2...........
建物の内部は思ったよりも閑散としていた。廊下も部屋も扉も、夜の闇によってすっかり覆い隠されている。その中で目立つものといえば、ほっそりと闇の中に浮かんでいる、目新しい非常灯と消火器の赤いランプの明かりだけだ。
すっかり夜目が利くようになって歩くくらいには問題はなかったけれど、この異様な静けさに自然と警戒心が高まっていく。それはアマンダも、そしてトムにも言えたことだった。
曲がり角や開け放たれた扉の前に行くたびに、物陰からそっと顔を出して暗闇の先に目を凝らす。闇の中に動く影を見つけ、その顔と体の動きを探るためだ。ただ、今の所は敵の影を見つけてもいなければ、出会ってもいない。
運がいいと考えればそれまでだが、外の警備の様子から見て、何だか誘われているという気になってくる。
『ゼレカ、カメラはある?』
アマンダの無線がイヤホンから聞こえてくる。口を動かした様子はなかったから、頭からメッセージを伝えているんだろう。
『ある』
『そこから警備の連中を見ることはできるかしら』
『ちょっと待って』
ゼレカはそう言うと、少し時間を取った。その間にカメラを操作して視界に映る影があるかを探っているらしい。しばらく時間を取るかとも思ったが、意外に早く彼女からの返答があった。
『その下の階に何人かたむろしている。階段近くにはいないようだけど、警戒するに越したことはなさそう。それにカメラの死角にも物音がするから何人かいるみたい』
『分かった。これから階段を降りるから、その階のカメラ、止めておいて』
『分かった』
その言葉を最後にゼレカとの通信は終わり、耳の中から音がなくなった。
曲がり角から様子を見て、それから部屋の様子を確かめて。俺たちは階段を降りた。なるべく足音を立てないように注意を払いながら、ゆっくりとしかし早くと言う矛盾を孕んだ足取りで階段を踏んでいく。
階下の踊り場へとたどり着いた時、ふいに廊下の奥から足音が聞こえてきた。顔を出して確かめたかったが、奥から明かりが射してきた為にそれができなかった。それは懐中電灯の明かりで、みるみるとその明かりはこちら側へと近寄ってくる。
アマンダはトムに目配せをすると、二人は腰から拳銃を一丁取り出した。銃身の先には円筒型の消音器がつけられている。安全装置を外し、トリガーに指をかけると、二人は静かにその時がくるのを待つ。
そしていよいよその懐中電灯の男の足が角から出てくると、アマンダは静かに銃を構え、引き金を引いた。
細くそして小さな銃声が耳に残ったかと思えば、次の瞬間には男の二つの膝に小さな赤い穴が二つ開いた。男がうめき声をあげる前に、トムが男の口と手とを抑え、一気に階段の影へと引き込んだ。
「ちょっとあなたに聞きたいことがあるのよ」
銃口を男の額へと当てて、アマンダは冷めた声で男に話しかけた。
「アマンダ……テメェ……」
男はアマンダを鋭く睨み、トムの手の隙間から苛立った声を出す。男の口調からアマンダと顔見知りだったらしい。恐らくも何もアマンダがロベルトのところに潜入している間に、知り合ったんだろう。
しかし、この場合において男のその返答は間違っていた。いや、男にとってはアマンダに対する言葉として正当なものだったのかもしれないが、アマンダはその言葉は求めていたものと違っていたのだ。
男の額から銃口を反らすと、男の方に一発銃弾を打ち込んだ。小さな血しぶきが舞うと男の肩口に小さな紅の斑点が浮かんだ。そしてそれは次第に黒が混ざり、男の白いシャツの袖は真っ赤に色づいていった。
苦悶の表情を浮かべてうめき声を漏らしかけるが、その度にトムが手をきつく当ててそれを許さない。くぐもった男の声を聞いて俺はさっと顔を背けた。
「アーロン氏とその秘書のユミルさんは一体どこにいったのかしら?」
にこやかに微笑みを浮かべたアマンダは、そう言いながら銃口を再び男の額へと当てる。男の顔には羞恥と苦痛で歪み、顔から腕からたまのような汗を吹き出している。しかしその口はきっと結んで言葉を話そうとはしなかった。それはきっと男の意地と敵であるアマンダの思い通りにさせるものかという思いがあったのだろう。敵としては教科書通りの対応に思える。が、アマンダはそっと額から銃口をずらしていくと、先ほどの激痛を思い出して男は狼狽した。
「わ、分かった……」
トムの指の間から男の震える声が聞こえてきた。
「アーロンと秘書の女は、建物の地下に連れて行かれた」
「地下?」
「ああ、そうだ」
「そこへはどうやって入るの? どうせ管理体制ばっちり敷いているんでしょ?」
それを聞くと男の顔に逡巡が走る。しかしアマンダはその逡巡さえ許さなかった。
「黙っていちゃ、分からないわよ」
アマンダは男の額から鼻筋をなぞり、腹へとその銃口を動かしていく。その所作は艶めかしく官能さを感じたが、とうの男にとっては気が気でなかっただろう。そして、その不安は現実のものとなる。
銃口が男の股間へとたどり着いた時、男の顔がさっと青くなった。なぜか。それはアマンダが力強くグリップを握り、今にも引き金を引くようなそぶりを見せたためだ。
「や、やめてくれ……!」
「何? 聞こえないわね」
そういってアマンダは引き金を、引いた。しかし弾丸は男の二つの黄金球を当てずに、スラックスにわずかな穴を開けたまでだった。
「分かった、話す。話すからやめてくれ……」
男の懇願があったにも関わらず、アマンダは引き金を引いた。今度は男の内腿から外へと弾丸を弾き飛ばす。弾丸は男の足を貫き、コンクリ壁に小さな弾痕を作った。
「そう。よかった」
苦痛に歪む男の顔を見て、アマンダは満足そうに一層深く笑い皺を作った。その笑みというのが、味方である俺が見ても、ひどく恐ろしいものに見えた。きっと俺がそう思うのだから、そこの男にとってはよっぽどのことだろう。その証拠に男の顔はまるで死人のように青白くなっていた。