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ヘリはエデンのビル群を見下ろしながら、あるビルの上空でスピードを落とし、滞空を始める。
そして運転手の操作によってゆっくりと高度を下げて屋上部の黄色い円の中へ降りていく。
ヘリのプロペラが屋上の埃を巻き上げながら、胴体についたランディングスキッドが接地した。思ったよりも接地の衝撃がなかったのは、運転手の巧みな技術の賜物だろう。いや、お見事。
「到着だ。降りてくれ」
運転手がヘルメットを取りながら、後部座席にいる俺たちに降りるように言ってくる。
ガブリエルはさっさとベルトを外すと、扉を開け眠っている女性の肩を揺らす
うんうん、と夢見でうなされているようだったけど、目が覚めたとしても顔色の悪さは治らなかった。やはり乗り物酔いは絶賛進行中のようだ。起きた拍子に今度こそこみ上げてきたのだろう。ベルトを外せば一目散に外に飛び降り、エチケット袋に顔を突っ込んで口から汚物の虹を吐き出した。
音を聞いているだけ嫌になりそうだ。ガブリエルはそんな彼女に歩み寄りながら背中をさすっている。のだが、その顔は険しくなっていて、手とは裏腹に体は遠ざかろうとのけぞらせている。ご苦労様だ。
俺もヘリから降りて硬い屋上のコンクリを踏む。そしてふんと背筋を伸ばしてみれば、長時間のフライトがようやく終わったのだと心のそこから実感できた。
もう一機のヘリも空から降りてきた。しかしこっちの運転手じょどの腕はなかったらしい、ガコン、と派手に音を立てて着地をした。さぞ揺れがひどかっただろうと思ったが、乗っていた二人は特に気にした様子はない。ヘリのドアを開けて淡々と犯人たちを運んでいく。
何とはなしにその様子を眺めていると、彼らとは入れ違いに二人の女性がこっちに歩いてくる。服装はガブリエルと同じだから、きっとここの職員か何かだろう。
彼女たちは今しがたゲロっていた女性に歩み寄ると、ガブリエルに変わって背中をさする。そして二人で女性をはさんで優しく言葉をかけながら、ビルの中へ一緒に入って行った。
「看護担当のやつらだ。ああいう病人はあいつらに任せておけば大丈夫だろう」
そういうガブリエルがどことなくホッとした様子なのは、何も気のせいじゃないだろう。正直俺だってホッとしてないといえば嘘になる。一緒に連れて行かれて横でゲロゲロされちゃ気になって仕方がないから。
「私たちも行くとしよう。付いてこい」
コートの襟を整えガブリエルはビルの中に入っていく。その後を付かず離れず俺は付いて行った。
自動扉をくぐって中に入ると、目の前に二つのエレベーターがお出迎えしてくれる。逆にいえばエレベータ以外のものは見当たらない。オレベーター前には少し広いフロアがあるが、そこから伸びる廊下はない。独立したフロアというより屋上から入るだけなのだから、あえて部屋を作らなかっただけなのだろう。
今しがた乗り込んだ二組が両方を使っているんだろう。エレベーターの上の電光掲示板は互いに動き、数字の小さい方にと動いている。
二つのエレベーターに挟まれた柱には下を三角ボタンがつけられている。
ガブリエルが下のボタンを押してみると黄色の淡い光がともる。呼び出しは済んだ。あとはエレベータを待つだけだ。
右のエレベーターが35でとまり、呼び出しに応じてぐんぐんと上昇してくる。そして60のところで止まるとチンという音の後、自動扉が開いた。
奥の壁は一面ガラス張り。ビル群の灯りと道路を走る車の灯火。それを紫に色づいた空が見下ろしている光景がガラスに映っている。
「お先にどうぞ」
