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改稿中 人と龍  作者: 小宮山 写勒
十二章
136/144

11............

 ここまで生きた心地がしなかったのは、いつぶりだっただろうか。


 釈放された犯罪者に腹いせまぎれに車で突っ込まれた時か。

 人質をとったクソ野郎が逆上して、ナイフで襲いかかってきた時か。

 とちって反政府ゲリラに捕まって拷問を受けた時か。


 そのどれも確かに死ぬ思いをしたが、ここまでの寒気は感じてはいない。命を取られる心配はない、そんな確固たる自信があったからだ。だが、この野生のドラゴン達を前にした時、そんな自信は粉々になった。正真正銘、命の保証はない事態だ。


 「いい。動かないで」


 それが一番賢明だと思った。実際、ガブリエルもトムも最低限の呼吸以外に四肢を動かすことはしなかった。何かの間違いで彼らが見逃してくれれば御の字。そんなことはなくても、無駄に動いて犠牲者を増やすことほど馬鹿らしいものはない。


 だが、期待とは裏腹に物事は動く。全くもって度し難いことだが、期待は叶うことの方が少ない。


 火龍がゆっくりとした足取りでアマンダたちのほうへ歩いてくる。たった一歩足を動かすだけで、地響きのような振動が部屋を揺らす。規格外の脅威になすすべもなく、ただ彼らがなすことに身をまかせる他ない。


 巨大な足が扉の前にきた。そして、巨大な顔が中をのぞいた。威圧感と圧迫感。吹き飛ばされそうな荒々しい鼻息。獣独特の泥と血と水の香りが混ざった、独特の匂い。目と鼻と耳。感覚で感じられる全てが警報を鳴らしている。


 火龍の顔がと扉から突っ込んでくる。鼻息がアマンダの髪を揺らす。


 「動かないで。誰も、絶対に」


 小さな(ささや)き声で、アマンダは念を押す。ちょっとでも我慢できずに引き金を引いたり、ヒステリーを起こして喚かれたりして、この馬鹿でかい化け物に刺激を与えて欲しくはない。もし、我慢ならずにその感情と行動を爆発させたら、もれなく最初に攻撃されるのはアマンダだ。そんなことで死になくはないし、どうせ死ぬのならもう少し後にしてもらいたい。


 だが、幸運なことにその場に居合わせた面々は頭の回るやつらばかりだった。ガブリエルも、トムも、皆息を殺して頷いた。


 火龍は値踏みでもするかのように、三人の顔とトムとアマンダにおぶられたリュカとアーロン、抱えられたアリョーシの匂いを順に嗅いでいく。


 死刑を受ける罪人の、その直前の心境というのはこんな風なのだろうか。電気椅子に座らされ、担当官がスイッチを押す瞬間。もしくは絞首台の縄にかけられ、執行官がレバーを引き瞬間か。寒気と恐怖で足がすくみ、喉に筋肉がヒクついて離れない。けれどそれを自らの面子と守らなければという使命感で、無理やりねじ伏せる。


 火龍の口角から、火花が飛んだ。最悪な予感。それはアマンダだけでなく、トムやガブリエルも容易に想像ができるほどの、ありきたりな展開だ


 炎を吐くつもりだ。


 「おいおいおい、嘘だろ……」


 トムが言う。全く、これほどまで嘘だと思いたかったことはない。火龍は首を通路の口から抜くと、いよいよその口に炎を噛みしめ始めた。口角から溢れる火花は量を増して、肌に感じる熱も高まった。


 逃げる道はどこにもない。銃弾などドラゴンの前ではおもちゃの豆鉄砲ほどのチャチな代物に変わってしまう。では、どうすればこの窮地を脱することができるのか。それがわかればアマンダも苦労はなかった。


 暑さのせいか、それとも危機的状況のせいか。アマンダの顔から汗が吹き出し、頬を伝って落ちていく。


 遺言らしい遺言を残しておけばよかった。少ない友人と同僚に別れの挨拶をしておけばよかった。掃除をして部屋を綺麗にしておけばよかった。と、この窮地の中でどうでもいいことばかりが頭に浮かぶ。対策だの、逃げ道を考える頭は、いつしか生への諦めに染まっていった。


 赤く燃立つ息吹。火龍の口から溢れる熱波を見た時、アマンダはそっとその目を閉じた。自身の焼けこげていく様を見たくはなかったから。


 だが、いつまでも目をつぶっていても、炎の渦は彼らを焼くことはなかった。肌も気管も眼球も全て無事だ。


 恐怖に固まる人間たちを見て楽しんでいるのだろうか。アマンダの脳裏に嫌な想像が浮かんだ。楽しみたくなるのも、無理はない。人間たちに訳も分からずあの狭い牢屋の中に押し込められていたのだから、恐怖の一つや二つ与えてやって当然だ。


