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ガブリエルは俺を引きずったままエレベーターに乗り込み、一階へと向かう。
扉が閉まり、ぐんぐんと俺たちを乗せた鉄の箱は下降していく。
エレベーターの窓からその景色を展望できたけど、同じ高さにあったビルがみるみると巨大になって、気づけば見上げなければ全体を見えなくなっていく。
チン、と到着をつげる音がなり扉が開く。エレベーターを降りて自動扉から外へ出ると、その先には広い駐車場があった。
曲線を描いた丸みのあるフォルムの車から、ジープ系の角張ったデザインの車。スポーツカーのようなやたら背の低い車など。色とりどりで種類の違う車がずらりと並んでいる。
ガブリエルの足は血のように赤黒いスポーツカーに向かう。ポケットから鍵を取り出して開閉のボタンを押すと、車のライトが点滅する。あれがガブリエルの車のようだ。
彼女は俺を後部座席に押し込むと、運転席に乗り込んだ。
「シートベルトはしっかりつけな」
ガブリエルが座席越しに俺に言ってきた。俺は彼女のいう通り、急いでシートベルトをつける。
「いい子だ」
ニヤリと頬を緩めると、ガブリエルはサイドブレーキを下ろしギアを一速に入れる。慣れた脚さばきでクラッチをつなぎ、車は緩やかに駐車場を後にする。
両脇からビルが車を見下ろし、道々に続く街灯が夜の暗がりを照らし出す。
歩道を歩く人々が車窓の端から端へと流れて行く。
信号に捕まって止まれば、脇を自転車やバイクが走り抜けて行く。
平和な都会の街並み。なんとも懐かしい気分を味わうが、ここが日本でないことはすでにわかっている。空を見上げれば、ヘリの中で似た3D映像がビルから飛び出して、夜空をバックに輝いている。
まるで巨大なテーマパークに迷い込んだようだ。俺は一瞬何もかもを忘れて、窓に映る街並みに見入っていた。それこそ本当に子供に戻ったみたいに、見たこともない景色に目を輝かせていた。
車は坂を登り、三車線ある広い道路へと入り込む。
そこはおそらく高速道路なんだろう。さっきまで道路を走っていた車とは明らかに速度の違いを感じられる。
ギアを替えてガブリエルの車はさらに速度をます。そして、高速で走る車の群れに合流をする。
流れる景色は一層早くなっていく。それに連れて景色も平坦になっていき、平凡な街並みへ変わっていく。
店名の書かれた看板も広告映像も。車窓の端から端へとあっという間に流れ、気づけば遥か後方へと消えていった。
俺は名残惜しく輝く都会を追いかけて背後を見ていたが、車酔いに苛まれて最後には前を向いてうなだれる羽目になった。
高速を三十分ほど走ると、高速を降り再び下道を走り出す。
それから十分ほど走っただろうか。ガブリエルの車は三階建ての建物の前に止まった。
レンガ建ての少し古びた建物だ。ところどころレンガの表面が剥げて白くなり、屋上からは壁面に沿って蔦が伸びている。
一階には店が入っているようで、ガラス窓の表面には文字が入っている。だが読めない。ショウウィンドウに飾られた食品サンプルで、どうにか喫茶店もしくは飲食店だろうとはわかったが、肝心の店名まではわからなかった。
店に続く階段には花を植えた鉢が飾られている。ガーベラだ。店主の趣味なのだろうけど、綺麗な花が無機質な階段に彩りを加えていた。
「車を停めてくる。先に降りてろ」
ガブリエルはそう言って俺を下ろすと、アクセルをふかして走り建物の右手にある駐車場へ入っていく。
数分も立たないうちにガブリエルが戻ってきて、俺を連れて建物の中へ入っていく。
入ってすぐに細い廊下が奥へと続いていて、その先には二階へと上がる階段がある。
