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ガブリエルとともに通りにそって歩き高架橋の下にまでやってきた。
昼間だというのにそこはどこか薄暗い。あたりには街灯もなければ家々の明かりもない。あるのは橋の下で焚かれた火の明かりだけ。
ドラム缶の中に角材が乱雑に入れられ、そこに数人の男たちが群がっている。どうやらあの男たちがたむろしていたホームレスたちらしい。
「その男たちよ」
イヤホンからゼレカの声が聞こえてきた。あたりを見回してみると、ビルの角にカメラが一台ついていた。あれで彼女は見ているようだ。
ガブリエルは迷いなく男たちに歩み寄っていく。俺も続いて彼女の後を追う。
すると一人のホームレス近寄ってくる足音に気づいたようで、ふと俺たちの方へ顔を向けた。
「誰だい、あんたら」
しゃがれた声で男は話した。無精髭にシミだらけの細長い顔。窪んだ目から黒い目がのぞいている。
薄汚れたジーンズに色あせたジャケット。大げさに綺麗な格好とは言えないけれど、上下きちんと着込んでいることはそれなりに褒めるべきだろう。
「ゼレカ。映像を送れ」
しかしガブリエルの男の身なりなんて気にならないのか、さっさと要件を済ませにかかる。
ガブリエルの言葉の後、彼女のスマホが震えた。ポケットから取り出して操作をすると、そっと画面を男に向ける。
「この男に見覚えはあるか」
「ああ? ああ、こいつはトクだ」
スマホの画面を凝視したかと思えば、男がなんてこと無さげに言った。
「そのトクという男はどこに住んでいる」
「そこから路地に入った突き当たりだよ。酒場の看板が下がっているところさ。というか、あんたら誰だい」
「自警団だ」
「あれ、あいつ何かしでかしたのか」
頭をかいて男は意外そうに目を見開いた。フケやら垢やら男の髪の毛からは人間の汚れがこぼれ落ちていく。
「おい、トクが何かしたみてぇだぞ」
「あいつやけに羽振りが良くなったと思ったら、やっぱりロクでもねぇことに手を出してやがったか」
「違いねぇ。全くどうしようもねぇ奴だな」
ホームレスたちは口々にトクの悪口をつぶやいていくが、その口調は冗談を言っている時のようにやけに明るい。
「なぁ刑事さん、あいつも悪い奴じゃねぇんだ。ただ魔が差しただけさ。あんまり責めないでやってくれよ」
「見逃すことはできないな」
「いやいや、見逃すなんてしないでくれ。何をやったかは知らねぇが、ちゃんと裁かれるところで裁いてもらわねぇといけねぇ。例えこんな家無しの野郎に落ちぶれても、そこはきちんとしなくちゃな。なぁ刑事さん」
「……そうだな」
ガブリエルは肩をすくめてスマホをポケットにしまう。
「しかし刑事さんも大変だねぇ。ガキ連れて仕事をせにゃならないなんて。そいつはあんたの子かい?」
「いいや」
短く答えるとガブリエルは俺の手を掴んでホームレスが教えてくれた方向へと歩き出した。
「あれ、もう行っちまうのかよ。もう少しゆっくりしていってもいいのに」
男の声が背中から聞こえてくる。ちらと肩越しに見てみると、男がこっちに手を伸ばしたまま突っ立っていた。
残念そうに眉を下げてはいたが、その口には笑みが浮かんでいた。
「おい。あいつが何年ででてくるか賭けをしようや」
「いいねぇ。俺は五年だ」
一人のホームレスの発言によって、男の顔が仲間の方へ向いた。
ゆっくりしていけと言うわりにはずいぶんあっさりもてなしを諦めてしまう。
一体なんなのか。そう思っている間にもガブリエルに連れられるまま路地の手前までやってきた。
「ゼレカ。あたりに誰かいるか」
「カメラで見る限りは誰もいないわ」
「そうか。それじゃリュカ坊をそっちに返すから。出迎えを頼む」
「……何かあったの」
「ああ。これは多分罠だ」
「罠?」
ゼレカの訝しげな声がイヤホンの奥から聞こえてくる。
「ああ。やけにホームレスたちが協力的だってのが気になったんだが、奴らどうやら誰かに金で買われていたらしい」
