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車に乗り込んだ俺たちは一路ラリー・ザモアのアパートへと車を走らせる。
その車中でガブリエルの口から部長室の中で交わされた会話の経緯。それにゼレカが同行する理由も教えてもらった。
俺がアマンダにいじられていた間にどうやら色々と進展があったらしい。
むずかゆい感触がいまだに脇腹に残っているけれど気にしてもいられない。
一人だけ状況についていけていないんだ。頭の思考を理解へ集中させた方がいいだろう。
カメラに映った男。部長に電話をかけ俺とガブリエルがラリーについて調べていたことを知らせた謎の男。
その男を探すため、そしてアリョーシと誘拐犯たちの影を掴むために男を見つけださなければならない。今最も果たすべき目的だ。
そして目的を達成するために、男が最後に目撃されたラリーのアパート方面へ向かっている。ここまでは充分に理解ができた。ただ、俺の中には一つの不安も浮かんでいた。
「でもその男の人って、もう遠くに行っちゃったんじゃないですか? 結構時間も空いてしまいましたし」
アパートから離れる時間。それに自警団で過ごした時間。男が電話を切ってからかなりの時間があったはずだ。その間にどこかへ雲隠れしていても不思議じゃない。
きっとガブリエルも同じことを考えているに違いない。
いつもよりも二、三十キロオーバーで車を走らせているし表情もどこか余裕がない。
俺の心配を口に出した時もすぐには答えずに何やら考えを巡らせている様だった。
「ゼレカ。カメラを覗け」
ガブリエルは俺の質問に答えてくれることはなかった。そんな余裕もなかったらしい。
彼女はカーラジオをいじり、ラジオの下部からUSB端子のついたコードを引っ張り出してゼレカに渡す。
コードなんか渡して何をするのか思ったけど、その疑問は口からは出ず驚きによってふさがれる。
ゼレカはおもむろにこめかみを押し込む。すると押し込んだところが窪みそこには端子の挿入口が顔を出した。
そしてゼレカはカーラジオから伸びたコードをためらいもせずにこめかみに差し込んだ。
「な、なにをやっているんですか?」
俺は運転席と助手席の間から顔を出してゼレカの顔を見る。そしてまた息を飲んだ。
ゼレカはうなだれて白目を向いて動かなくなった。揺り動かそうと肩に手をかけるけど、俺の手をガブリエルが制した。
「邪魔をするんじゃない」
「邪魔をって……ゼレカさんは大丈夫なんですか」
「ああ。大丈夫だ。今こいつの脳みそをネットワークにつないでエデン内にある全てのカメラを覗かせている。これで部長に電話をかけてきた男をあぶり出す」
「脳みそをって。そんなことをして大丈夫なんですか」
「無理を可能にするために義体ってもんがあるんだろうが」
何をいまさら。そう言いたげにガブリエルの口からため息が漏れでる。
「人間の脳みそで同時に認識できるのなんざ、たかだか一つ二つの情報だ。エデンのカメラがそれだけなら問題はなかっただろうが、実際のところは四〇〇〇万台のカメラがあちこちに付けられている。その一台一台に映る数多の顔の中で一人の男を探し出せってのは人間の脳みそでは全く役不足だ」
「でも、機械の脳みそだったら問題なく処理ができると」
「そういうことだ。まぁリュカ坊は初めて見るから驚いたのも無理はないがな」
「いた」
ゼレカの声に反応して、ガブリエルの視線がゼレカへ向く。
「どこだ」
「ここから南西の方。高架橋の下でホームレスたちとたむろしている。あのアパートからそんなに離れていない」
「逃げずに留まったのか」
「そうかもしれないし。そうじゃないかも。……移動して路地に入った。そこからはカメラじゃ追えない」
「大胆なバカか。阿呆を装った策士か。いずれにせよ行ってみるしかねぇな」
ガブリエルはアクセルを踏み込み点滅する信号を突っ切って進む。
ゼレカはコードを抜き取ることなくいまだに俯いている。
