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改稿中 人と龍  作者: 小宮山 写勒
十二章
130/144

5............

 「催眠ガス(フェンタニル)だ。過度に吸引すれば中毒を起こして最悪死に至るが、うまく使えば昏睡作用を引き起こせる」


 画面を見つめる私に気を使ったのか。ロベルトはガスの正体について説明をしながら、ボタンを押してガスの流れをとめた。


 「あの人は、大丈夫なの?」


 「心配するな。ただ眠っているだけだ。わざと起こすような真似をしなければ、二、三時間は起きやしない」


 「そう……」


 私はほっと胸をなで下ろした。ひとまずは安心してもいい。あのガスで命を落としてしまったりなんてしたら、私のこの裏切りも全て意味をなさなくなってしまうから。


 安心しきっている私を見て、ロベルトが苦笑を浮かべているのを横目で捉えた。別に気にしないようにすればいいのだけど、あからさまであまりに露骨だったから、私は顔を向けた。


 「何、何か言いたいことでもあるの?」


 「いや、この後に及んでまだ社長のことを気にかけているのかと、不思議に思ってね」


 「当たり前でしょ。あの人が無事でいてくれたら、私は何だっていいの」


 「殊勝というか律儀というか。君には本当に感心するよ。敬意を評したいくらいだ」


 歯に絹を着せて上っ面の聞こえのいい言葉を並べる。しかし、ロベルトが一度それらの言葉を口にすれば、あからさまな皮肉に聞こえるから不思議だった。もっともロベルトという男の性格や特徴なんかを知っているからこそ、そう思ってしまうだけかもしれないけど。


 「さて、あとはアーチャーが仕事を果たしてくれるのを待つばかりだ。どれ、ちょっと発破をかけてやるか」


 いつになくロベルトの機嫌がいい。常に顔には腹の立つ笑みを浮かべているのだが、この時ばかりは楽しんでいるような笑みだった。今にも鼻歌をうたいだしそうな陽気さで、ロベルトはポケットの中からスマホを取り出して電話をかける。戦闘中のアーチャーが出るとは思えないのだが、私の予想を裏切って、電話の相手はロベルトの発信をとった。


 「ああ、アーチャーか。そっちはどんな状況だ……ああ、なるほど。ではもう少しで方が尽きそうなのか。それは何よりだ。ではそうしてくれ」


 アーチャーからの報告を聞いて、満足そうにロベルトは頷く。たとえ自警団だとしても、あの人数を相手にするには苦戦どころの騒ぎではなかったらしい。


 「そうそう。その仕事が片付いたら、君はそのまま社長の元に向かってくれ。そしてリュカくんとアリョーシさんの身柄を引き受けてくれ。それから、ここを撤収する」


 やはり。ここまで自警団に荒らされたんだから、それも仕方がないだろう。


 「それと社長のことだが、君に始末を任せて構わないか?」


 ロベルトのその言葉は聞き逃すことができなかった。


 今、何といった。始末? 一体誰を。


 「ああ、そうだ……こっちは心配しなくていい。君は君のすべき仕事をやってくれ。頼んだぞ」


 ロベルトはそういって電話を切った。だが、私の中の混乱は電話のように簡単に切れてはくれない。


 「どういうこと……?」


 「どういうこと、とは?」


 「始末って何。まさか、あの人を殺すってわけないでしょ」


 「その通りだが、何か問題でも?」


 また、私の思考が止まった。


 「……殺す、つもりなのね」


 「私は無駄な殺生はしない。だが私に有益な殺人ならば、喜んでやる。君にはすまないと思っているんだ。せっかく覚悟を決めて私の元へときてくれたのに、私はそんな君の覚悟を踏みにじってしまったのだからね」


 肩を落として、首を小刻みに左右に揺らす。まるで自分のしでかしたことに失望するように、ひどく落胆しているように見せる。そう、ただ見せているだけ。心の中じゃ私への嘲笑でいっぱいで、顔を覆う手の下じゃきっと意地汚い笑みを浮かべているに違いない。ロベルトとはそう言う男で、彼の性根はそう言うものなのだから。


 「せめて今の内だけでも、社長の寝顔を見ておいたほうがいい。これがきっと見納めになるだろうから」


 ロベルトはそう言うと、私に背中を向けて部屋を出て行ってしまった。自動扉の開閉音が寂しく響く。


 私は、私の愚かさと無力感に打ちひしがれて、立ち尽くすしかなかった。一つでも、たった一つでも奴が約束を守るなんて思ったのが間違いだったんだ。なんて馬鹿な女、なんて単純な女、なんて、愚かな女。


 画面にふと目をやれば、画面には床に横たわるアーロンがいる。ああして眠っている間にも、彼に死が近づいている。それもこれも、私の余計な思いによって招いたのだ。到底許されない。


 「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 私の口から自然と謝罪の言葉が放たれる。社長が聞くはずもないのに。誰も聞く相手もいないのに。まるで子供のように、謝りながら涙がとめどなく流れてくる。今日ほど私と言う人間を嫌いになったことはなかった。


 「うっかり忘れるところだった」


 自動ドアの開閉音と、ロバルトの気だるげな声。今は放っておいてほしいのに、この男はいつも間の悪い時にやってくる。私はロベルトの今の情けない顔を見られたくはなかった。だから、彼の方を見るつもりはなかった。


 だけど、この時は見ておくべきだった。彼の顔ではなく、彼の手に握られていたものを。


 二発の銃声はそんな私の後悔さえ、かき消してしまった。



『・』  



 「ああ、アーチャーか。こちらの始末はすんだ。あとはそっちの処理だけだ」


 アーチャーへの電話をかけながら、用のなくなった銃を腰ベルトに差し込む。


 「私はヘリを呼んでここを離れる。君は自警団と社長を始末した後、少年と母親のドラゴン、それと施設内にいるドラゴンを移動させろ。足止めは私の方から会の方々に連絡をとって何とかしてもらう。……心配するな、うまくやる。だが、くれぐれも傷は少なくしてくれ。頼んだぞ」


 通話を切りスマホをしまうと、ロベルトは背後を見る。

 穴のあいた血濡れのシャツ、わずかに上気する胸、青白くなっていく顔。そこには死人ユミルが転がっていた。


 「社長が私の言うことに従うはずはない。あの人はああ見えて純粋で頑固なところがある。はなから裏切ることがわかっているのなら、先に裏切りの目を積んでおくことが、戦う上での鉄則だ。君が教えてくれたおかげで、その覚悟ができたんだよ」


 襟元を正しながら、ロベルトはユミルの前に佇む。


 「そう言う意味では、君には感謝しなければならない。だから、簡単にはとどめを刺さないでおこう。痛みや苦しみは続くだろうが、せめて社長の姿を見つめながら死んでいってくれ。これが、私からの同僚の君への最後の贈り物だ」


 ユミルの鋭い目など気にせずに、ロベルトは淡々と言葉を続けた。そして、言うだけのことを言うと、彼女に背中を向けた。


 「どうか安らかな眠りを。死後の魂の安寧を祈っているよ」 


 肩越しにそう言うと、ロベルトは部屋を出てしまう。振り返ることはなく、足を止めることもなく。彼の足は廊下を進む。


 「どんな犠牲を払おうと、進まなければならないのだよ」


 誰に言うでもない言葉は、いつしか廊下に消えていった。

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