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「さて、じゃあ本部に連行しちゃいましょう。色々と面白い話を聞けそうでワクワクするわ」
気絶したロベルトを無理やり起こし、アマンダはトムの手を借りて運んでいく。その先には火龍が滞空し、降りる場所を見計らっている。
「用意がいいわね。うちで雇ってもらえないかしら、あのドラゴン」
「冗談はよせ。誰が世話するってんだ」
「それは総務の子に任せるわよ。ああ言う動物の世話、得意な子いそうだもの」
「ドラゴンはペットじゃねえんだ。そう都合よく飼い慣らされるはずはないだろうが。昔みたいにドラゴンと戦にでもなったりしたら、どうするつもりだ」
「何世紀前の話をしているのよ。まったく、ただの冗談にそこまで熱くならないでよ」
和やかに会話を楽しむトムとアマンダ。仕事を完全に成し遂げて、その余韻に浸っているらしい。服も体も傷だらけになってまで果たした仕事だ。感慨も深く、達成感もひとしおだろう。
だが、これで全てが終わった訳ではない。自警団にとっては、これがきっと始まりなのだ。ドラゴンの密輸、そして《シグルドの舌》による人間とは思えぬ凄惨な行為。犯罪者たちをつなぐ細い糸を彼女たちは手に入れたのだから。
しかし、それは自警団の仕事であって、俺の仕事ではない。俺の目的はいつの間にか自警団の仕事と深く結びつくようになっていたが、目的自体はここで果たされた。アリョーシを連れ戻ると言う目的は。
これで再びあの森で平和なひと時に戻れる。長いようで短い月日の中で、願って止まなかったものがついに帰ってくる。そんな風に思うと自然と胸に熱いものがこみ上げてきた。しかし焦ってはいけない。アリョーシの容態を確かめるために一度病院で診てもらった方がいいかもしれない。
いや、でもドラゴンを診察してくれるような医者がこの街にいるだろうか。これだけ大きい街なのだから、そんな医者の一人や二人いてくれても良さそうなのだが。
ドラゴンと知ってもしも広告塔のような役割をさせられたらどうしようか。そうなるよりも、森に連れ帰って様子を見た方がいいだろうか。
アリョーシを気にしつつも、それでも俺の心には不安はなかった。それはきっとアリョーシを助けたと達成感と安心によって消し去られていたのだろう。
それが油断となったことに気がついたのは、少し後のことだったが。
小さな、ごく小さな音が俺の鼓膜を揺らした。背後から聞こえてきた。音の正体は分からなかったし、その音が何が原因でなったのかもよく分からなかった。だが、音のすぐ後にロベルトの体から何かが破ける音が聞こえた。張り詰めていた何かが突発的に切れてしまうような、プツという音。
視線を移してみると、うなだれたロベルトの頭があった。それは先程までと一緒だ。違ったのは、彼の胸に小さな穴が開けられていたことだ。大きさで言えば数ミリほど。何かのシミのようにも見えたが、そうではない。その穴血が滲み、みるみるとロベルトのシャツに広がって行った。
誰かが、ロベルトを撃った。
それを事実として受け止めるには、数秒の時間がかかった。その間に、トムの頭から血しぶきが飛び散った。彼の体はスローモーションみたいに倒れていく。俺はそれを見つめながら、どうにか体を背後に向けた。
屋上へ出る入り口。そこに一人の男が立っていた。身体中に煤を被り、顔や腕にはひどい火傷を負っている。しかし、その顔を俺は忘れはしなかった。
レイ・アーチャー。そうだ、あの男だ。
しかし、アーチャーに気がついたところで何にもならなかった。
アマンダは俺の体を突き飛ばして、物陰へと押しやろうとしてくれた。とっさのことでよく体が動くものだと、俺はどうでもいい感心をしてしまう。しかし、彼女の手がとどくより先に、俺の体を二発の弾丸が貫いた。
痛みは一瞬だった。たった二回の衝撃で俺の体は背後へと倒れてしまう。どうにか踏ん張ってやろうと足に力を込めたのだが、情けないものでそれもできない。硬い地面にぶつかり、衝撃が体を走り抜ける。アマンダはアーチャーに向けて引き金を引こうとしたが、それより先に、彼女の額に風穴が開けられた。無残にも崩れ落ちていく。
声も出せなかった。彼女の身を案じる言葉も出なかった。ただ目の前で起こった現実に打ちのめされ、薄れていく意識の中でアマンダの顔を見つめるのがやっとだった。
アーチャーはまだ意識のある俺に、銃口を向けた。
また死ぬのか。自分の手ではないにしろ、また俺は殺されなくちゃならないのか。自分で自分を殺すことより、よっぽど恐ろしい。死という概念が俺の前で形になって、遠慮なく首に鎌を当ててくる。
俺がもしも人間のままだったなら。もしもどうにもならない下半身を持った人間だったなら、きっと死の誘惑に飲まれていたことだろう。あの頃は死は恐ろしい反面、甘美なものに思えていたから。
だが今は違う。アーロンとアリョーシの子供として、リュカとして生まれた俺はあの頃とは違う。姿形も能力も違うが、何より内面で少しは成長できたらしい。死へ傾ける思いなんて、これっぽちもありはしなかった。
コンクリート片を二つ手に握る。そしてモヤをまとわせて、アーチャーに放り投げた。モヤによる加速。コントロール、狙いも充分。これまで投げた中で最高の一投だった。
風を切り、二つのかけらは鋭い刃物となってアーチャーの顔を抉った。一つは頬、そしてもう一つはアーチャーの左目を。しかし、アーチャーは顔色ひとつ変えなかった。頬が削れ、目を潰されようとも。指は引き金にかけられたまま離れることはなかった。
一発の銃声が空気を揺らした。
俺の脇腹から血が飛び出た。
痛い。だが、まだ生きている。それがとてつもなく嬉しかった。
もう一回、あと一回あいつに投げてやれば。今度は奴の心臓を狙って投げてやれば。俺は生きられる。俺はまだ生きていられる。やらねばならない。やるしかない。
頭は確かにそう命令していた。だが、実行する俺の体は動かなかった。指も手もまぶたも口も。筋肉がうまく動かず、吸い込まれるように俺はコンクリ床に転がった。俺はまだ戦おうと、アーチャーを倒そうとしていたのだ。倒れるなんて思っちゃいない。動け、動け、動け……。
どれだけ念じても、どれだけ力を込めても体は動かなかった。緩やかに恐怖が俺の足元から這い上がってくる。このままではまずい不安ばかりに急き立てられる。
足元から、硬い靴音が聞こえてきた。見なくてもわかる。アーチャーのものだ。彼は俺の死を確かめるために、やってくるのだ。そして生きていた場合も、死んでいるとわかった場合も、確認のために弾丸を撃ち込んでくるつもりだ。
逃げたくても逃げられず。抵抗しようにも力は入らない。死ぬとわかっているのに、馬鹿力は一向にでやしない。そして意識も次第に薄らいできた。