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10..

 ガブリエルの作る料理は早い。水を温めて沸騰すれば湯をカップの中に注ぐ。たったこれだけだ。3分経てばほかほかに茹でられた麺が湯の中で解け、黄金色の意図を水面に浮かべている。


 人間の叡智が作り出した、最上の食物。カップ麺。

 どんな料理下手が作ろうとも変わらないその味と食感は、誰しも口にしたことがあるだろう。


 しかし、このドラゴンがいるような世界で、まさかカップ麺が食えるとは思わなかった。


 もしかすればとラベル欄を見てみたが、流石に自分の知る企業の名は入っていない。いやもし入っていたとしたら、あのメーカーの商売の手の広さに感心したかもしれない。


 蓋には企業の名称らしきものが小さく書かれ、牛がエプロンをつけてフォークとナイフを持ったキャラクターがにこりと笑っている。


 「ほら、食べな」


 ガブリエルはそう言って、カップ麺の中にフォークを入れる。


 掬い上げられたフォークの先には麺が引っかかる。湯に溶けたスープと火薬が絡み合い、湯気に乗ってその香ばしい匂いを俺の鼻へと流れてくる。


 なんて、なんて抗いたい匂いだ。食欲は大いに刺激され、これまでの運動の疲れと慣れない場所での気疲れで俺の腹は限界だ。


 ガブリエルの口へと麺が運ばれ、モゴモゴと口を動かして食べる。まだできたばかりで熱々の面だ。時折ホフホフと口の中で冷ましながら、噛み、そして噛む。喉を通る魅惑の音色に、いよいよ俺の我慢も限界を超える。


 「……いただきます」


 静かに手を合わせてフォークを握る。


 フォークで麺を絡め取ると、息を吹きかけて冷ます。ガブリエルの食べっぷりを見て念入りにさます。


 生前猫舌だった俺の舌では、きっとガブリエル以上に熱さが堪える。もちろんこの体は俺のものではないことはわかっていたが、生前の癖は容易に抜けることはない。


 それにもしかすればこの体でも猫舌は治っていないかもしれないのだ。できることならじっくりと冷ました方がいい。熱さに負けて麺を吹き出してしまっては格好も良くないし、何よりガブリエルに失礼だ。


 ひとしきり冷ましたあと、いよいよ口に麺を入れ、ずるずるとすすって食べる。


 ああ、懐かしい。麺を口に入れた瞬間、ジャンクばかりを食べていた学生時代を思い出す。


 さっぱりとした塩味。

 加薬に含まれていたキャベツやトウモロコシの甘み。それが塩気の効いたスープにあい、もちもちとした麺とは違った食感に包まれる。ゆっくりと、そしてじっくりと噛んでいくと口の中で混ざり、絡み、そしてまた次の一口へと急がせる。美味い。


 最高に健康に悪い。それは分かっている。分かっているが、健康に悪いものほど上手い原理はどこの世界にも存在する。自分が死んで、体を変えてに食べるカップ麺は格別だった。


 何だこの形容しがたい旨さは。特に何か特別な物を入れている訳でもないのに、どういうわけか旨い。


 ずるずると麺をすすり、スープを飲む。うん、やっぱり旨い。

 気づけばカップの縁にこびりついたキャベツを残して、カップ麺を完食していた。


 旨いものは消えるのがはやいが、これは早すぎだ。あっという間すぎだ。

 名残惜しくカップ内側の壁面についた小さな麺をちまちまと食べる。


 「貧乏くさいからやめな」


 これを見ていたガブリエルから叱咤の声がかかる。何を言うか。これでもフォークという文明の利器を使っているだけ行儀がいいじゃないか。ちょっと前までは手づかみで肉を食っていたんだぞ。


