5..
ヘリに揺られるのは初めてだったがなかなかののりごごちだ。
モーターの音は少しうるさく感じたが、それでも振動は少ないしケツが痛くなるようなことはない。
座席の硬さに目をつぶれば心地のいい空の旅を楽しめる。
一応ガブリエルからはエチケット袋を渡されていたが、今のところ使う機会はなさそうだ。
でも、まだ油断はできない。
日本のとある俳優みたいに到着寸前になってゲェェとやってしまうかもしれない。
気を張る必要はないかもしれないが、それでも気をつけておいたほうがいいだろう。
ただ、俺よりも俺の向かい側に座る女性の方がやばそうだ。
顔色は青ざめているし、さっきからげっぷを何度も出している。それにガブリエルから渡されたエチケット袋を彼女は大事そうに握っている。まるで形見のお守りみたいに、しっかりと。
「気持ち悪かったら、そこに吐きな。万が一にこぼされたら困るからさ」
ガブリエルが女性に声をかける。
「は、はい」
弱々しい声で女性は返事を返した。
ぐったりと背もたれに寄りかかり、ぼうっと窓の外を見始めた。
それからは何も喋らなくなった。
寝てしまったのかとも思ったが、単に憔悴しきって喋る体力がなくなっただけのようだ。青白く生気を失った顔が窓に映っている。
到着するまでとを願うばかりだ。彼女の嘔吐をきっかにして、吐き気をもらってしまう可能性は充分にあるから。
「坊やは大丈夫か?」
女性を見たからか、ガブリエルは心配そうに声をかけてきた。
「え、ええ。まぁ、今の所は」
「そうかい。気分が悪くなったらそいつを使えよ。ここは便所じゃないから」
ガブリエルはそう言いながら、俺が握っているエチケット袋を指差す。
まあ確かにこんな狭いヘリの中でぶちまけられるよりは、袋の中にしてくれたほうがよっぽどいい。ただ、匂いだけはきっと残ってしまうだろうから、最高なのは決してはかないことだ。
「……ウップ」
怪しげなゲップが女性の口から出た。おいおい、待ってくれよ。何をそんなに頬を膨らませることがある。待ってくれ、頼むから今は吐かないでくれ。ヘリから降りたらいくらでも吐いていいから、今はやめてくれ。
俺の願いが届いたのか。女性の膨らんだ頬を縮み、また窓に額をつけて目を閉じた。
「そういや。坊や、名前はなんて言うんだい」
ひと心地ついていると、ガブリエルが何気なく口を開いた。
「リュカっていいます」
「リュカか。いい名前じゃないか。地上でも聞いたが生まれはどこだい」
「それが、ですね。あの……、分からないんです」
「分からない? 何だい、自分の国も分からないのかい」
明らかに驚きよりも呆れているような口ぶりでガブリエルが言う。
「ええ。恥ずかしながら……」
対して俺は苦笑を浮かべながら、こう言うほかなかった。
実際ここの地理地形、地名、その他もろもろの情報がないんじゃどうしようもない。
ただ、こんなことをガブリエルに言ったところでまた呆れられてしまうのがオチだから言わなかったけど。
「全く、坊やの親は何をしているんだか」
俺への呆れはいつしか親への呆れに変わった。
何をしているって言ったって。ドラゴンだなんて口が裂けても言えるわけがないし、ましてや信じてくれるなんて考えられない。
「そうそう。そうだ親だ。坊やの親はどうした。何で坊やはあそこに一人でいたんだ」
「えっと……、それは……」
一番聞かれたくない質問が来た。
当然その答えを用意しておくべきだった。だが、俺の手元にはその答えはない。とっさの嘘も思い浮かばず、だまくらかせそうなハッタリもない。
答えに詰まって汗ばかりが背中を伝う。
「急に黙ってどうした。酔ったか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
この際正直に母はドラゴンであることをばらしてしまった方がいいだろうか。
ただ、この世界においてドラゴンがどういった立ち位置にいるのかわからない。
もし、宗教上悪魔のような位置にあって、発見次第神の名の下に処刑されてしまったら。
もし、人類に仇なす害獣として、討伐されるようなことになったら。
もし、人間とドラゴンの子供が、忌まわしい子供として扱われていたら。
嫌な妄想は際限がない。しかもどれもあり得そうだから余計に怖い。
自分でどうにか切り上げないと、不安の深みにはまってくだけだ。
「……本当に大丈夫か。顔が青いぞ」
突然黙ってしまったことをどうやら気分を悪くしたからだと思ったらしい。ガブリエルは俺の顔を覗き込んで、背中に手を当ててくる。
俺の心配というか、あらぬ妄想はどうやら顔に出てしまったらしい。
ストレスで胃腸炎をかましたこともある俺だ。内面の感情は簡単に体に現れてしまう。
