17..
「まいどありがとうございました」
その言葉が俺たちの背中を追ってくる。
店を出た後、食後の運動がてら、通りを散策することになった。アマンダの後を追いながら、通りに並ぶ店を眺めていく。
「何かあった?随分と神妙な顔をしているけど」
アマンダは肩越しに話しかけてくる。
「いや、別に……」
「あっ。もしかしてさっきの話、気にしてたりして?」
くるりと振り返りながら、アマンダが言う。
この時何と言い返せばいいか。はいと答えればいいのか、それとも別にそうじゃない。と言ってみればいいのか。
結局のところ俺はただ押し黙ったままで、俺が何かを言う前にアマンダの方がしゃべりだした。
「あなたが気にしたところで、ドラゴンが増えるわけでもないわよ。少しでもドラゴンに同情するのなら、リーコンに募金でもした方が有意義よ。感受性豊かなのはいいけど、感じるだけじゃ何も変わらないわ」
ポンポンと俺の頭を叩きながら、アマンダは言う。
「……たしかに、そうですね」
「そうよ。自分で何ができるのか。明日リーコンの担当にでも聞いたらいいわ。あんまり暗い顔をしていても、つまらないわよ」
アマンダの手が俺の頭からほほへと移る。そして両手で包み込むと、俺のほほをぐりぐりとさする。
「ちょ、い、痛いですよ」
俺は両手でアマンダの手を払いのける。
「それぐらいの元気があれば、大丈夫ね」
アマンダはいたずらっぽく笑うと、再び前を向いて歩き始める。
俺は痛むほほをさすりながら、後を追う。
それからは路地を歩いてもう一本奥の通りを進んでいく。
飲食店は相変わらず多かったが、雑貨店や刃物を扱う店など、こちらの通りはどこか商店街のようだった。
近所にすんでいる主婦らしき女性が買い物をしていたり、犬をつれた老人が馴染みの店なのか、店主のアンドロイドと談笑を楽しんでいる。肉屋からは義手をつけた男が豪快に肉を裁断する様子が見えた。
平日の昼間とあって、人通りは先ほどの通りよりは少ない。
道路から入ってきたトラックが目の前で止まる。
運転席から男性が一人降りてきて、コンテナを開ける。
そこからダンボールを出して店の中へ運んでいく。その店は酒と書かれた昇りを掲げていた。おそらくはダンボールは酒で缶ビールか何かでも入っているんだろう。
「ど、泥棒!」
何となくその作業を目で追っていると、トラックの向こう側から男性の悲鳴が聞こえてきた。
俺がいくよりも先に、アマンダがトラックの陰から飛び出していく。
トラックで死角になっていた通りには、サラリーマンの男性だ。男性が指差す方向には、カバンを持ったまま急いで走る男の姿があった。
ひったくりだ。なんて他人事のように考えたが、それも一瞬のことだ。
隣に立つアマンダが、当たり前のように銃を構えたのが見えて、とっさにその手をおろさせた。
「何をするの」
アマンダは笑いながら言った。けれど、その声には優しさなんかこもってなく、疑問と侮蔑がないまぜになった声になった。たぶん、ドスの利いた声っていうのはこういう声のことを言うんだろう。
「まさか、殺すんですか?」
「わざわざ生かす必要があるの?犯罪者よ?」
「だとしても、そんな簡単に殺そうとなんてしないでください」
「おかしなことを言うのね。この子は」
アマンダは笑みを崩すことなく、額に青筋を浮かべながら俺に言う。
これ以上アマンダにたてつけば、自分のどたまに風穴が開きそうだった。
だけど、それでも止めないわけにはいかない。目の前で誰かが誰かを殺すとこなんて、見たくなかったから。
アマンダと俺がもめている最中に、ひったくり犯は角を曲がって姿が見えなくなる。
「……リュカくんのせいで見失ったじゃない」
肩の力をぬきつつ、アマンダは思い切りため息をもらした。
「リュカくんはここで待ってなさい。いい、絶対動くんじゃないわよ」
アマンダは俺を睨みつけると、ひったくり犯が消えた方へ走っていく。
彼女の後ろ姿を目で追って、何となく人心地がついた。
