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十六階のフロアには、主に刑事部門のデスクが往々にして並んでいる。どいつもこいつも喧嘩っ早い連中ばかりで、機嫌の良し悪しに限らず鋭い目をぎらつかせている。
ガブリエルが扉をくぐってきたときにも、彼奴らの鋭い目が一瞬で彼女の方へ向いた。そしてすぐに嘲笑で頬が歪む。
どいつもこいつも面白がってやがる。内心毒づきつつもため息を一つ吐いて、ガブリエルはデスクの間を抜けていく。その間もせせら笑うような声と、無言の視線が彼女に浴びせられる。
足の一つでも引っ掛けてくれれば、存分に殴り飛ばすこともできるのだが。彼女の鬱憤が晴れる機会は、部長室の前に来ても訪れなかった。
吸音材を仕込んである白い壁、そこに重厚感のある黒い扉がつけられている。自警団のビルで珍しい手動式の扉だ。これには部長が特注して作らせたものらしい。
こんなものを作るより自動扉をつけた方が楽だろうに。とは心の中で思うガブリエルだが、郷に入っては郷に従えだ。あまり疑問を持たない方が頭を軽くできる。
ノックを三回した後、中に入る。
小ぎれいな部屋だ。革張りのソファが二つ。背の低いテーブルを挟んでおいてある。壁には時代錯誤な振り子時計がかけられていて、中の振り子がゆらゆらと時を数えている。
壁伝いに資料が納められた木製の棚が並んでいる。どれもこれも古臭い、良く言えばアンティークな家具ばかりだ。
「来たか」
部屋の奥。大きな窓を背にして仕事机に座った男がいる。
レイモンド・マクブライト。ガブリエルの上司であり、刑事部門の長を任されている男だ。年齢は四十の半ば。白髪混じりの茶髪。人を射殺すような灰色の目。顔立ちは無骨でいかにも軍人上がりという言葉がふさわしい。
実際この男は軍から引き抜かれたとの噂があったが、詳細な経歴をガブリエルは知らない。
「失礼します」
そう言ってガブリエルはレイモンドの机の前に立つ。
「呼びだされた理由は、わかっているな」
「さあ。なんのことだかさっぱり」
ガブリエルが肩をすくめて言う。冗談のつもりで言ったが、レイモンドはクスリとも笑わない。それどころかより視線を鋭くさせてガブリエルをにらんだ。
「……今日の午前十時過ぎ。子供と一緒にリーコン・ロジステックへ行ったな」
「ええ。それがなんだと?」
「そこでお前は一人の男を調べていた。自警団の肩書きを利用し、その子供を男の息子であると嘘をついて」
知っているのならわざわざ言うな。ガブリエルが口の中で小さく舌打ちするも、レイモンドは気にせず話を続ける。
「そしてお前は資料の住所を元に男のアパートへと向かった。そうだな」
「ええ。まあ」
返答するのもバカらしくなってきた。どうせレイモンドのことだ。ガブリエルの返答の有無に限らず、話を進めていくに違いない。聞いたのはただ反応を見たいがためだ。
「アパートは突如として爆発。一室丸ごと廃墟となり、お前は子供に担がれながら窮地に一生を得た」
ほら見たことか。せっかくガブリエルが返事をしたにも関わらず、レイモンドは話を続ける。この男が上司でなかったら、つばの一つでも吐きつけてやりたいところだ。
だが腐っても上司。そんなことで自分のクビが飛ばされるようなことになったらたまったものではない。それにこんな苛立ちよりも思考を割くべきものはいくらでもある。
「その情報、どこからきたものなんでしょうか。まるで私を監視していたみたいに、えらく詳細じゃないですか」
単刀直入。聞きたいことの原文そのままガブリエルは口にした。変に遠回りする問い方はガブリエルはあまり好きじゃない。面倒臭いという理由が第一位にあるが、不意をついた直球を時としてどんなものより効果を発揮する。
レイモンドはガブリエルの顔をじっと見た。と思えば背もられに体を預けて深く息を吐く。
「分からん」
「は?」
予想もしていなかった答えにガブリエルの口からは妙な声が漏れ出た。
「そいつは俺に直接電話をかけて、名前も名乗らずにお前たちの行動の仔細を伝えてきた」