ガブリエルはボタンを抑えながら、俺を中へと招き入れる。そう言われては無下に断ることも出来ない。軽く会釈をしてから、俺はエレベーターに乗り込む。その後すぐにガブリエルが乗ってきてボタンを押す。
天井付近には階を示す数字が並んでいるが、その中の16が光り自動ドアがゆっくりと閉まる。
ふわりとした浮遊感。それも一瞬でエレベーターは静かに降下を始めた。
そのスピードはデパートにあるものと比較にならないくらい早かった。みるみるとカウントダウンは進んでいく。
ガラスに映った光景は瞬く間に流れて行く。ビルのてっぺんは一瞬で見えなくなり、小さかった車の影はみるみるうちに大きくなっていく。
「……すげぇ」
今日何度目かわからない。同じ言葉をエデンに到着してから呟き続けた。
ボキャブラリィと言うのか。それとも正直に語彙力と言ったらいいのか。
本なんてこれっぽちも読み進めてこなかったから、語彙力というのが極端に不足している。
驚きや喜びなんか『すごい』。または『やばい』という万能表現と表情さえあれば、大抵の反応は返すことができた。だから、この二つ以外のいい言葉なんて俺の脳辞書には書いてなかった。
目的の階が近づいてくると、エレベーターの速度は次第に遅くなった。
ゆっくりと減速し止まる。そしてチンと音を立てて扉が開いた。
「こっちだ。ついてこい」
エレベーターを降りてからもガブリエルの先導に任せて、俺は16階を進んでいく。
エレベーターフロアを抜けると、左右に伸びる廊下が出てくる。
綺麗に掃除された床は汚れひとつない。まるで新品同然。作りたてホヤホヤのビルのようにピカピカだ。
それに驚いたこと一歩足を踏む込むたびに廊下に波紋が浮かんだんだ。
水たまりに足を突っ込んだみたいな。足を中心に円形状に波紋が広がる。
別に水が貼ってあったとかではなくて、ホログラムというか。立体映像で見せられているだけだろう。頭では何となくわかっても、俺の口からはやっぱり「すごい」という言葉がついて出た。
興奮しながら廊下を進み、ガブリエルはある部屋に俺を入れた。
「ここで少し待っていてくれ」
ガブリエルはそう言い残すと、一人部屋を出てどこかへと行ってしまう。
別に一人残されたところで寂しさを感じる年ではない。いや、見た目であそんな歳かもしれないけど、中身は三十路のおっさんだ。待てと言われればいくらでも待てるとも。
しかしやることがないのは変わりがない。暇つぶしがてら改めて案内された室内を見渡してみる。
部屋はいたってシンプルな作りをしていた。10畳ほどの部屋に対面するソファが二つと飲み水用のウォーターサーバー。壁には山や鳥といった自然風景の絵画が四方に飾られていた。時折流れるジャズの音色で癒しの空間を演出している。
待合室。という言葉がしっかりくる部屋だ。
試しに部屋に飾られた絵画に近寄ってじっくりと鑑賞してみる。しか美術にてんで疎い俺には誰のなんて題名の絵なのかもわからなかった。もっともこちらの世界の美術は本当に一つも知りはしないんだが。
タッチがどうの色合いがどうのとか。高尚ぶって喋れたらかっこいい顔しれないが、庶民の中の凡人である俺には、単に綺麗だなぁという言葉しか浮かばなかった。
絵画鑑賞を諦め、俺はやることもなくソファに腰掛けて背もたれに体を預ける。
リズムにあわせて太ももを叩いてみるが数分と持たない。 全く退屈だ。雑誌の一つくらい置いてくれてもいいだろうに。何て思ったが、こちらの言葉は喋れても文字自体を読めないんじゃまるで意味がない。
はあ、とため息をこぼしなが俺は天井を仰ぎ見る。
退屈に乗じて眠気がジリジリと俺の体を夢の中に引きずり込もうとしてくる。
気づけば俺はうつらうつらと顔を揺らしていた。
やばい、寝る。そう思った頃には俺は意識を失って眠りの中に入ってしまった。