天井から下がる照明に照らされて、思ったよりも建物の中は明るい。深緑の壁紙を横目にしながら、ガブリエルは迷うことなく階段を登っていく。
そして二階へ上がってすぐの扉の前に来ると、ポケットから鍵を取り出して鍵穴に差し込んだ。
くるりと右へ回転させるとかちゃりと音がなって留め金が外れる。そして鍵を抜いてガブリエルはドアを開いた。
「さぁ、入れ」
その言葉に甘えて、俺は恐る恐る部屋の中に入る。
「お邪魔しまーす……」
他人の部屋に入るのは、どういうわけか気を使ってしまう。それは姿形が変わっても変わらないことだろう。
日本人とか関係なく知らない人の部屋、それも異性の部屋に入る時は気を使うし、緊張もする。
部屋に入れば廊下が伸びて、奥には広いリビングがあった。
廊下の左側には扉のない入り口があって、覗いてみるとそこはキッチンだった。
ダイニングテーブルの上には一升瓶や缶が散乱している。
つんと香ってくるアルコールの臭いから、おそらくは中には酒が入っていたんだろう。
昨日の夜にでも飲み明かしたのかもしれない。しかし、缶と瓶は一本や二本どころではなく、それぞれ五、六本づつが雑に転がっている。
「あの、これ」
俺はキッチンの有様を指差して、ガブリエルを見る。
「ああ、昨日の残骸だ。いま片つけるから、気にしないでくれ」
ガブリエルは俺の脇を抜けて、キッチンに入っていく。
すっと吐かれた言葉から、あの量は昨日の間にガブリエルの体内に入った量のようだ。
大酒飲み、酒豪。
いくつもの酒飲みたちの称号が頭の中に踊っているが、それはきっと彼女のような人間のことを言うんだろう。
下戸だった俺があんな量を飲んだらきっと卒倒するに違いない。
ガブリエルは戸棚からビニール袋を引っ張り出して、乱暴に缶と瓶を中に突っ込んでいく。
「そっちにいってくつろいでな。片付けを見てたってつまらないだろ」
しっしと手で追い出され、俺ガブリエルに言われるがまま、リビングへとやってきた。
正面には外の通りを一望できる窓。右奥には横長のソファ。左側にはキッチンを背にして置かれた薄型テレビに一人用のソファが二つ。
また、壁を背にして暖炉が備え付けられ、その上にはガブリエルを写した写真が並んでいる。
「ソファにでも適当に座ってな。テレビはつけても構わないから」
キッチンからガブリエルの声が聞こえてくる。そう言われれば立っていても仕方がない。
手近な一人用のソファに腰掛ける。けれど、やることもないし、テレビに歩みよって電源を入れる。
すると目に飛び込んできたのは青々とした画面。故障かなと思ったが、どうやらCMだったらしい。
『リーコン・ロジステックは貴方の未来を支えます』
女性の声でアナウンスされた社名とともに、企業ロゴらしい白い鳥のマークが写しだされる。
社名ももちろん出されたんだが、読めないんじゃ気にかける必要はない。
CMが明ければ、ニュース番組が始まった。
男女二人キャスターが同じ机に肩を並べている。
キャスター二人は映像とともに淡々と今日あった出来事を述べていく。
交通事故、電力会社の不祥事。芸能人のスキャンダル等々。
生前に何度も聞いてきた似たようなラインナップに、思わず懐かしさを覚えた。
特に興味をそそられず、チャンネルを変えようかと思った時、リモコンを掴む俺の手が止まった。
『エデンの特定保護動物に指定されているドラゴンですが、生息数の減少に歯止めがかかっておりません。環境保全省の調査によると、過去1000頭あまりいたドラゴンは、現在500頭にまで落ち込んでいます。これには密猟者による狩猟および昨今の環境破壊が大きな原因とされています』
キャスターの口から吐き出された「ドラゴン」という言葉。真面目な番組とは思えない、あまりに場違いな単語に俺は思わずキャスターの声に耳を傾けてしまった。