13..
朝食を摂り終えて店を出ると、ガブリエルは車をアパートの正面へと回してきた。
そのまま職場へといくんだろうなと思ったが、どういうわけか車は正面に止まったまま動かない。
忘れ物かと様子を見ていると、運転席側の窓が開いた。
「私がいない間に何かあっても困る。乗れ」
がりゃと後部座席の方から鍵の外れる音がした。
「は、はい」
俺はそう返事をしながら、後部座席のドアを開けて車に乗り込む。
正直ガブリエルがそう言ってくれて助かった。こんな見知らぬ場所で一人ぼっちにされたらどうしようかと思っていたから。アパートの中に引きこもって無駄にびくびくと過ごさなくていいと思ったら、こんなに嬉しい提案もない。
俺が乗り込んだのを見計らってガブリエルは車を走らせる。
道は昨日と同じ。下道を走り高速に乗り換える。そこからしばらく走ってエデンの都市部を行き、自警団の本部へと向かう。
しかし、道中の車内では全くと言っていいほど言葉はなかった。
車に乗り込む前まではガブリエルともそれなりに会話をしていたつもりだが、それが車に乗ってからぷっつりと途絶える。そこまで親密な仲にもなっていたいからしょうがないのかもしれないけど、声の代わりに走行音の大きさが目立つ。
それを気にかけてくれたのかは分からないけど、信号待ちをきっかけにして、ガブリエルの口から自警団について簡単な説明が始まった。
ガブリエルが務めている自警団は、この世界で言うところの警察と裁判所の役目をもった機関のようだ。
殺人や誘拐などの事件を担当する刑事部。
裁判を担当する司法部。
そのほか少年犯罪、悪質な商法等を取り締まる生活保安部。
交通違反や運転による過失などを取り締まる交通部などなど。多くの部署を抱えている。
その中で、ガブリエルは刑事部に配属されていて、日夜犯罪者たちと戦っているらしい。全く頼もしい人と知り合えた者だ。
「ゼレカさんも同じ部署なんですか?」
「そうだ。言っておくが、あいつは部署の中でも変わり種だ。あいつみたいな奴ばっかりいるとは思わないでくれ」
ガブリエルはにやりと頬をゆがめながらいった。
そしてガブリエルの手がラジオのノブに伸びる。
都市の近未来さにくらべて、車のカーラジオは古びているように見える。
どこかで見た覚えがあったけど、あれだ。昔親父がのってた軽トラのカーラジオにそっくりだ。
周波数を合わせていくと、砂嵐のような音が、はっきりとした音にかわっていく。
『では、今日の天気です』
快活な男性の声がきこえてくる。どうやら天気予報のチャンネルに合わさったらしい。
『エデン市内は晴れ。絶好の洗濯日和となるでしょう。ですが、夕方から夜にかけてにわか雨が降りそうです。折りたたみの傘を持っていくといいでしょう』
朗々と、それにはきはきとした口調で男の人が情報を伝えていく。
『なお、今日は花粉に加え、風に乗って黄砂がエデンへ運び込まれてきそうです。アンドロイドの方、義体化されている方はフィルター機能を有効にしておくとよいでしょう』
日本で生きていた頃には聞くはずのない言葉が、ラジオの中から聞こえてくる。
大家さんの姿といい、男性の言葉といい。この世界の技術はなかなかに発展しているようだ。
SFみたいだけど、ちょっと離れてしまえばドラゴンが普通に飛んでいたり。ほんと、面白い世界だ。
気象情報のあとは、ロックのサウンドが車内に鳴りひびいた。
ギターがかき鳴らされ、ドラムの振動がラジオからつたわってくる。
朝からハードな曲が流れていたが、ガブリエルはこういうのが好きみたいで、ハンドルにおいた手でリズムをとっている。
俺も昔はこういう曲にはまっていたこともあって、気持ちはわかった。
ドラムの鼓動に耳を傾けながら、車は高速を通ってエデンのビル群の中をひた走る。自警団の社屋がみえてくると、減速させて駐車場へと車を止める。
「ほら、降りろ」
サイドブレーキを引きながらガブリエルが言った。
