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俺の心配した通り、女性はまだそこにいた。
突然茂みの中から出たものだから、女性はびっくりして目を見開いている。
「大丈夫ですか」
緊張を和らげてもらうために、俺は女性に声をかけた。
できるだけ柔らかい言葉遣いを心がけたつもりだ。
でも、乱暴されそうになった直後だからか。俺が少しでも近付こうとすると、女性は体を震えさせた。
「すみません。怖がらせるつもりはなかったんです」
手のひらを女性の方に向けて、左右に広げる。
こちらは危害を加えるつもりはない。言葉だけでなく態度でも示してみる。
「……あ、あなたは。誰?」
俺の態度に少しは緊張を解いてくれたのか、女性が俺に話しかけてくれた。
「リュカって言います。怪しいものじゃ……といっても信じられないですよね」
もう少し言葉を選ぶべきだった。少し反省をしながら、けれどもう一度言葉を続ける。
「お姉さんの悲鳴を聞きつけて来ました。無事なようでよかった。でも、早いところ逃げた方がいいと思いますよ。あいつら気絶しているけど、いつ起きてくるかわからない……」
言葉が途中だったけれど、止めざるを得ない自体が起きた。
女性の背後でノビていた男が、起き上がったんだ。
「逃げて!」
俺は叫んだけれど、一瞬遅かった。
男は女性の腹に腕を回して、首元にナイフをあてる。女性もすぐに逃げようとしたのだが、首筋にあたる冷たい感触に思わず逃げる足を止めてしまう。
顎を上向きにされて、女性は涙ぐみながら俺を見てくる。
これが少しでも交渉の余地があれば、下手くそなりに交渉をしてみようと思った。
だけど、そんな余地は男の頭にはなかった。
完璧に頭に血が上った様子で、目は座っていて、ナイフを握る手は力が入っている。
落ち着けなんて軽々しく言える雰囲気ではない。
下手に言葉を出したら、いつでも女性の首をかっきてしまいそうだった。
どうする。どうしたらいい。
選択肢をいくつも頭に浮かべ、その中で最適の方法を探す。
けれど、こんな状況での最適な方法なんて分かるわけなかった
この世界にきてついたのは度胸と自然の中で生きる方法と、あとは龍の力を使いこなすことくらい。
交渉の方法なんてものは生まれてこのかた教えられていない。
どうにかこうにか頭をひねって、出てきたのは女性に傷を負わせてでも助け出すことくらい。
つまりは、俺が男に瞬時に突っ込んで気絶させることくらいだ。
俺が男を掴みのが先か。それとも男が女性の首を切るのが先か。
嫌な賭けだが、これ以外にいい方法が思いつかない。
そう思って俺が腕にモヤを纏わせようとした矢先、俺の背後から発砲音が聞こえてきた。
音のした方へ目を向けようとしたが、それよりも早く男の額に風穴があいた。
ゆったりと背後へと男は倒れていく。
その動きはひどく緩慢で、まるでスローモーションを見ているみたいだった。
でも、確かに男は女性と一緒に背後へと倒れていく。発砲音と冷たくなった男を見て半狂乱でも起こしたのか。
言葉にならない悲鳴をあげながら、女性は男の腕を振りほどいて這いずるように離れた。
兎にも角にも女性は見事に救い出されたわけだ。
安心してしかるべきだが、俺の心臓はどういうわけか早鐘を打ったまま。治る気配がなかった。
それどころか、よりばくばくとやかましく音を立てている。
人間の死。
それも自然によるものじゃなくて、誰かの手によってもたらされた不都合な死に方だ。
獣ならどうにか飲み込めたが、人間が殺される様はどういうわけか衝撃が強かった。
息を吸うのが辛い。喉に何かが詰まったみたいだ。嫌な汗が背中に流れて、薄ら寒くなる。
でも、その感覚がどうでもよくなる衝撃が、俺の背後からもたらされた。
突然背後から誰かに殴られた。
拳とかそんなものじゃない。もっと固い何かだ。
おかげで俺の視界がぐらりと揺らいで前のめりに倒れた。
受け身なんてしている余裕はない。強かに顔や胸をぶつけたけれど、それ以上に頭が痛くて仕方ない。
頭がくらくらするし、視界が全然安定しない。
ゆっくりと暗くなっていく視界の中に、黒いブーツが入ってきた。
ブーツは女性の方に歩いていく。
なんとか上を見るとその人間は黒いロングコートを着ていた。
どうやら女性に危害を加えるつもりはないらしい。
半狂乱の女性をなだめ、自分のコートを女性にかけてやっている。
よかった。これなら、大丈夫だ。
俺は内心安心した。でも、言葉も出ずに俺の意識はだんだんと薄くなっていく。
消えかかる視界の中で、コートを着ていた人間が俺の方を向いた気がする。
でも、顔を確かめる前に、俺の意識は黒の中に沈んでしまった。