 しかし、かれこれ数分は目を閉じ続けたが、一向に熱はやってこない。


 何かあったのだろうか。アマンダはそんな風に思って、恐る恐る目を開いた。


 薄く開かれる視界の向こう側。そこには見慣れぬ女が立っていた。


 髪色は赤く、肌は朝黒い。血のような赤黒いローブを身にまとっている。


 いつのまに女はそこにいたのか。アマンダには理解できなかった。そこには女をはるかに凌駕する火龍が存在していて、今に炎の息吹でアマンダ達を焼き殺そうとしていたはずなのに。その火龍の姿が忽然と消えていたことも、アマンダをさらに混乱の極みに誘う原因となった。


 「……何が、起きたの」


 試しにガブリエルやトムに話を向けてみるが、彼らとて反応は同じだった。皆女へ視線を向けるだけで、何が起きたかまるで理解できていない。


 「お前達は、あの者共と違うようだな」


 女が喋ったのは、なんとか状況を理解しようとしていた矢先のことだ。二人へと向けていたアマンダは女に顔を向け、目を見開いた。


 女の背後、そこに水面から水龍が姿を現し、彼女めがけて飛びかかったのだ。


 「危ない……!」


 それを言うのはもはや遅い、水龍の口が今にも女の体を食いちぎる。


 しかし、驚いたことにそうはならなかった。水龍の体は液体になり、濁流となって女の横に着地する。水は弾け、外へと広がる。かと思えば、映像を巻き戻すように水は着地点へと集まっていき、そこに人の形を形成し始める。


 そして、次の瞬間には青い髪を持つ男が現れた。身につているローブは女のものと一緒だが、色は海のような紺碧に染まっている。


 「あまり驚かすな。心臓に悪い」


 「そういう割には表情が薄いんじゃねえの。目を見開いたり、口を開けたりして顔を動かしてみろ。そんなのっぺらぼうじゃ感情なんて分かりゃしない。もっと情緒豊かにしたほうが可愛さも出るってもんだ」 


 「人間の姿になること自体滅多にないのだから。見た目がどうだろうとお前の知ったことではないだろう」


 「それだからいつまでたってもつがいになれないんだよ、お前は。もっとこう愛嬌振りまいて『雄どもよ、さあ私を捕まえてごらんなさい』くらいやりゃいいんだよ。素材がいいのに、使わなきゃもったいないぜ」


 「お前のような軟派な者に言われたくはない」


 「うわ……出たよ、火龍様特有のお高い気質。ああ、嫌だ嫌だ。そんなんだから龍種の中でも子孫に恵まれないんだよ」


 「それとこれとは関係がなかろう」


 「いいや。関係あるね。むしろそれが根本の原因だってんだ。俺だったらお前の一族とつがいになるなんてまっぴらごめんだね。やれ流儀だの、やれ規律だの。息苦しいったらありゃしない。お前の元相手もそういうところが嫌で別れたんだろ。ほんとご愁傷様だわ」


 「……そこに直れ。今すぐ貴様を焼き殺してやる」


 「おいおいよせよ。冗談にそんなにマジになるって。ほら、ストレス溜めると肌に悪いんだろ? 人間のテレビでやってたぜ。人間ってすごいんだぜ、若返るために薬塗りたくってさ。ほんとそういうとこ見習えって」


 「龍に肌もクソもあるか。馬鹿者が」


 アマンダ達を置いてけぼりにして、二人の男女は喧嘩腰に話をしていた。今にも取っ組み合いに発展しそうな勢いだが、アマンダ達は仲裁に入るつもりはさらさらない。


 「ねぇ……今、何が起きたかわかる?」


 固まった体を動かして、近くにいたトムに話しかける。


 「いやすげえな……本当にドラゴンが人間になっちまったよ……」 


 トムは頬を引きつらせながら言う。そうだ、確かにトムの言う通りドラゴンが人間の姿に変化、いや変身した。見たままを表現するのならそれで済むが、頭で理解をするのはそう簡単ではない。


 超常現象(スピリチュアル)やそこらの奇術(マジック)と一緒で、まずそのタネや仕掛けがなんなのか調べたくなる。だが、今見ている限りそんな様子もないし、部屋の中に大掛かりな装置がある様子もない。


 現実。タネなしの本物(リアル)。純真無垢な子供だったら、素直に見たままを受け止められるだろうが、アマンダはその本物にただただ唖然とするばかりだった。

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