俺はすぐに車を降りる。すぐ後ガブリエルも降りてきて、二人揃ってビルの中へ入っていく。
昨日と同じく。エレベーターに乗って16階へと向かう。そして昨日と同じ待合室へと俺を連れて行った。
「ここで待ってな。今、係のやつを連れて来るから」
そう言うと、早々にガブリエルは俺を残して部屋を出て言ってしまう。
二回目ともなればもうなれたもんだ。
部屋のウォーターサーバーから水を一杯くむと、ソファに座ってくつろぐ。
BGMは昨日はジャズ調だったが、今日は調子を変えてボサノバ的な音楽が部屋を覆っている。
軽快なリズムは朝にピッタリで、心地の良い音色に少しの緊張もほぐれていく。
部屋に入ってから数分がたっただろうか、音楽に耳を傾いていると自動扉の開閉音が聞こえてきた。
そっちに目を向けてみると、一人の女性が扉の外側に立っている
袖をまくった黒いジャケットに白いシャツ。それに青のジーンズ。
肌は白く、髪色はブロンドでパーマをあてた髪は首のあたりまでのびている。
うすい茶色というべきなのか、茶色に青を混ぜたような、綺麗な色の目が俺を見つめていた。
「君が、リュカくん?」
中性的な声というのか。落ち着いた声で女性が話しかけてきた。
「あ、はい」
少し反応が遅れたけど、女性は別に気にした様子もなく、俺の方へ歩いてくる。
「アマンダ・ウィンストン。ガブリエルからあなたの面倒を見るように頼まれているわ。よろしく」
アマンダはそういうと、俺に手を差し伸べて来る。俺はソファから立ち上がって、その手を握りかえす。
「よろしくお願いします」
「ええ。いきなりだけど、ちょっと、これを見てくれる?」
アマンダは手にもったボードを俺に見せてくる。
ボードではない、タブレットだ。画面には何やら文字の羅列がならんでいた。
「どう、読める?」
画面をにらむ俺に、アマンダが声をかけてくる。
「……読めません。なんて書いてあるんですか」
「『ある男児の1日』っていう本よ。心理学系の本だとおもったけど、私もあんまり覚えてないのよね。ずいぶん昔の本だし。まぁ、実際内容なんて関係ないんだけどね。ちょっと、待ってて」
アマンダはタブレットを俺から取り上げると、俺に背中を向けて部屋を出ていった。
なんだか慌ただしい人だな。と思っているとすぐにアマンダは戻ってきた。手には数冊の本を抱え持ち、テーブルの上に次々に並べていく。
本の幅はうすく、数ページほどあるくらい。開いてみれば、でかい絵に何やら文字がかかれている。
その本とは別に、文字がならんだプラスチックの板が一枚あった。
「お勉強しましょうか。自分の名前くらい書けるようにならなくちゃ、あとあと困るだろうから」
アマンダは向かいのソファに座ると、紙とペンをテーブルにおいて俺にさしだしてきた。
「えっ? ここで」
「そう。ここで。君も文字の読み書きくらい出来た方が便利でしょう?」
「そうかもしれないですけど、でも、良いんですか? その、お仕事の邪魔になるんじゃ……」
「安心して、これも仕事のうちだから。文字の読み書きができない子供の面倒をみるのも私たちの立派な務めよ。まあ喋れない読めないでは事情を聴くのも一苦労だからってんでやり始めたことだけどね。全く、こっちは保母さんやるために組織に入ったってわけじゃないんでけどね」
「へぇ……、大変なんですね」
「そう、大変なのよ。いくら発展していても、お金のない子は満足に教育を受けられないし、行政手続きだって進まない。もうちょっと教育の方にも金を回せば私たちがこんな面倒なことしなくても良いのにね。……わかったら、ほら、ぼおっとしてないで、書いて覚える」
「は、はい」
言われるがまま、紙とペンをにぎる。
「50音表がそこにあるから、それを全部書き写していきなさい。その後で、本に移るから」
アマンダからそういいながら、あの文字のプラ板を指さす。
俺はペンのふたをはずして、いざ紙に文字の羅列を書き写していった。