5.
「今日はあなたに生きる術を教えていこうと思っています」
地上に降りた途端、アリョーシが胸を張ってこう言ってきた。
「具体的には何を。狩りの方法とか、食っていいキノコとか果実とか、そんなの?」
「そんなものはこの森で過ごしていくうちに覚えていくわ。それよりもっと特別なこと。できるかどうか、貴方次第ね」
「……?」
彼女は何を思ったのか、俺の顔の前に腕を突き出した。
何をするつもりなのかと見ていると、アリョーシの腕の周りに何かモヤのようなものがかかり始める。
モヤは右から左へと回転をしながら、蛇のように彼女の手に絡みついている。
「何、それ」
「風よ。ほら、触ってみなさい」
言われるがまま、恐る恐るモヤに手を伸ばす。
何か感触があるかと思えば、何もなかった。ただ冷たい空気が指先を撫でるだけだ。
「ね。害はないでしょう」
アリョーシは頬を緩ませた。
「あなたには、まず風を腕に集めることから始めてもらおうかしら」
「どうやるんだよ」
「イメージよ、イメージ。何事も想像力を働かせなくちゃ。ほら、とにかくやってみなさい」
俺は溜息をつきながらも、何となくのイメージを頭の中に思い浮かべる。風という名前の衣服に袖を通すような。そんなイメージで。
するとどうだろうか。腕にそよ風が当たったかと思うと、アリョーシと同じようなモヤが俺の腕に絡みついてきた。
戸惑いは次第に驚きに変わり、俺の目は自分の腕に釘付けになった。
「さすが私の息子ね。風龍の血を引き継いでいるだけあるわ」
アリョーシはどこか誇らしげだった。
「さて、じゃあもう少し発展させましょうか」
そう言ってアリョーシは木を登って、太い枝の上に立つ。
何をするのかと見守っていると、彼女は軽々と枝を蹴って、宙に身を躍らせた。
高々と宙に浮かんだアリョーシの体は、前方にある木の枝へと向かっている。ただ飛距離が足りない。このままいけば枝に届くことなく地面へ落下してしまうだろう。
「危ない!」
俺は叫んだ。だけど、その心配はいらなかった。
アリョーシは両腕にモヤを出現させる。そして両腕を広げるとモヤが後方へと噴出し、アリョーシの体を前方に押し出してくれた。
トン、とアリョーシは枝の上に立つ。
「さ、リュカもやってごらん」
木の上から手を振りながら、アリョーシが呼びかける。
「あれをやれってか……」
まるでサーカスを見ているような、現実にあって現実じゃない見世物をみた感覚を覚えた。できる気がしなかった。
しかし、ここでだだをこねていても先へは進まない。なけなしの覚悟を決め俺は木の幹に足をかけた。
アリョーシが飛んだ高さと同じ枝にたどり着く。登るだけでもかなり体力を使ったが、枝の上に立てば疲れも一瞬だけ感じなくなった。
心地の良い風が吹き抜け、葉と葉がこすれあう音がより大きく聞こえる。
心臓が早鐘を打っているのが聞こえる。
アリョーシの「早くおいで」という声も聞こえてくる。
左胸を拳でどんどんと叩き、俺はいよいよ枝から飛び立つ決心をつける。幅跳びの要領で勢いをつけ、そして枝を蹴った。
浮遊感は一瞬のことだった。すぐに重力が俺は引き寄せ、地面へと導き始める。
アリョーシの真似をして、後方に腕を広げモヤを出現させる。そして、彼女のやった通りにモヤを噴出させる。
うまくいった。
俺の体は重力に抗い、前へと推し進められた。アリョーシのいる枝が目前に迫り俺は喜びを噛み締め、思わず頬を緩める。
しかし、これが油断となったのだろうか。
俺の腕から出ていたモヤが突如として消え失せ、それに応じて推進力もなくなった。
何が起きたのか理解する間もないまま、俺の体は下降を始め、したたかに顎を枝に打ち付ける
痛みは一瞬だったが、激痛は俺を暗闇の中へと引きずり込んでいった。