトはメガネのレンズを拭いていく。
メガネが外れた彼の目つきは先ほどに柔和さは消えて、眉根をしかめた険しい顔つきに変わった。人が変わったような変化だが、メガネをかけた途端に元の顔に戻る。
「君が一度死を経験している。という馬鹿げた仮説を立てたのも、その科学では説明できない事象をこの目で見てしまったからに他ならない」
ロベルトが俺の方へと歩いてくる。ゆったりとした歩みで。そして俺の顔を覗き込む。
「君は確かにあのドラゴンとアーロン氏の血を受け継いでいる。だが、君の血にはその二人とは別の血も混ざっていた。美しいDNA配列に外部から取ってつけた、まるでたちの悪いヒルのようなDNAがな」
「……それが、何だっていうんだ」
「こういうDNAを持つ人間はごくごく稀にだが産み出されることがある。そして彼らはまるで以前にも生きたことがあるように、歳に見合わぬ行動をとる。子供ながら軍を率いることもあれば、教授たちに混じって学会の席に名を連ねることもある。農耕民となって田畑を耕す連中もいると聞くが、残念ながら私は見たことがない」
俺みたいな連中がこの世界にいたことには驚かされるが、素直に驚いて見せたところで何になるだろうか。
何か反応があったとしてもロベルトの眉がわずかに上がるだけ。放すなんてことをするはずがない。
「だが、改めて考えればこんな残酷な話もないだろう。生まれたまま瞬間から一つの魂を殺していると言うことになるのだから」
「どういう意味だ」
「考えてもみろ。君がその体に入らなければ、その子にはきちんとした魂が宿っていたはずだ。君ではなく、その子自身の魂がな。だがどうだ。その子の魂は壊され、その体には君が居座るようになった。残酷な話だと思わないか?」
一番考えたくもなかったことだ。そしてこれまで考えようとしてこなかったことだ。俺ではない他の誰かの体に入っている。五体満足な若々しい体に。
喜ぶべきことかもしれないし、実際俺は喜んだ。馬鹿みたいにはしゃいださ。
だが俺は本来ならこの世界に何ら関わりのない部外者だ。それがどう言うわけかこの体に入ってこうして世界を見聞きしている。この体の本当の持ち主であるこの子を差し置いて。
反論を並べ立ててやりたいが、返す言葉が見つからない。それをいいことに ロベルトの口がすかさず動いた。
「アーロン氏はさぞ心苦しい思いを持つに違いないが、君のドラゴンの思うと胸が痛むよ。まさか自分の育てていた子供が赤の他人に乗っ取られていたとは夢にも思わないだろう」
「……黙れ」
「君の中身をしってあのドラゴンはどう思うだろうな。我が子だと思っていた子供が、実は我が子ではない赤の他人によって動かされていたと知ったら」
「黙れ!?」
俺の怒声が部屋に響く。
不安と苛立ち。溜め込んだ鬱憤が解き放たれ虚しく空気を揺らす。
反論にも弁明にもならない絶叫。それは駄々をこねる子どもと同じで聞きたくもない言葉を声によって塞ぎこむ。
「俺だって、俺だってここにいるのが不思議でならないさ。本当なら俺はベッドの上で死んでいて、こんなところにいるはずじゃなかった。苦痛にあふれた現実から死に包まれて無に帰るはずだったんだ」
「それが何の因果かその体にすっぽり収まっているわけか」
俺の怒声に眉ひとつ動かさなかったくせに、俺のぼやきにはロベルトは好奇の色を目に宿して話しかけてきた。
「君の以前の姿は私には分からない。もちろん興味がないというわけではないが、今考えるべきことではない」
その時だ。どこからか軽快な電子音がバイブレーションとともに聞こえてきた。
おそらくも何もそれは電話の着信音だろう。電子音が一定のリズムを繰り返しながら、早く電話に出ろと急かしてくる。
動いたのはロベルトだった。
「ああ。私だ……そうか。わかった。そのまま準備を進めてくれ」
ロベルトは短いやり取りをすませると、電話を切った。
「君の買取先が決まったよ。北の豪商だ。婦人用の玩具を一つご所望された」
「……人身売買か」
「理解が早くて助かるよ。傷物でもいいと言う条件ももらっている。君をじっくりと調べた後に、彼らに渡すことにするよ。何心配しなくてもいい。君の命は我々が丁重に扱う。それに後世の研究に役立てるんだ。誉れることだと思って胸をはれ」
ロベルトは背後に目配せをする。するとそれまで立っていただけの黒服たちが一斉に部屋を後にしていく。ラリーもそれに混じって部屋を出て行った。
ロベルトも彼らに続いて俺に背中を向ける。が、何を思ったのか。立ち止まって俺に顔を向けた。
「君の言う通り、君は本来ならこの世界に存在しない人間なのだろう。どんなわけで死んだのかはこの際聞かないでおいてあげるが、その子の体は君のものではない。ならせめてこの世界の住人たちに君を還元させてくれよ」
ロベルトの言葉が途切れ、彼の姿が扉の外に消える。鉄の扉が閉まり、照明までもが落ちた暗い部屋。
何も見えない。何の音も聞こえない。暗闇に閉ざされた部屋で目を開けているのか閉じているのかも分からなくなる。
でも少なくとも今はこれでよかった。周りが何も見えないことが、何も聞こえないことが心地よかった。非難の視線も声も聞かなくて済んだから。
けれど自分の中から聞こえてくる声を消すことはできなかった。この体を本来持つはずだった子供へと思いを馳せながら、奪い取ってしまったことへの申し訳なさを感じながら。
やがてその思い立ちは大きな声となって自分を責め始める。自分で死を選んだくせに、どうしてのうのうと生きている。他人の身体に居座って楽しいか。本来その体を持つはずだった子供を、お前は殺したんだ。
人殺し。
人殺し。
人殺し……。
「ああああ……!!」
頭に響く俺の声を消すために、次々に湧き出てくる罪の意識をかき消すために。闇の中で俺は叫んだ。