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男達もアマンダやトム、ガブリエルも。同じようにある一点に視線を向ける。
そこにあったのは、血だまりだった。
まだできてまもないらしく、毒々しいほどの真紅が床に広がっていく。
遠目からでも、男達の動揺が伝わってくる。いや、怯えか。訳も分からない驚異の前に、震え上がっているようだ。大の男、それも荒事に長けていた連中とは思えない反応だ。その中にアーチャーの姿を見かけたが、さすがは彼らの長なだけあって動揺は少ない。注意深くその血だまりに目を向けて、銃を構えている。
しかし、そんな冷静なアーチャーの目が見開かれた。
それも無理もないとアマンダは心の中で思う。
血だまりの中から突然巨大な口が現れたのだから。
「何だ、あれ……」
ガブリエルの口から出たものは、そのまま他二人の頭をよぎった。
血だまりから覗く、細長い口。血によって赤く染まりぬめりけのあるそれは、呼吸でもするようにわずかに口を開く。そして、再び血の中に沈むと、血だまりに波紋が浮かんだ。
嫌な静寂が再びその場を包み込む。それを切り裂いたのは、またしても悲鳴だった。
血だまりからしぶきを上げて飛び出した、巨体。血だまりの大きさからでは到底出るはずのないそれは、先程まで牢にいたはずの水龍だ。奴はトビウオのように天井高く飛び上がると、真っ逆さまに落下し真下にいた男達に食らいついた。
いくつもの男達の顔が、鋭い牙の上に並ぶ。そして何か助けを乞うたかと思えば、水龍の牙によって噛み砕かれ、無残に血潮を溢れさせる。
喰われた。それも五人もの男達を同時に。
ニチャニチャと肉を食む音は、吐き気とともに脅威への恐怖を掻き立てる。この恐怖に一刻も早く立ち向かったのは、アーチャーだった。
「撃て!」
アーチャーの鶴の一声で男達は我に帰り、皆一斉に水龍に銃口を向けた。そして弾丸をこれでもかと撃ち放った。
水龍は煩わしそうにそれらを受け止めながら、するすると床を這って、血だまりの中へと沈んでいった。まさかコンクリの床に穴が開いたわけでもない。けれど水龍の体はみるみるとコンクリ床に吸い込まれ、跡形もなく消えてしまった。
一瞬のことで男達は|アーチャーでさえも|理解できていないようだ。ただ、その場にいた誰もが共通して、ここにいては危険だということは本能で理解していた。そして、その思考が体を突き動かしたのはすぐのことだった。
「い、いやだ。死にたくない……死にたくない!」
強靭な精神がわずかに折れる。そして、その歪みは弱みを引き出し狂乱へと誘ってしまう。一人が狂えば瞬く間に隣へと伝播し、そしてまた隣へ、隣へと広がっていく。恐怖のどよめきが男達を逃げ腰にさせるには、時間はかからなかった。
「馬鹿者! 逃げるな」
アーチャーの制止も聞かず、男達は次々に身を翻す。向かっていくのは、彼らの背後にある出口だ。我先にと駆け出し、仲間を押しのけるその様は人間が一つの獣であることを思い出させる。
誰かが死のうと構わない。ただ自分が生き残ればそれでいい。身勝手極まりない奴らだったが、彼らの足がピタリと止まったのは、後一歩で出口へとたどり着ける時だった。
出口の頭上。その壁に何かが張り付いている。ヤモリやトカゲのような格好だったが、その背中にはコウモリを思わせる巨大な翼がついている。ゴツゴツとした赤い鱗を身にまとい、瞳孔を鋭くさせて男達を見下ろしている。
男達が息を飲む音が、アマンダ達にも聞こえた。そして、チリチリと焼けるような熱を感じた。
赤い龍、火龍の口から炎がかすかに立ち昇る。そして、一瞬首を上へと傾け、勢いよく口を男達目掛けて開く。
紅蓮の炎。視界を埋め尽くすほどの炎が、熱風とともに男達を飲み込んだ。
悲鳴が聞こえたのはごくわずかな時間だった。男達の体は炎に当てられ、一瞬にして消し炭へと変わっていく。髪も、肌も、目も、鼻も、口も。全てが黒に染まっていく。炎の濁流は瞬く間に部屋全体を覆っていく。そして、熱の暴力はアマンダ達の方にも押し寄せてきた。
「やばいやばいやばいやばい……!」
アマンダの狼狽する声。それは何もアマンダだけが感じているわけではなかった。
三人は廊下の左右に別れ、扉の影の壁に背中を密着させる。そして呼吸を止めて炎の到来に備える。覚悟をしている時間なんてない。そう思った時には目の前に炎が溢れていた。