肝っ玉が縮み上がったし、女性が怒った瞬間というのはいつの世も恐ろしいものだ。
でも、アマンダの言葉に従うつもりはなかった。ここでひったくりの犯人を殺さなくとも、俺の見えないところで殺したんでは止めた意味がない。
しかし、アマンダが先に行かせてしまった以上、その可能性は格段に上がってしまった。
どうしようかと。視線を周りに向けていた時、ふと、路地の先にあった非常階段が目に入った。
何気なく階段の先を見ると、最上階があって、その横には1階分背の低い建物の屋上があった。
「……これだ」
思わず声が出てしまった。けれど、恥ずかしさを感じるひまなく、俺の足は階段へと向かった。
赤錆の浮いた古びた階段だった。
この字型で上に続いている。
一歩段差に足をかければ、キィと甲高い鉄の音が耳に入る。
音なんか気にせず、階段を駆け上がる。そして、最上段に来た時、欄干に足をかけて隣の屋上に乗り移る。
屋上には人影はなく、洗濯ものや電線が張り巡らされてるくらいだ。
俺はひったくり犯が消えた方向へ屋根伝いに走った。
コンクリの平たい屋根が多いおかげで走りやすい。
多少の隙間なら問題なく飛び越えられたし、建と建物の間がひらけていても、腕にモヤをまとわせて難なく飛び越えていく。
そっちに向かうと、女性の悲鳴や男のものと思われる「どけっ!」なんて声も聞こえてくる。
近づけば近づくほど、声とざわめきは大きくなる。そして、銃声も。
俺は屋上を走りながら、下をのぞく。
ざわめきは悲鳴に変わり、人々が通りを散り散りに走り去っていく。
その中で二人の男女が追いかけっこを繰り広げていた。
男はひったくり犯。女はアマンダだ。アマンダは走りながらもすきあらば、銃を構えて男に照準を合わせる。
男はどうにかアマンダの銃から逃れるべく、人のかげや物かげに隠れながら、ひたすら走り続ける。
弾丸が男を撃ち抜くのは時間の問題だ。
俺は走り、男の横に屋上から近寄る。そして、タイミングを合わせて屋上から飛んだ。
重力がはたらき、俺の体は男めがけて落ちていく。
子供だろうと何十キロとある塊が上から落ちてくるんだ。普通の人間が耐えられるものじゃない。
現にこのひったくりの男は、背中に落ちてきた俺を受け止めることができず、たたらを踏んで前のめりに倒れていく。
男の後頭部に腕をあて、俺は前に体重をかける。
万が一に男が耐えるなんてことがないように、倒れるように力を加えていく。
衝撃にそなえて体をひきしめる。
男の体が地面に設置した途端、数センチ程度地面をすったあと、男の動きは止まった。
一応の確認にと、俺は男の口元に手を当ててみる。
幸い息はあるようだ。すり傷を手足やひたいにつくったようだけれど、命に別状はなさそうだ。
安心したのもつかのま、俺の後ろから近寄ってくる足音が聞こえてきた。
「よくやったわね」
アマンダの声だ。俺が顔を向けようとすると、背後から銃が伸びてきた。
「やめてくださいよ。捕まえたんですから。それでいいでしょう」
手で銃を降ろさせて、アマンダの顔を見る。
彼女は納得はできていない様子だったけれど、大げさなため息を一つついて、銃をしまってくれた。
「わかった。君の熱意に負けたわ」
そう言って、アマンダはポケットからひもの手錠を取り出して、男の手首につける。
どうにか殺させずに済んだことで、ようやく息をつけた。
ただ、俺の手首にまでひもの手錠がつけられるとは思わなかったけど。
「あの……、どうして俺にまで手錠をかけているんですか?」
「あら、お仕事の邪魔したでしょ?当然じゃない」
笑いながらでもわかる。アマンダはすごく怒ってる。
ひたいに浮かべたあおすじは先ほどにくらべてより、くっきりと浮かんでいる。
これ以上何かをいったら、本当俺の頭が飛びかねない。そんな迫力があった。
「は、はははは……」
乾いた笑いが俺の口からもれでた。出そうと思って出したわけでもなく、自然と出てしまう。
運良く場をなごませることにつながればよかったが、アマンダの恐怖の笑みがきえることはなかった。