 しかし郷に行っては郷に従え。ということわざがある。

 怒られてしまっては仕方ないと、フォークをカップの中に入れて俺は手を合わせる。


 「ごちそうさまでした」


 「なぁ、さっきから手を合わせて何をやってるんだ」


 俺の仕草を不思議に思ったのか。ガブリエルがそんなことを聞いてくる。


 「何ていうのか。食事への感謝を込めた挨拶、的なやつです」


 「へぇ。そんなのがあるのか、殊勝なことじゃないか。親御さんに教わったのか?」


 「……ええ、まぁ」


 本当は自分が勝手にやり始めたことなのだが、別に言うほどのことでもない。


 だから、この際アリョーシから習ったということにしておこう。


 「ゴミは袋ん中。フォークは流しに置いておきな」


 「わかりました」


 ソファから立ち上がり、ガブリエルに言われた通り流しにフォークを、ゴミ袋にカップを捨てる。


 「今日はもう疲れたろ。風呂は沸いてるから入ってこい」


 「えっ。ガブリエルさんが先に入ったらいいじゃないですか。俺、待ってますよ」


 「リュカ坊。自分の匂いに気づいてるか?なかなかの匂いだぞ」


 「匂い?」


 そんなに匂うだろうか。

 腕に鼻を当てて匂いを嗅いでみるけど、いかんせん自分ではそんなに感じない。


 「そんな臭いですか?」


 「ああ、臭い。獣臭さと泥臭さが混じって臭いったらありゃしない。早いとこそのボロ布を抜いで体を綺麗にしてもらいたいね」


 「……そんなにですか」


 「自分で分からないのが不思議なくらいだよ。ほら、分かったら、とっとと行く」


 「……はい」


 山の中で、獣の肉を食べ、ドラゴンとともに寝る。

 時々水浴びに川に飛び込んではいたが、それだけじゃ匂いは消えないらしい。


 原因も納得したし、臭いということも納得した。それでも面と向かって言われれば、いくら何でも傷つく。


 「着替えは後で持って行ってやる。タオルは引き出しの中にあるから、それを使え」


 「はーい」 


 少しばかりの失意と一刻も早くこの臭いを解決すべく、俺はシャワーへと向かった。



                      『・』 



 部屋に一人きりになったガブリエルは、リュカの姿が風呂場に消えた頃合いを見計らって、スマートフォンを開く。


 コールアイコンから電話帳を呼び出すと、何度もかけ慣れた職場へと電話をかける。


 「……ああ、私だ。頼んでおいた件はどうなってる?」


 電話口に出たのは、ゼレカだ。


 ガブリエルはリュカの母親をさらった連中、特に顔に傷のある傭兵を探すように頼んでいた。

 その進捗を確かめるためにこうして電話をかけてみるが、ゼレカからは思ったような回答は得られなかった。


 月初めから現在に至るまでの範囲内だけでも、エデンに入国した特徴の似通った傭兵はおよそ1000人。

 この中からさらに絞り込むとなれば容易なことじゃない。


 「もう少し詳しい人相がわかれば調査も捗るのだけれど」とゼレカ。


 「ああ、後でリュカ坊に聞いてみる。お前はそのまま調査を続けてくれ。何かわかれば、連絡をよこせ」


 じゃあなとガブリエルは通話を切ろうとする。


 「あの子は、今どうしている」


 しかし、終了のボタンへ指を伸ばしたところで、ゼレカの声が聞こえてきた。


 「今風呂に入ってる。なんだ、あの子がどうかしたのか」


 「いえ、別に。貴女があの子を襲っているんじゃないかと」


 「そんな飢えてねぇよ。何言ってんだ」


 「最近彼氏に『男と付き合ってるみたいだ』なんて言われて、傷ついているようだったから」


 「口の利き方には気をつけろ。そのことはもう二度と言うんじゃねぇ。あとな、彼氏じゃねぇ。あいつとはもう別れたよ」


 「うん、知ってる」


 「知っててわざわざ言ったのか」


 「ええ。慰めるつもりで」


 「慰めにもなってねぇよ。バカ」


 「そう。でも、もしかしたら寂しさと人肌恋しさから少年と事に及ぶんじゃないかと心配……」


 「切るからな」


 今度はもう迷わずボタンを押して会話を終了させた。


 ガブリエルはスマートフォンをテーブルに投げて、ソファに背もたれに体を預ける。


 ゼレカのせいで余計な体力を使った。「フゥ……」とため息を漏らして天井を仰ぐ。


 「……着替え、取ってきてやらねぇと」


 ガブリエルはすっと立ち上がると、服を取りに部屋へと向かう。


 人相とか、これから使うリュカの服とか、色々とやらないといけない。


 いけないが、ひとまずはすっぽんぽんでシャワーから上がるリュカに服を与えることからだ。

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