「金で? そんな金を持っている風には見えませんでしたけど」
周りのホームレスもガブリエルに対応した男も、みすぼらしいという言葉がよく似合う連中だった。
俺が見た限りじゃ金なんて縁のない人間ばかりに思えたけど。
「奥の連中の足元に、口を開いたアタッシュケースが一つ転がっていた。サビの浮いた目新しいがやつな。それに奴らのジャンバーのポケットから紙幣がいくつか顔を出していたが、おそらくは中身だったんだろうさ。賭けなんてするぐらいの羽振りの良さだ。それなりの額をもらったとは考えられる。それかそれなり以上の額だったのか」
そこら辺の観察眼は流石としか言いようがない。
俺の目では男の容姿や服装を見る事ばかりに意識が向いて、無意識のうちに他のものは目に入っていなかった。
「でもホームレスに金を渡したからってどうして罠だって言えるんです? 部長さんに電話をかけてきた人が口封じに渡して置いたかも知れないじゃないですか」
「それはない」
「どうして?」
「口封じのためなら最初に男の顔を見せた時になんらかの反応があるはずだ。目が泳いだり、表情に変化があったりな。だが、奴らは顔色一つ変えることもなかった。それだけでもだいぶ気味が悪い」
ちらとガブリエルはホームレスのいる高架下へ目を向ける。
「それにだ。あらかじめ私たちがくることを知らされていたみたいに、受け答えも簡潔で全く焦る様子がないとくれば、これはいよいよ雲行きが怪しくなってくるってものだ」
「……でも、待ってくださいよ。それじゃあまるで俺たちの行動そのものが筒抜けってことじゃないですか」
「だから罠だっていってんだよ。リュカ坊」
忌々しく眉を寄せて、ガブリエルの目がさらに鋭さをます。
「どこから漏れ出たのかは分からねぇが、こうなっちまってはしょうがない。少なくともリュカ坊、お前の身だけでも守らないと」
「ガブリエルさんは、どうするんですか」
「私は応援がつくまでここにいるつもりだ。こうまで大掛かりなことをしでかす連中だ。私一人の力じゃ到底かなわない。心配しなくても無理はしねぇよ」
ガブリエルは肩をすくめて少しだけ頬を緩めた。
きっと俺を安心させるためにしてくれたんだろう。けど、俺の心配はそれだけでは収まらなかった。
なおも食い下がろうと口を開きかけたけど、ガブリエルが先に口を動かして俺の声を遮る。
「ここは大人の言うことを聞いておけ。頼むからよ」
ガブリエルの大きな掌が俺の頭に乗っかる。
「お前の身体能力を私はよおく知っている。だから、お前一人でもここを離れられるとふんでいる。これは私からのお前の信頼だ。私の信頼を裏切るようなことをしないでくれ。私の前でも私から離れても死んでくれるな。いいな」
俺の目を覗き、ガブリエルは強く訴えかけてくる。
「……分かりました」
時間に間をおいて、不承不承。ガブリエウの訴えに俺は応じることにした。
アリョーシを探さなければという思いと、ガブリエルの信頼に傷をつけてはならないという思い。
その二つの思いに板挟みになった結果の返答だ。
ここに一つでも勇気という邪魔なものが挟まってくれば違う答えも出たかも知れない。
けれど、ここでの勇気とはイコール蛮勇というものだ。
敵が待ち受けているであろう場所に、その道に長けたガブリエルと自警団の人たちが踏み込むのならばいざ知らず。俺のようなズブの素人が言ったところでお荷物になることは目に見えている。
連携を邪魔するような真似は絶対にしたくない。それでアリョーシがより遠ざかってしまっては苦労も水の泡だ。
俺の返事に満足したのか。ガブリエルはうなずいてみせると俺の頭から手をどける。
「さあ行け」
ガブリエルに促され俺は室外機を登って建物の屋上にでる。
そしてそのまま屋上伝いに車の方へ戻る。誰にも追いつかれないように、全力で駆け抜ける。
高架橋を通り過ぎたあたりで立ち止まって一度振り返ってみると、そこにはもうガブリエルの姿はなかった。