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4..

 心地のいい風が俺の頬を撫でる。


 鳥のさえずりが、葉が擦れ合う音に混じって聞こえてくる。


 草と土、森の匂いが鼻を抜ける。


 暗闇の中に沈んでいた俺の意識が、だんだんと鮮明になってきた。

 

 だけど、まだ目蓋(まぶた)を開ける力はでない。夢から覚める前のような、意識は目覚めつつあるのに目蓋だけが思うように開かない。


 遠くから人の声が聞こえてくる。


 どうやら、俺のすぐ近くに誰かがいるみたいだ。


 もちろん、それはアリョーシでないことは分かっていたし、その声がアリョーシのものではないことも分かっていた。


 二つの声が交互に耳に入ってくる。でも、声が何を言っているのかは分からなかった。


 声が声として聞こえてこないというか。

 声というより音として聞こえてくるというか。

 壊れたスピーカーが流すくぐもった音のようにしか聞こえない。


 意識の混濁がより明瞭になってくると、ようやくその音が声として聞こえてくる。


 「この子供は、貴女の息子か」


 「いえ、違います。でも、私を助けてくれたんです」


 どうやら俺のことを言っているらしい。


 片方は俺が助けようとした女性で、もう一方は聞き慣れない声だ。


 おそらく視界の端に捉えたコートを着た人間だろう。


 声だけで判断すれば、その人間も女性のようだ。


 低くざらついていて男のような口調を叩いているけど、男性のそれとは違い、どこか品を感じさせる声だった。


 ようやく瞼の自由が効き始める。しばしばと小刻みに目蓋を動かして、ゆっくりとあげていく。


 眩しい日差しが俺の視界を一瞬奪った。白い輝きが少しずつ薄れていくと、緑の森が視界に映し出された。


 「ようやく起きたか。坊や」


 見知らぬ女性が俺に顔を向けた。


 赤く艶やかな長い髪。その髪を頸のあたりで一括りにまとめている。


 顔は色白で、炎のような紅い瞳を持っていた。


 黒のピチッとした袖のないアンダーウェアに黒のほっそりとしたスラックスを身につけている。


 さっきまでは確かにコートを着ていたのだが、今は着ていない。どうしたのかと横に視線をずらしてみると、俺が助けようとした女性の肩にそっとかけられていた。


 「さっきは殴ってすまなかったね。この男の仲間かと思ったんだ。許してくれ」


 彼女の指先には、額に穴を開けた男が転がっている。指差すついでに足で小突いてもピクリとも動かない。


 それはそうだ。弾丸を頭にぶち込まれたんだ。動く訳が無い。


 死体の横には、俺が気絶させた二人の男が倒れていた。


 手にはプラスチックでできた紐の錠前が付いている。俺が眠っている間に森の中から探し出してきたようだ。


 「あの……、貴女は」


 「ガブリエル・マーズ。ミリシアだ」


 「ミリシア?」


 効き慣れない言葉に、俺は首を傾ける。 


 「何だ、坊や。自警団(ミリシア)を知らないのか」


 ガブリエルは意外そうに片眉をあげた。


 「坊やは、どっから来た。(サウス・ホーク)か。それとも西(イースト・フォルカ)か。そこらの国だったら、ミリシアを知らんのも無理はないが……」


 効き慣れない言葉の連続に、俺は返す言葉を見つけられない。


 頭の上にクエッションマークが浮かんでくる。

 もちろん現実に現れている訳じゃない。ただ、漫画だったらいくつものハテナが俺の頭上に書かれているだろうと思っただけだ。


 「おい坊や、どうした。大丈夫か」


 ガブリエルは俺の顔の前に手のひらを向けて上下に振ってくる。


 「あ……、はい。大丈夫です……」


 「そりゃよかった。いきなり呆けてどうしたのかと思った」


 手を引っ込めて、ガブリエルが言う。


 「あの……」


 その時だ。それまで黙ったままのもう一人の女性が、口を開いた。


 「そろそろその子を解放してあげたら、どうでしょう」


 コートを抱き寄せながら女性は俺を指差した。


 それでようやく自分の手足が紐で縛られていることに気がついた。


 捕まっている男たちと同じように。手と足を白い紐の手錠で縛られている。


 「ああ、そうだな。どれ坊や、ちょっとじっとしてな」


 ガブリエルは腰ベルトに差したナイフを取ると、俺にその刃先を向ける。


 一瞬びっくりしたけれど、ガブリエルのナイフは俺を傷つけることはなかった。


 俺の手足を縛っていた紐をナイフで切って、俺を解放してくれる。


 「ほら、立ってみな」


 ガブリエルは俺に手を差し伸べる。


 俺はその手を握ると、ガブリエルがぐいと俺を引き寄せた。俺はその勢いで立ち上がる。ただ、勢い余ってガブリエルの腹に頭を当ててしまった。


