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「どういうことだ……」
屋上へと向かう階段を登る途中、ロベルトのスマホが震えた。かけてきたのは、アーチャーだ。半ば期待を寄せながら電話に出てみると、期待とは反対の最悪の報告が舞い込んできた。
ドラゴンが檻から出た。たったその一言でロベルトの背筋に寒気が走る。
「なぜ檻からドラゴンが出る。しっかりと閉じられていたはずだろ」
そう、ドラゴンが出れるわけがない。自由を奪うために合金によって作られた鎖を使い、それを何重にもしてドラゴンの手足、それに口や翼まで縛っていた。しかし、今回の時にはそれが全く機能していない。これは、どういうことか。鎖が自力で取れるはずも、檻が勝手に開くはずもない。
一つ、たった一つの可能性にぶっつかる。それは階段を降りている最中、天啓のように頭から降ってきた。
そして、ロベルトは電話を切り、駆け足でとある部屋へと向かった。案内図や表示は必要ない。勝手知ったる施設の中、どこに何があるかは頭の中に全て入っている。
彼の足が向かったのは、ある一室だ。自動扉が開き、足を踏み入れる。
その部屋にはいくつもの画面パネルが壁に並んでいる。映像はそれぞれの部屋に付けられたカメラから送られてきているものだ。そして、そこには自由の身になったドラゴン二頭と、黒ずんだ人間の死体が映し出される。
いや、今はそんなことはどうでもよかった。それより問題になるのは、操作パネルに寄りかかっているユミルのことだ。
「ユミル、お前……」
ロベルトの声が震える。ユミルの手はボタンの上にかざされ、ドラゴンの檻と鎖はそれにいくつかの部屋のロックも解除されている。
画面の端にはアマンダとトムに連れていかれる三人の姿が映し出される。今更扉を閉めたところで、もう遅い。
「……面倒なことをしてくれたよ。全く」
ため息をつきながら、ロベルトは言葉を吐く。言葉尻には彼にしては珍しく、憤怒が込められている。感情をあらわにすることはほとほとないことだが、ユミルのしでかしたことは簡単に彼の神経を逆撫でた。
足取り早くユミルの元へと歩み寄っていくと、腰から拳銃を引き抜きユミルの頭に当てる。そして迷わず弾丸を彼女の後頭部に撃ち込んだ。真っ赤な穴が一つ、また一つと増えていく。
凄惨な手段にロベルトは打って出たが、唯一幸いなことは、ユミルが苦しげに声をあげなかったことだ。それはユミルがすでに事切れていたという他にない。だが彼女の浮かべた微笑みは、たとえ頭に風穴を開けられたとしても、崩されることはなかった。
だが、ユミルは自分の微笑がロベルトの苛立ちをさらに募らせることになると、想像していなかったに違いない。
興奮するあまり腕が震え、銃口までかすかに揺れている。いくら弾丸を撃ち込もうとユミルが苦しむことはもはやない。頭ではそう分かっているのだが、怒りを抑えることはできない。しかし、これ以上撃ったところで弾の無駄になると、無理やり怒りを納めて拳銃を腰にしまう。そしてスマホを取り出すと、アーチャーへと電話をかけた。
「できるだけ奴らを足止めしろ。何としてもこの施設から逃がすな。私がこちらからロックをかけ直す。急げ」
そういって電話を乱暴に切ると、ユミルの体をどかし、操作パネルに目を落とす。
そして愕然とした。
パネルに突き立つ一本の黒いボールペン。なんの変哲も無い、どこにでもあるようなただ普通のボールペンだ。それがパネルを突き破り、その奥にある部品各種に突き刺さっている。そのせいで解除施錠を管理するはずのパネルが機能しなくなっていた。
「本当に君ってやつは……」
どれだけこちらを困らせれば気がすむのか。言葉にしない恨みを込めてユミルを睨む。人間の執念、異性への愛情と悔恨。様々な思いが死に際の彼女に力を与えたに違いない。だが、それを賞賛する気にはロベルトはならなかった。
忌々しいボールペンを抜き取り、そこらに放る。持ち物はスマホはもちろん筆記具から財布、時計に至るまで全て回収した。だからユミル個人の持ち物であるはずはない。ではどこから持ち出したのか。それは一つしか見当がつかない。
ロベルトの〈書斎〉にも同じものがある。それもデスクの上の筆立ての中に。
今更調べに戻る気にもならないが、あの時ばかりはロベルトは何度もユミルから視線を外している。それはユミルに対する少なからずの信頼と、裏切るはずがないという傲慢めいた自信が招いた油断だった。その油断に漬け込んでペンを取るくらいのこと、彼女にとっては造作もなかったはずだ。
自分の失態を恥じても今更遅い。ロベルトは足早に部屋を出ると、スマホを手に取りアーチャーに再び電話をかける。だが、応答がない。それほど忙しいのか。それともすでにこの世にいないのか。嫌な想像ばかりが頭によぎる。そして、この最悪な状況の中で出来ることといえば……。
部屋をすぐさま出ると、ロベルトの足は階段を上っていった。目指す場所は屋上、もはや機能しなくなったこの施設にとどまる理由はない。一刻も早くここから脱出することこそ、選べる上での最上の選択だ。たとえ部下が何人死のうと構わない。自分が生き残ることこそが、今後の計画を進める上で重要なのだから。