まだカメラの映像に脳の大部分を使っているのだろうか。こういうのを先端技術というのかハイテクとかいうのか分からない。けど、俺の目に映るゼレカは気味の悪いものにしか見えなかった。
間もなくしてあの爆発したアパートの近くまで来た。
だいぶスピードを出して飛ばしていたから、最初来た時よりも十分ほど時間は短くなっている。
消防隊の活躍によって火を無事に消し止められていて、黒ずんだ一室を窓から見ることができた。
アパート周辺には規制線が張り巡らされていて、そのすぐ地下には野次馬と思わしき人々が首を長くしてアパートをのぞいている。
しかしここには今の所は用がない。車はアパートを通り過ぎさらに進む。
しばらくいくと右手に橋が見えてきた。ゼレカのいう高架橋だ。
橋の上には電線が橋に沿って伸びていて時折電車が右へ左へ駆け抜けていく。
車は橋の方へと頭を向けて走る。そして突き当たりの丁字路にくると車を横に寄せて止める。
ガブリエルはシートベルトを外すとダッシュボードからヘッドマイクとイヤホンを取り出した。
ヘッドマイクの電源スイッチを入れてゼレカにかぶせる。
「カメラで男を捉えたら、それで連絡しろ」
そう耳打ちをするとゼレカの返答を待たずにガブリエルは俺にイヤホンを投げ渡す。
「リュカ坊もそれつけとけ。電源を入れるのを忘れるなよ」
「は、はい」
イヤホンの表面に電源マークの書かれた緑色のボタンがある。
それを長押ししてみると、イヤホンの走る溝に青い光が奔っていく。
これで電源が入ったのだろうか。試しにイヤホンをつけて耳をすませてみる。
「聞こえる?」
その声はゼレカのものだった。
「え、ええ」
「これからこれで連絡を取り合う。あとはガブリエルに従って」
「はい。わかりました」
俺の返答に対しての言葉はなかった。ちらとガブリエルをみると彼女も俺と同じようにイヤホンをつけている。
「義体化すれば、こんな面倒なこと手順踏まなくていいのに」
ゼレカの声がイヤホンから聞こえてきた。
それは俺に向けてではなく、きっとガブリエルに対して言った言葉だろう。口調に変化はないけれど、どこか親しげな感じが出ていたから。
「そのうちな」
にやりと頬を歪めてガブリエルは車から降りる。俺も彼女に続いて車を降りる。
晴れやかな青空が見下ろしているが、肝心の太陽は古びたアパートによって遮られ、大きな影が道に落ちている。
ラリー・ザモアのアパートもそうだったがこの辺りも随分と寂れている。
ビルのコンクリは風化で崩れ鉄筋がむき出しになっていて、ゴミに混じってかけらが飛んでいく。
外壁という外壁にはスプレー塗料で書かれたような落書きが書かれていて、一見美しさのあるものもあれば、ただ文字を乱雑に書いただけのものもある。
見惚れるようなものは何一つないが治安の悪さを醸し出すのには一役かっているようだ。
路地裏や物陰からバットを持った不良や、遠くからバイクを乗り回す族が出てきてもおかしくはない。
半ばビクビクとしながら車の周囲をぐるりと見渡してみる。
どこもかしこも人の姿なんて見つけられなかったが、ふと目に止まった屋上に周りの景色とはなじまない人間を見つけた。
メガネをかけた男だ。身につけているものは高そうなスーツだ。
金持ち。エリート。インテリ。金融街やビル街を歩いているのが実に似合う。
しかしこの寂れた街角では悪目立ちするばかりで、ひどく浮いていた。
男はまるで俺を見下ろすように立っていた。実際男の視線の中には俺が入っていたと思う。
でも、どうしてかその男の視線はまっすぐに俺を見ているように思えた。
単なる自意識過剰だと笑えればよかったけど、どうにも気のせいとは思えなかった。
「リュカ坊、何してる。いくぞ」
「は、はい」
ぼうっと上を見上げているとガブリエルの叱咤が飛んできた。
慌てて彼女の方に顔を向いて返事を返すけど、ガブリエルは俺に顔を向けずにそのまま高架橋の方へと歩いていく。
「ちょっと、置いてかないでくださいよ」
止めていた足を動かしてガブリエルの後を追いかける。ふと肩越しに屋上を見上げてみたが、そこにはもう男の姿はどこにもなかった。