「大丈夫です」
「本当か。随分気持ち悪そうだが」
「ホントに大丈夫ですから」
深呼吸を二、三度繰り返して気持ちを落ち着かせる。
脳に空気をやって思考を回す。テンパリは思考する上で一番邪魔になる。
「実は、母はさらわれてしまったんです」
「……それは一大事だな。詳しく聞かせな」
俺のその一言に、ガブリエルは食い入るように俺に耳を傾ける。
それまで俺を心配していた彼女の目の色が明らかに変わる。
何と言うか、これを仕事モードというか。子供を見るような優しい目は一瞬で姿を決して、敵に向けるような鋭さのある視線が俺を貫く。突然の変貌に俺は萎縮するばかりだ。
「妙な集団に襲われて、母が俺をかばってさらわれたんです。俺は母を追って森を突っ走っていたんですけど、その途中であの人の悲鳴が聞こえてきて」
「それであの場所にいたというわけか」
「ええ。そうです」
「そいつらの特徴は何かわかるか。服装とか顔とか」
「迷彩柄の軍服みたいな服にガスマスクをつけてました。顔は、わかりません。あ、でも一人だけマスクを取って顔を見せたやつがいました」
「そいつの顔は覚えているか。特徴だけでもいい」
「特徴……、そういえば、顔に大きな傷がありました。こう右側から左側に斜めに。切り傷みたいな傷跡でした」
俺は指で自分の顔をなぞる。
「ふむ。傭兵か傭兵崩れの兵士か。その辺りだとは思うけど、詳しいことは本部に戻ってみないとわからないね。そんな荒っぽいことをやっているくらいだ。前科を調べれば山ほど出てくるだろうさ。……一応坊やの母親にチップがあるかないかも調べてみるか」
「チップ?」
「……その様子じゃ期待は薄いそうだ」
ガブリエルの目に再び呆れが浮かび、ため息が溢れる。
「坊やの親が私たちの国に生まれているのなら、体内にマイクロチップが仕込まれているはずなんだ」
「マイクロチップ……」
「そうだ。だいたい首に仕込まれている」
そういうガブリエルの手は頸に持っていき、さすってみせる。
「チップが埋め込まれていりゃ起きている間、そいつがどこにいるのか。生命活動をきちんと取っているのかがわかるようになってる。チップがあったから、彼女を見つけ出すことができた」
首をしゃくりながら、顎でガブリエルが女性を指した。
なるほど、だからあの場所にいれたのか。
「でも、それって大丈夫なんですか。その、体に何か支障をきたすんじゃ」
「開発された当初は色々事故があったらしいが、今は確立された技術になっている。心配はいらない。まぁ、その驚きようをみると、母親さんも坊やも施術されていないようだがな」
「そうなんですか。でも、プライバシーの侵害とかになるんじゃ……」
「難しい言葉を知っているんだな。まぁ、確かに昔そんな議論を学者連中がこぞってやっていたさ。プライバシーの侵害だ。人間の尊厳を著しく犯している。なんてな。こんなことを永遠議論しているんだ。暇な連中さ」
この場にいもしない学者の顔を思い浮かべて、ガブリエルの頬が歪む。
「だが考えてもみろ。プライバシーなんてものは命あってのものだ。死んだ奴にプライバシーなんて全く意味のない言葉になる。生きる上でプライバシーは必要かもしれないが、死体になってまでプライバシーを叫ぶバカはいない。死ぬか、プライバシーを取るか。こんな簡単な選択肢はないと思わないか?」
「は、はぁ……」
ガブリエルの問いかけに、俺はアンニュイな返事で答えた。
「そろそろ着くぞ。準備をしておけ」
運転手の男が俺やガブリエル、女性に向けての連絡を入れる。
「そら、見えてきたぞ」
ガブリエルは窓の外に視線をやる。
俺もつられて窓から外を見下ろした。窓は両側にあって、俺は俺の側にある窓から見下ろしている。
そして一瞬言葉を飲んだ。
眼下に広がるのは、夕日に色づいた数多の人工建造物。
高い尖塔のような形から半月型のもの。さらには先端が丸くなった細長い形をしたものなど様々な形をしたビルが地上から伸びている。
ビルの間を縫うようにモノレールが往来し、碁盤の目のように縦横に伸びた道路を車やバイクが走っていく。
中でも目を引いたのは、高く背を伸ばしたビルの外壁から飛び出してくる映像の数々だ。
舞妓姿の女性がサプリメントを紹介していたり。マッスルボディの男が筋トレ映像を流していたり。
またドラゴンがビルから飛び出して火を履いて見せたりと、街がアトラクションのようになっていた。
まるで漫画に描いたような未来都市だ。
ただただ驚嘆して、俺は都市の光景から目を離せなくなって、夢中になって窓から眺め続けた。
「エデンへようこそ。坊や」
ガブリエルの方を見てはいなかったが、彼女は俺に向かって確かにそう言っていた。。