「それで、そいつのいうことを信じたと?」
「信じてはいなかったさ。だが、否定する材料もなかった。今日お前は出勤していなかったし、時間帯を見ても不自然さはない。だからお前をここに呼び寄せて反応を見ることにした」
「そうですか」
ガブリエルは肩を落としてため息をひとつつく。全く、反応を伺うためだけに呼ばれたのかと思うとどっと疲れが体にのしかかる。
「お前が嘘をついて資料を閲覧していたことも、アパートの爆発で死にかけたのも十分にわかった。だが、俺が聞きたいのはそういうことじゃない。お前、俺に黙ってリーコンにまで行って何を調べている?」
背もたれに体を預け腕組みをするとレイモンドはそう言ってきた。
「……本来聞きたかったのは、そっちではないんですか?」
「お前のことだ。理由もなしにこんな無茶なことをしでかす真似をするわけがない」
「信頼を置いていただいているようで、光栄です」
「光栄ついでさっさと教えろ」
ガブリエルは恭しく頭を下げてみたが、レイモンドは意に返さず先を促す。
もう少し会話にゆとりを持てと思うが、ガブリエル自身も無駄な話はあまり好きではないし、レイモンドと会話を楽しむつもりもなかった。
「……盗聴の心配は?」
ガブリエルがそう言うとレイモンドが机の下に手を入れる。カチッとボタンを押したような音が聞こえると部屋の電灯が消えた。
部長の部屋はビルの電源とは別の、独立した電力が供給されている。電源のONとOFFは部長の机の下にあるスイッチによって切り替えられる。
外から中の声を拾うことはできず、また中に機械を仕掛けてあろうと電力が供給されない以上ただのガラクタになる。
レイモンドはさらに窓にウィンドシャッターを落とし、ガブリエルに向き直る。
「目も切ってもらえますか?」
ガブリエルの言葉に肩をすくめながら、レイモンドはこめかみをぐいと押し込む。するとレイモンドの瞳から光が消え、黒々とした闇が広がった。
レイモンドは全身を義体化しており、目にはカメラを仕込んでいる。自分の身を守るための予防策ならびに犯人の顔を脳以外に記憶しておくための措置だと言う。
便利な代物だが、今から話す内容を記録されるわけにはいかない。
完全に外部からの目をなくしたことを確認すると、ガブリエルは口を開く。
「ドラゴンが密漁されているということは、部長も知っているでしょう」
「ああ。最近じゃずいぶん聞かなくなったが、裏での人気はまだ高いことは知っている」
「その密漁にリーコン・ロジステックス社が関わっている可能性が出てきたのです」
「ほう……それは興味深いな。確かにあそこはドラゴンに関する知識は他の追随を許していない。いわばドラゴン研究の権威だ。そんな企業がドラゴンお密漁に加担していれば、いとも簡単に捕獲することは可能だろう。だが、どうしてその可能性があると思った。何かきっかけでもあったのか?」
「それは……部長にはまだ話すわけにはいきません」
「なぜだ」
「部長はかの企業と接点を持っているはず。いくら部長とはいえ、もしかすればリーコン社に情報を明け渡すということもありえます。嫌疑だけならいざ知らず、ここから先は部長が信用足り得るかという話になります」
「……なるほど。なかなかの混みいった事案のようだな」
レイモンドはそう言うと、背広からスマホを取り出す。何をするつもりなのかとガブリエルは様子を見る。
彼は床にスマホを転がすと内ポケットから拳銃を取り出して迷うことなく引き金を引いた。
発砲音が室内に轟く。薬莢が吐き出され、銃弾がスマホの画面を撃ち抜く。粉々になった画面の破片が小さく床に散らばり、スマホの画面には綺麗に穴が開いた。
「これで俺とリーコン・ロジステックスとの繋がりは消えた。話せ」
銃を背広のうちにしまい、レイモンドは腕を組む。
ここまでされては話さないわけにもいかないだろう。一度短く息を吐き、ガブリエルの躊躇は消えこれまでのあらましを、特にリュカとその母親であるドラゴンについてのことをレイモンドに伝えた。