2.
カレンダーもなければ時計もない。したがって、今が一体何月の何日で、何時何分、地球が一体何度回ったかなんて、一切わからない。現代社会に慣れきったしまった俺にとっては、全くもって度し難いほどの違和感だった。
ただ、それも三日もすれば徐々に慣れてきた。ドラゴンがそばにいても、俺の体が赤ん坊のそれになっていても、如何にかこうにか納得しつつある。いや、正直に言えば納得もしていないが、そう思い込んだ方が楽だと考えているだけかもしれない。
ドラゴンと俺との関係性は謎のままだ。割れた卵もないし、俺とドラゴンじゃ見た目も違う。とても血の繋がっている様子はないし、かといって除け者にするような雰囲気はない。
「おはよう」
朝の挨拶。といってもこれが伝わっているかどうかは定かじゃない。ドラゴンはやおらに顔をこっちに向けて、ニヤリと口を歪める。そしてずいと顔を近づけて、舌で俺の顔を舐める。これが朝のやりとり。そして唾液まみれの顔を、湧き水で洗い流すまでがルーティンになりつつあった。
水面に映った自分の顔。染色したような艶のある緑色の髪。カラコンを入れたみたいな、金色の瞳。それにテレビ雑誌やファッション誌の表紙を飾っていそうな、整った顔立ち。どこをどうみてもそこにあるのは、典型的日本人の俺とは全く違う顔だった。
しかし、それは俺の顔だった。
夢でもみているような劇的な変化だったが、いくらつねっても叩いても、この現実が変わることはない。どうやって、そしてなぜ。なんていう疑問は当然あったが、今のこの状況をひっくり返せるわけもないと、最近じゃめっきり考えることもなくなっていた。
ドラゴンが唸る。それは朝食の合図だ。そして、もっとも嫌な時間だった。
振り返ってみると、岩の上にでんと置かれた肉の塊がある。朝日に照らされてテラテラと艶やかに輝くそれは、今しがたドラゴンが取ってきたばかりのイノシシだったものだ。
さあ、食え。そう言わんばかりに、ドラゴンが鼻息をもらす
ため息がでるが、今はこれしか食べるものがない。それに、幸か不幸か今のこの体はなま肉を食っても大丈夫なようで。今のところ腹を下したり、病気になっている気配はなかった。
「……勢いだ、勢いが肝心。一気に行け、迷ったら一瞬で止まるぞ」
呪文のように自分に言い聞かせて、いざ、肉にかぶりつく。獣臭さと血の匂いが、むわっと喉を通して花を抜けていく。思わず吐き出しそうになるのをぐっとこらえ、数回噛んだところで飲み込む。これで一口。だが、大きな肉塊の、ほんの一部が削られただけだ。
「……はぁ」
ため息が出る。胃液と血と獣の匂いが混じった強烈な匂いが、余計に吐き気をこみ上げさせる。ここにホテルのシェフや、ファミレスのスタッフがいてくれたら、きっと旨く仕上げてくれるに違いない。
無い物ねだりをしたって仕方がない。無心だ、無心。ただ肉を食うことだけを考えろ。味だの食感だの匂いだのは、全部無視しろ。
自分に言い聞かせて、肉への戦いを挑む。けれど、それが無謀な挑戦で結局は敗北を喫するのは、数分と経たないうちに明らかになった。