 「すみません」


 俺は急いで頭を離してガブリエルに謝る。


 そんな俺の言動に、ガブリエルは頭をボンボンと叩いた。


 軽い力だったけれど、ずしりと重く感じた。それに人肌の温もりもない。


 何気なくひょいとガブリエルの腕を見る。手袋でもつけているのだろうと思ったが、そうではない。


 明らかに肌の色ではない真っ黒な腕。表面には機械的な筋がいくつも付いていて、人間のものとは思えない質感だった。


 「ああ、痛かったかい?」


 俺の視線に気がついたのか。ガブリエルは俺の頭から手を離す。


 「い、いえ。えっと、その……。その腕は……」


 聞いてはいけないのでは。という考えが俺の頭をよぎる。


 でも、俺の口は自然とガブリエルの腕について聞いてしまう。


 「何、ただの義手だ。昔トチって腕を切断しなくちゃならないことになってな。それで、こいつをつけた。それだけの話さ。そんな心配そうな顔をするんじゃないよ」


 俺に義手を見ながら、ガブリエルは平然と答える。


 「そう、ですか……」


 俺は歯切れ悪く返事をしてしまう。


 ガブリエルが納得しているのなら、別にそれだけの話なのだろう。


 ただ、自分自身この不可思議な体験がある前までは、下半身が動かない状態になっていた。


 俺だってなりたくてなったわけじゃない。だから、あの世の中に絶望して自分で自分を殺した。


 でも、このガブリエルは違った。


 何のけなしに教えてくれて、何てことなさそうに言ってくれた。


 どんな不幸かは分からない。痛みも、苦しみもガブリエルにしか分からない。


 けどそれを不幸なんて思わないで、前を向いて生きている。


 それがすごいと思ったし、それがなぜか羨ましくもあった。


 「そうだ、坊や。ちょっと私について着てくれないか」


 「着いて行くって、どこへ?」


 「うちらの本部だ。そこでちょっくら事情を聞きたい。取り調べとか堅苦しいやつじゃないから安心しろ。まぁ、帰還中にも色々と聞くかもしれないがな。……そろそろ迎えがくるはずなんだが」


 ガブリエルは腕につけたと時計をちらりと見る。


 「……きたな」


 ガブリエルの言葉の後、俺の後方からプロペラの回る音が聞こえてきた。


 そっちに顔を向けて見ると、木の向こうから二機のヘリがこっちに向かってきていた。


 ガブリエルはヘリに向けて手を振る。


 それを見てか、ヘリは俺の上空で滞空すると梯子を下ろしたきた。


 「登れるな」


 ガブリエルが俺に言った。


 俺はこくりと頷く。


 「よし。じゃあほら、さっさと登れ」 


 ガブリエルが俺の背中をバンと叩く。わざわざ義手の方で殴るものだから、余計に痛かった。


 ひりひりする背中をさすりながら、俺は揺れるはしごに手をかけて登った。


 高い所はアリョーシと散々飛び回ったが、空中で揺れ続けるハシゴは登りづらい。風に煽られて前後左右に暴れるハシゴは俺の登らせてなるものかと必死になっているようだ。

 

 それでも何とかヘリの中に乗り込んでほっと一息ついた。広い足場を挟んで対面に二つずつ座席が設けられている。


 「そこに座んな。坊主」


 声のする方を見ると、小窓から男の横顔が見えた。


 マイクのついたヘルメットにサングラスをつけている。


 男が顎で示した通りに運転席側の座席に腰掛けて、シートベルトを締める。


 何気なく隣のヘリの様子を見ていると、あの拘束された犯人二人が運び込まれていく。


 運び込んでいるのは、ガブリエルと同じ装いをした二人の男女だ。


 最初は暴れるかと思ったが、どうやら眠らされているらしく、微動だにしないままヘリに詰め込まれていく。


 犯人を詰め終えて男が女に合図を送る。女はハシゴを手繰り寄せてから、ヘリのドアに手をかけた。


 その時、偶然だったけれどその女性と俺は目があった。


 黒い瞳に黒髪をした女だった。


 日本人らしいというより、欧米人らしい。もともとここは日本でもないんだから、それもそのはずなんだが。


 女は俺に会釈一つすることなくすぐにヘリの扉を閉めた。


 俺の少し後からガブリエルがハシゴを登ってきた。彼女の背中には俺が助けた女性が背負われている。よっぽど怖かったのか女性の顔は引きつっていて、下を見ないように必死で目を閉じている。


 自分で登った訳でもないのだから、そこまで怖がることもないだろうに。なんてお思うけど、当人の気持ちもわかるため、あえて言うことはしなかた。


 「出してくれ」


 女性を座席に座らせ、ドアを閉めたところでガブリエルが運転席に合図を送る。


 ガブリエルが座席についたと同時に、モーターが唸りヘリは進み始めた。

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